tugihagu.jpg惣菜と珈琲のお店「△(さんかく)」を営む仲睦まじい3兄妹。ヒロと1歳上の晴太、そして中学3年生の蒼の3人だけで暮らしている。ある日、蒼は卒業したら、家を出て、宿舎のある専門学校に行くと言い出す。ヒロは激しく動揺し反発する。実は3人は、血のつながりがなく、それぞれ親と切り離される事情を抱えつつ兄妹として深くつながり、助け合ってきたのだった。

「私たちは、やっぱりすぐに破れるつぎはぎでしかないのだろうか」「無邪気な晴太。蒼が生まれることで、養子の自分がすでに黒宮家にとって不要なものであることになんて思いも至らなかった。でも、その蒼もいらなくなって、こうして晴太と同じ家にたどり着いた」「蒼は私にも晴太にもよくなついていた。私たちははたから見れば、まるで兄弟のように一緒に暮らし、当たり前のように、蒼の保護者となって、人に関係を聞かれれば迷わず『兄弟です』と答えるようになっていた」。それだけに蒼が家から離れる衝撃は大きく、「お願いだから邪魔をしないで、やっと手に入れた場所を奪わないでと心が叫んでいた」のだ。

必死で家族であろうとする兄妹。家族という絆が切り離された時、足元のおぼつかなさだけが残る。しかし、この"事件"をきっかけにして、「私たちはゆっくりと小さな幸福を作ってこられた。三人の、三人だけのための小さな家の中で」から、それぞれが自立し外に踏み出そうとする。「私は一人の私でありたい。ひらめいたような心地で顔を上げた。誰のものでも、誰のための私でもない。ハワイでも日本でも、晴太や蒼がいてもいなくても、決して揺るがない私でありたい。それができなかったから苦しかった。小学校も、中学校も高校も、黒宮慎司の前でも、私は胸を張って立っていなかったから、ビクビクと卑屈に目の前を見上げていたから苦しかったのだ。晴太や蒼の不在に怯えたのだ」

11回ポプラ社小説新人賞受賞作。なかなか良い。


kakusanokigenn.jpg「なぜ人類は繁栄し、不平等が生まれたのか」「人類の旅」が副題。壮大な人類史を圧倒的な力量で描く。

30万年前にホモ・サピエンスが誕生して以来、人類史の大半で人間の生活水準は生きていくのがギリギリだった。生存と繁殖の追求そのものだったといってよい。そして12000年前に狩猟採集から食糧栽培の定住生活に切りかえ、農耕社会は技術の恩恵をたっぷり受け、その状態は数千年続いた。技術の進歩は人口の増加を促したが、マルサスの罠(人口は制限されなければ、幾何級数的に増加するが、生活資源は算術級数的にしか増加しない)、貧困の罠に閉じ込められてきた。技術革新は長きに渡って経済の繁栄を促したが、結局は「人口増」によって、人々の暮らしは生存水準に引き戻された。また飢餓や疫病の影響から、平均寿命が40歳を超えることも稀だった。人類は誕生以来、生きていくのがやっとという暮らしを続けてきたが、200年ほど前を境にその状態を脱して持続的経済成長の時代に入った。

これが、本書の第一部の「何が成長をもたらしたのか――成長の謎」だ。一人当たりの所得は14倍に急上昇し、平均寿命は2倍以上に伸びた。人類の歴史を通しての技術の進歩は、加速を続けるなかで、「液体が気体」となるごとく臨界点に達したのが産業革命だ。そこでは特別な資源の需要を高めることになる。技術環境に対応できる技能と知識、養育や教育への投資を増やすことになったが、それは出産数を抑えることにもなった。ここにマルサスの罠とも別れる経済成長と出生率との根強い正の相関が絶たれ、成長と人口増加の相殺効果から解放されたのだ。

