DRINK.jpg「あなたが口にする『飲み物』のウソ・ホント」が副題。著者は、ケンブリッジ大学で博士号を取得した人間生物学の専門家、サイエンス・コミュニケーター。あらゆる飲み物全般について、科学的なエビデンスに基づいた客観的な視点を提供する。とくに、世の中に流布されている健康飲料についての説明が、実はほとんど根拠のない無責任な売り文句であったり、科学的と称するエビデンスが、飲料メーカーがスポンサーとなるなかで行われたりすることを示す。「私たちはいかに踊らされているか(マーケティングの威力)」と末尾で述べ、「結局のところ、スーパードリンクに一番近いものを挙げるとすれば、答えはおそらく水と哺乳類のミルクだろう」「宣伝を鵜呑みにせず、健全な懐疑心を持っておいた方が賢明だろう」と言う。「糖質ゼロ」「特定保健用食品」「天然由来」などと宣伝されるが、しっかりとその成分を見て、効用ありとされる成分がドリンクにどの程度の量が入っているか、糖質など問題となっている他の成分がどの程度入っているのか見極めようと言う。私たちもこれほど翻弄されてきたから、相当賢くなってきてると思う。

「雨水はもともと軟水。土の層を通過する時、ミネラルが溶けて硬水となる。硬水を飲むことで、心疾患による死亡リスクが下がる可能性が指摘されるが、説得力あるデータはない」「アルカリ水について謳われている健康増進効果には裏付けがない」「母乳の方が調合乳よりも優れているのかという問いに対しては、総合的に見てイエスと答えざるを得ない」「植物性ミルクは、動物性ミルクと比べて組成が全く異なり、栄養価も低い。その大半は、カルシウム、ミネラル、ビタミンが少なく、タンパク質の量と質が低いうえに塩分と糖分が多いからだ」

「さまざまのお茶には、健康効果がある可能性の高い化合物が含まれ、おそらく健康に良い。ただどれぐらいが一杯のお茶に入り、体に吸収されて有益な効果もたらすかはまだよくわかっていない」「ソフトドリンクとは、ハードなアルコール飲料と対比される呼び方だ。私たちの食事には、ある程度の糖が絶対に必要だが、食事から十分過ぎる量の糖を摂っているので、飲み物でさらに摂る必要はない」「人工甘味料は砂糖の約200倍の甘さを持つ。砂糖という悪とされているものを追い払ったつもりが人工甘味料に置き換わっただけならどうなるか」「コカ・コーラの原材料は、100年以上にわたって秘密にされてきている。刺激効果のあるコカの葉とカフェインを含んでいるコーラナッツに由来しているが現在はどうか?」「果物そのものは食物繊維が含まれているために、吸収速度が遅くなり、血糖値の急上昇を起こさない。フルーツジュースには、満腹感をもたらす食物繊維が入っていないので、ジュースに含まれる果糖のせいで食べ過ぎてしまう恐れがある」「スポーツドリンクの有効性は説得力を持って証明されていない。高強度の運動する人に向けたスポーツドリンクを普通の人が飲めば、健康的に水分補給をしているつもりかもしれないが、ただ体重が増えるだけだ」「ソフトドリンクは健康効果がある化合物を入れているが、少量しか入っていない。大半は何の効果もないどころか、砂糖など害にもなる成分でできているのが多い。味が好きなので、高いお金を払っても良いと思うなら止めはしないが」

「アルコール飲料」――。「アルコールの摂取がその量に関係なく、健康被害をもたらす可能性を示す証拠はたくさんある。たとえ少量のアルコールであっても、全体としては有益ではなく、害にもなり得るという可能性を示唆している。そのため、適度な飲酒は体に良いという考えは、科学的な見解ではなくなりつつある」「赤ワインを飲むと頭が痛くなりやすいという人がいたら、それはおそらく、単にアルコールの飲み過ぎである可能性が高い」「人間の体が1時間あたりに分解できるアルコールの量には限界がある」。そうだろうと思う。その上で、美味しいから飲む、楽しく飲む。ワインも「美味しいワインは美味しい」とは、私がワインの専門家から聞いた至言だ。


