社会資本の整備を、経済が停滞し、財政が赤字で、しかも国民から既得権益への批判が出ている時に、どう考えたらいいのか。維持更新費を節約し、新たな経済活力をもつためには、「具体的に将来計画を立て、国民に示して、理解を得ることに本気で取り組まなければならない時期に来ている」という。従来、公共投資は「国民所得の最大化と地域格差の是正」をめざしたが、今の時代の理念は「まだ模索されている段階だ」という。
「市場は広域的で長期的なことは苦手」であり、「住民は将来の住民、他地域の住民に考慮が及ばない」というジレンマがある。
大阪が2008年度のオリンピックに立候補し、破れた時、IOCの調査国は大阪圏の交通基盤の弱さを指摘しており、世界の都市は大きく変化しているのに、日本は大都市への投資に80年以降油断とぬかりがあったと思われる。
コンパクト・シティ、街づくり、まさに少子高齢社会のなかで、グローバリゼーションの国際競争のなかで、新しい都市構想と公共の役割りをもっと考えなければと思う。
官僚制を歴史的にたどり、現在のいわゆる"官僚政治"の弊害を浮き彫りにしている。
しかし、私が感じたのは、そうしたことだけではなく、むしろ政治を行う者の人格と志、その中核にあるグーテンホーフ・カレルギーの哲学だ。パン・ヨーロッパ運動の提唱者であるグーテンホーフ・カレルギーの「友愛」は鳩山兄弟に受け継がれるが、私自身、カレルギー伯が来日した時の講演を学生時代に直接聴いた。
カネがあることでは、尊敬されない日本。グーテンホーフ・カレルギーが「西欧と違って、清らかこそ美的価値であり、倫理的価値でもあるという日本人の特異性を、人類共通の価値にまで高めようとした」ことにふれ、「美的な生き方を尊重する文明こそが未来に希望をもたらす」とカレルギー・池田大作対談(「文明・東と西」聖教文庫)の言葉を明示する。
崇高な理想とその実現が、ますます求められている。
