保科正之の偉大さは、「名君の碑」に明らかだが、名家老・田中正玄、そして正玄から5代目の江戸中期の家老・田中玄宰(はるなか)、さらに幕末の最も困難な時代、京都守護職についた松平容保(かたもり)ら、会津に積み重ねられた結晶たる武士道は一条の光芒を放った。いかなる逆風のなかでも武士道を背骨として毅然として生きていく姿勢、ひたむきに国家の為、領民の為に尽くす清冽な生き方が会津武士道。悲憤慷慨のあまり自刃するような「滅びの美学」が会津武士道ではないと中村彰彦さんはいう。
あの徳島の板東俘虜収容所のドイツ人俘虜を愛国者として待遇した第9の初演奏の軍人・松江豊寿所長(中佐)も会津だ。
「骸骨を乞う」――職を辞す(全て国家に捧げ尽くしたため今の自分はもう骸骨に過ぎず、その残骸を引きとって引退したい)
他者に優しく、己を律するに厳しい。きちんと生きてきちんと死ぬ。毅然と生きて毅然と死ぬ――と中村氏は結びで記している。
「模倣犯」から9年、「楽園」が出たが、「名もなき毒」を読んでみた。宮部みゆきには、ミステリーや時代小説作家の域を超えた深みがあるとして、ファンが多い。その通りだろう。"動機のない"愉快犯や、"理由なき"殺人、猟奇的殺人、無差別的犯罪という、よくわからない事件が多い。難しい社会であり、時代だ。
その根底に「怒り」、いいようのない自分だけが幸せになれない、自分を受け入れてくれぬ社会への鬱積した不満と不安が「怒り」として爆発する。幸せな人が憎い。上から安易に正論をふりかざす人が憎い。そしてそれが社会のいたる所で毒として(土壌汚染の毒が、何かのキッカケで表面に出るように)表面化し、他者も自分自身も切り刻む。農耕的な"お人好し日本"は、いつ頃からか変質している。
それゆえに、怖い社会となっているが、この小説では、その恐ろしい難しい社会を見事に浮き彫りにするとともに、"お人好し"の主人公と元気な"ゴン"ちゃんと、前向きな中小企業社長と、分別と存在感のある義父のポジティブ・グループが登場している。そこに宮部みゆき本の人気がうかがい知れる。
勝間さんは、金融アナリストの仕事をしながら、「ムギ畑」というワーキング・マザーの集まるインターネットのコミュニティ・サイトを主宰している。
私がとくに関心をもったのは、ともすると悲惨なワーキング・マザーを論じがちになる一般の話ではなく、勇気づけ、ポジティブに現実をとらえ、その向こうに新しい少子化を乗り越えた未来を志向していることだ。
そして、猪口さんに私が関心をもったのは、「近代化の帰結としての少子化」「近代の効率重視の典型的なパラダイムは、ワーク・ライフ・バランスなど、多元的の人間のニーズを取り込めない」という観点に立ち、自らのエスニシティを封印するなかでモダンなる存在へと発展したと歴史性を看取し、ポスト・モダンの時代におけるエスニシティを取り戻すこと(家庭はエスニシティの砦)、ポスト・モダン文化とはエスニックな文化との視点を提示していることだ。
そして、少子化対策を国の最重要戦略として位置づける(国の本気度)こと、そのために考えを結晶化させる触媒としてのインパクトのある政策(児童手当の乳幼児加算など)を示している。いい。それを推進した公明党の名がないことだけはまずい。