onnnarasisa.jpg世間が考える「女らしさ」とは何か。「女らしさ」とは誰のために存在するのか。生き方の多様化が進行中だが、女性のみならず、男性もが知らず知らずのうちに組み込まれ、生き辛くさせている圧迫の構造について2人が対談する。「変化と進化によって、男も女も『らしさ』からどんどん解放されていけばいい」「みんながそれぞれに、自分なりの戦略を育てられる人になるといい」「女に生まれても、男に生まれても、それぞれ自分の選択を得にできるようになってほしい」「正解を選ばされる人生を強いられ、間違えることへの恐怖に怯え、失敗したと晒される人たちの姿を借りた、社会からの無言の脅迫に苦痛を感じてきた人が少なくないだろうと思う。でも、正解を誰よりも早く選ぶ努力なんてもうやめにしませんか(中野信子)」と言う。

「女であることのメリット」「女だからこそのデメリット」が一覧となっている。「力が弱いため」――男性にフォローをしてもらえる場合があるというメリット、犯罪被害など常にセキュリティー面で注意が必要になるというデメリットもある。「美、モテ、若さは全て目減りする価値。今この瞬間があなたのこれから先の人生においては、一番若いことを実感してほしい。すべての人類は今日が一番若い(中野信子)」「若い頃は、美人の方が得という場面が多いが、美人はそれ以外が評価されづらい」「女性を取り巻く日本の今の空気には、LG BTに対するサポートが手厚過ぎると主張する人の声に似たところがある。LG BTに対する実質的なサポートなんて、ほぼゼロ、マイナスなのに『もっとみんな寛容になりましょうよ』という空気が流れる」「加齢がネガティブ要素にならない男システムは正直うらやましい」「仕事も家庭も完璧です的な女性像なんて『男性優位社会』が押し付ける幻想。仕事のできる、できないと、私生活のマネジメントはほぼ関係がない。仕事の場では仕事だけできれば良いはず」「私はクオータ制の導入には大賛成。クォータ制を採用すれば、ずば抜けて優秀ではない。女性にも役職に就く機会が訪れる(ジェーン・スー)」「新自由主義の風が吹き、ガラスの天井は傾いた。戦える武器を持った者と持たない者を分ける。天井に」「40歳は不惑といわれるが、道徳的なものではなく、ドーパミンがあまり分泌されなくなって扱いづらい感情が落ち着いてくる。不安がどんどん増幅するような回路が組まれている10代と、40代の脳は全然違う」「医学が発達し、卵子の凍結や代理母。生殖が変われば恋や結婚の形も変わる」「女が誰かの庇護下にいなくてもいい未来が来る?」

大変率直な良い対談。


maimai.jpg徳川第9代将軍家重とそれを支え続けた大岡忠光を描く感動作。

吉宗の子・長福丸(後の徳川家重)は、呂律が回らず、指が動かず、尿を漏らす。歩いた後には、尿を引きずった跡が残るため、「まいまいつぶろ(かたつむり)」と呼ばれ、蔑まれ、廃嫡まで噂されていた。誰にも言葉が届かない家重であったが、ただ1人、その言葉がわかる大岡兵庫(後の大岡忠光、大岡忠相の親戚)が小姓となる。大岡忠相は兵庫に、「(家重の)目と耳になってはならぬ」と釘を刺す。あくまで「御口代わり」だけを行うこと。吉宗の時代には、側用人制は廃止されており、役目を超えた働きをすれば、必ず、疑惑と、嫉妬の渦に巻き込まれ、幕政の混乱を招くこと必至との考えからであった。大岡忠光は、その言葉を守り抜く。また身体は不自由であるけれども家重の聡明さがじわじわと浸透していく。そして第9代将軍となり、吉宗の目指した改革の治世が継続・発展していく。家重の「言葉が通じない」辛さは、飢饉に喘ぐ民の辛さとの共鳴の窓が開いたのだった。一心同体、それぞれの苦難を受け止め、耐え抜いたニ人の生き方は感動的で美しい。

