昭和34年、東映第6期ニューフェイスとして映画界入りした千葉真一さん。
「キイハンター」「柳生一族の陰謀(柳生十兵衛)」「影の軍団(服部半蔵)」「風林火山」など鍛え抜かれたアクションは目に焼きついている。そして凄みのある声も、更にその眼も。
今は米に拠点を置き、日本と米を行き来して行動しているが、そこには「武士道」「日本人の魂」「日本に貫かれてきた精神性」を世界に発信したいというほとばしる情熱がある。
私は先日の千葉さんの「祝賀会」で、100年前の新渡戸稲造(「武士道」は1899年刊行)や岡倉天心(「茶の本」は1906年刊行)の話をした。
千葉さん出演の映画には、私たち世代の人生そのものと青春があり、心地よい共感がある。
前著「友をえらばば中国人」も素晴らしかったが、本書はさらにいい。
一つは、「中国人とは、どういう人たちか」「どういう思考法に立つか」を歴史、文化から浮き彫りにしてくれている。私は常々、日本人と中国人は同じような姿顔立ちをしている、だからわかりあっているはずだ、という大いなる錯覚が、事あるごとに両国関係を難しいものにしてきていると思っている。王敏法政大教授の「中国人の愛国心」「意の文化と情の文化」「ほんとうは日本に憧れる中国人(日本への愛憎共存)」だ。王敏さんは日本に住んで異文化を感じて書き、篠原さんは中国全土を歩いてこの書を書いている。
もう一つは、日中韓のナショナリズムをどう越えて和解と共生の道を歩むかということだ。篠原さんは、物質的文明を越えよ、精神性の文化が中国にも日本にもあるではないか、と嘆きながらも叫んでいる。松本健一さんが「日・中・韓のナショナリズム」のなかで、両国とも国内矛盾を外敵をつくって吐き出すのではなく東アジア共同体への道を探れといっているとおりだ。
「ファンサービスが足りない」
「取材も受けない」
「媚びない、はしゃがない、人目を気にしない」
「嫌われても筋を通す」
「誤解されても言い訳はしない」
――批判されようが、「俺は勝つことだけが唯一の仕事」「自分は人気商売じゃなくて"数字商売"」と徹して動く。 不気味さが武器の落合。超合理主義の落合。
他人を気にし、テレビや雑誌でいうことをうのみにし(食でさえも自分で判断できなくなってしまった)、幼稚化する日本人。文化や政治までもどんどん大衆迎合になって、独創性や創造力が低下する一方の二流国に転落するたむろする日本。
これを打開するのが「落合力」、落合の生き方だ。そう、熱烈な長嶋信者・テリー伊藤さんが寡黙にして勝負して勝つ落合を絶賛する。野球を超えて混迷日本の打開がテーマになっている。