「上様は、(田沼)意次といい忠光といい、人を見抜いて用いる御力が段違いにございます。ご自身ではおできにならぬことを、代わって為すものをしかとお選びでございます」「それがし、上様が汚いまいまいつぶろと言われて、どれほど悔しゅう思いましたことか」「そなたも莫迦の小姓あがりと噂されたそうではないか」「たとえ存分に話すことができても、思いが通じぬのが人の常だというではないか。ならば、己はもはや口がきけぬという苦さえもなくなった」「まいまいつぶろだと指をさされ、口がきけずに幸いであった。そのおかげで、私はそなたと会うことができた」

家重は1760年に将軍退隠を宣下し、同じ月に正光は亡くなり、翌年の6月、家重も旅立った。短いといわれた将軍在位は15年に及んだ。


honkonkeisatu.jpg国際犯罪はこれからさらに増え、密輸等の経済犯罪のみならず、そこに政治的陰謀があれば、さらに深刻化する。帯で手嶋龍一氏が「ニッポンに香港・北京の公権力が密かに棲みついてしまった――西側のインテリジェンス・コミュニティはそう疑っている。そんな現実をリアルに描いた警察小説が誕生した」と言っている。単なる警察小説ではなく、「井水不犯河水(井の水は河の水を侵さず――江沢民の言葉で、中国と香港は、相互不干渉が最善)」「香港に民主はないが自由はある」「命運自主(自ら運命を切り拓く)」の三章からなるド迫力の小説。

香港で2021年、大衆を扇動して422デモを実行、さらに助手を殺害して日本に逃亡したキャサリン・ユー元教授。彼女を逮捕送検すべく捜査にあたるのは、香港警察の5名と日本の警視庁組織犯罪対策部国際犯罪対策課特殊共助係5名で構成された新設部署「分室」だ。警察内部では、厄介者ばかりを集めた香港警察の接待係の部署とされ、「香港警察東京分室」と揶揄されていた。

キャサリン・ユーの足跡を追い、密輸業者のアジトに潜入すると、いきなり香港系の犯罪グループ「黒指安」が襲撃してくる。彼女を監禁していたのは、「黒指安」と敵対する犯罪組織「サーダーン」。いきなり激しい銃撃戦に「分室」メンバーは巻き込まれ、互いに馴染めず思惑を抱えていた日本と香港の「分室」メンバーの心が次第に融けていく。逃亡するキャサリン・ユー、それを助ける者たち、殺そうと追いかける集団、そして「分室」メンバー。

「なぜ、穏健なキャサリン・ユーはデモを起こそうとしたのか」「彼女が会っていた若い男とは何者か。それがデモの扇動と関係があるのか」という問題。そしてその奥には、「2047年問題。香港の一国ニ制度が消滅する年の中国内部の主導権争いがある」「特殊共助係が設立されたのも、24年後の戦いに備えての布石」「その駒として動かされているのは、日本と日本警察」があるという仮説にたどり着いていく。

犯罪の奥にある時間的、空間的な大きさ、ど迫力のアクション。際立つ「分室」メンバーのキャラ。熱量溢れる力作。


11ninnno.jpg「吉田松陰から丸山眞男まで」が副題。幕末から明治、大正、昭和まで、日本を牽引した思想家11人を取り上げ、その思想の背景、骨格を鮮やかに描き出す。きわめてシャープ、大胆かつ明快でわかりやすい。頭が整理される。11人とは吉田松陰、福沢諭吉、岡倉天心、北一輝、美濃部達吉、和辻哲郎、河上肇、小林秀雄、柳田國男、西田幾多郎、丸山眞男。

吉田松陰(尊王と軍事リアリズム)――松陰には純粋すぎる理想家、夢想家といったファナティックなイメージがつくが、それはおそらく違う。根幹にあったのは、幕末の緊迫した国際情勢のなかで日本はいかにして生き残れるかという難問に、極めてリアリスティックな軍学で対処する軍事的アナリストであった。松陰の尊王思想に影響を与えたのは水戸学であり、忠誠の対象は毛利でも長州藩でもなく、天皇であった。西洋の侵略に対し、日本の独立を守るためには「億兆心を一にすること(会沢正志斎)」であり、天皇中心の中央集権国家しかない。従来の精神論ではなくリアリズム、多くの人々を兵士として動員するためには「教育」だと言う。松下村塾も奇兵隊もそこから出てくる。

福沢諭吉(今も古びない『お金の思想』)――法律や政治よりも経済が上。金儲けを卑しむ江戸時代の朱子学的規範を打ち砕いた「お金とドライなリアリズム」。人間が独立して生きるにはお金が大事だという経済リアリズムが、福沢の思想にあると言う。「福沢にとって蓄財とは、個人が独立を達成する条件」「一身独立して一国独立する――お金がないと、国防も福祉も教育も充実できないから税を重視」

岡倉天心(エリート官僚が発見した『アジア』)――英語エリート官僚・ 岡倉天心は20代で芸術行政の中枢に。西洋に対抗するために、外の世界を見る西洋。心の内側、主観で見えたものを表現する東洋美術、宗教も含む東洋思想のアジア主義に立った。「東洋の覚醒」「東洋精神の伝道」である。

北一輝(未完の超進化論)――「国体論及び純正社会主義」の中に、「生物進化論と社会哲学」が書かれている。生物に関するダーウィンの進化論をハーバード・スペンサーは、「社会進化論」として展開した。帝国主義や植民地政策の正当化理論ともなる考えに、日本でも同調するものがあり、北一輝は社会主義と進化論を結びつける。「お互いがお互いのものをやり取りするようになる相互扶助的な状態が、社会進化の究極であるというのが北一輝が考える純正社会主義だった」と言う。

美濃部達吉(大正デモクラシーとしての天皇機関説)――天皇は、憲法の下に置かれた国家の機関である。機関説は天皇は憲法に縛られる存在と規定するが、天皇主権説は、天皇を縛るものなどあってはならない、憲法を超えた存在として天皇はいるとする。美濃部は、「君民一致こそが国体であるとし、天皇中心の政治は、議会中心の政治とイコールと言っても差し支えないのではないか」と言う。大正デモクラシーの目が背景にある。

和辻哲郎(ポスト『坂の上の雲』時代の教養主義)――大正デモクラシーとともに、大正教養主義がある。夏目漱石門下生も多い。そこで重要なのは「人格」。ポスト「坂の上の雲」の価値観が日露戦争の後に生まれ、平和ムード、目的喪失の脱力感、集団主義や立身出世主義への嫌悪感が、新たな人間観を模索(漱石の小説)。不安を出発点とした「人格」と、「人間の学としての倫理学」にある「間柄」の重要さを説く。

河上肇(「人間性」にこだわった社会主義者)――明治以来、産業、経済の近代化が進んだが、貧富の格差が拡大した。大ベストセラー「貧乏物語」は、そうしたなかで生まれた。唯物史観に徹しきれなかった。

小林秀雄(天才的保守主義) ――「小林秀雄という人は、基本的に一つのことしか言っていない。なんでも科学的に説明できると信じる人間が増えると、世の中はダメになるということ」だ。「理屈、理論、理性などで人間というものがわかるはずはない」。「小林は、文学や芸術とは、今、自分にとって最も大事なものを、間違ってもいいから直観で把握して、情熱的に向かっていくべきものだ、と考える。理屈というものは、人間本来の瞬間瞬間を生きる生命力を削ぐものである。人間は失敗して退場して、再び打席に立って、の繰り返しでいいのだ。直観で生きよと説くのである」

柳田國男(「飢え」に耐えるための民俗学)――農政官僚として柳田が直面した危機とは、第一次産業の衰退、農民の破綻、飢饉。昔の人はどう乗り越えたか、それが民俗学の研究に導いた。日本人はどう不条理を乗り越えてきたか。

西田幾太郎(この世界の全てに意味はある) ――人間が理性を保って一貫していると考えたいのが、啓蒙思想以来の西洋近代の思想。福沢諭吉の独立自尊も、美濃部達吉のデモクラシーも、北一輝の超人思想も。「西田にとって、人間とはそんなにしっかりしたイメージでは捉えられない」「うまくいっていない人間にも生きる意味はある」「未来に価値がある進歩思想ではなく、常に現在を考える。生きるとは、ゴールのない現在の連続なのだ」

丸山眞男(戦後、民主主義の「創始者」として)――8月革命説の元のアイディアを提起したのは丸山だったとも言われている」「超国家主義とは何か――無責任の体系」

西洋近代化というグローバル化の圧力のなかで、日本人の苦悩と苦闘。そのなかで形成した思想。今なお重みがある。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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