しかし一方、その経済的繁栄が一部の国や地域にとどまり、この2世紀ほどの成長は、全世界で均等には起こらなかった。本書の第二部は「なぜ格差が生じたのか――格差の謎」を論じている。その格差の謎について、出アフリカの歴史、アフリカからの距離によって「多様性」が異なることまで論証する。人類史のここの時代だけでなく、全過程の背後にある主要な原動力を探ると、「地理」「アフリカからの移動距離に相関する人口集団の均質性、多様性の度合い。そこに伴う文化」等の起源を掘り出していく。そして先進国と発展途上国との間には、「技術や技能、教育や訓練の充実」「人的資本への投資」「女性の有給雇用の増加」「社会の均質性と多様性の最適化」「未来志向」「平等や多元主義、差異の尊重」などが持続的成長の要因であることを示す。そして著者は、現代と言う経済成長の時代とマルサスの停滞の時代を別個の現象と捉えず、発展の全過程の背後にある主要な原動力を「統一成長理論」として打ち出す。「地理、アフリカからの移動距離」を初期条件とし、「制度と文化の要因」「人口構成と人口規模の歯車」に影響与え、最大の歯車である「技術の進歩」を回す。さらに「人的資本の重要性の増大」を経て、マルサスの罠を乗り越えて現代世界に至るのだ。

そして人類史的に見ても、「地球温暖化問題」の回避こそ重要だとし、人類の英知によって解決できると言っている。


sumahoha.jpg「人類は、オンライン習慣にどっぷり浸かってしまい、前頭前野の機能が失われ、滅びゆく運命をたどってしまうのか。それともスマホという危険で便利なものを使いこなし、前頭前野の機能を手放すこともなく生き延び、さらなる繁栄を遂げていくのか」「このまま対策を講じなければ、オンライン習慣によって前頭前野の機能が衰え、『ものを考えられない』『何かに集中することができない』『コミニュケーションが取れない』、そんな人たちで溢れかえってしまうのではないかと危機感を覚える」と言う。10年以上にわたって、数万人の小中学生を追跡調査し、脳科学の立場で分析した知見を示す。「脳トレ」の川島教授率いる東北大学加齢医学研究所の研究成果だが、大変恐ろしい結果の数々だ。

「前頭前野は、ものを考えたり、理解したり、覚えたりといった私たちが知的な活動をする上で必要な認知機能を支えている。さらに、感情をコントロールしたり、他人の気持ちを推し量ったりするなど、社会生活を営む上で必要なコミニケーションに関わる機能も支えている」「その前頭前野の成長期にあたる10代。勉強や仲間たちとの豊かなコミニュケーションを通して、前頭前野を鍛え、発達させていくことが重要だが、スマホはその反対で妨げる。大人にとっても仕事や日常生活のなかで、意識的に前頭前野を使い、認知機能を維持することが必要」「記憶を蓄える機能を持つ海馬は、成人後にも神経細胞が増加する」。その前頭前野は、どうしたら鍛えられるのかといえば、「使うこと」だと言う。

調査結果は恐ろしいものだ。「スマホの使い過ぎが、子供たちの学力を破壊している」「勉強してもよく寝ても『3時間以上のスマホ』で台なしになる」「浅い眠りのレム睡眠の時に記憶を定着させるが、睡眠不足はそれを奪う」「スマホ横目に3時間勉強しても、成果は30(脳は複数の物事を並行して行うのが苦手)、集中が大事だが通知音が鳴るだけで集中力が低下」「スマホやタブレットでの学習は、脳が働かない(知らない言葉を調べるときに、紙の辞書を引いた場合は、脳の活動が急激に上がる)」「スマホを使い、脳にラクにさせていると脳の発達が損われる」

「コミニュケーションが、脳の発達には欠かせない」「オンラインと対面ではコミニュケーションの質が違う。『つながっている』と感じる時、脳と脳も同期する」「オンライン・コミニュケーションでは『一人でボーッとしている状態と変わらない』」「脳の活動の同期という現象は、コミニュケーションの質と関係していて、人と人との共感や共鳴といったものを反映している」「なぜオンライン会話では、脳が同期しないのか。会話において目を合わせる視線が重要」

そして、「前頭前野の『自己管理能力』で、スマホから身を守れ!」と言い、警告とともに対策を示す。


ketiru.jpg「冷え性」で悩む女性、「脂肪吸引」にはまる女性の心象。こういうテーマを、赤裸々に描いた小説はあまりない。しかも「語り」が、率直で明るく、いわば「男前」で、とてもいいテンポ。2つの短編で構成される。

「ケチる貴方」――。「生まれてこの方、自分よりての冷たい人間に会ったことがない」から始まる。備蓄用タンクの設計と施工を請け負う中小企業に勤める女性。こんなことがあるかと思うほど、寒くて寒くてしょうがない。ぽっちゃりしているのに、なぜこの身体はかたくなに熱を生産しないのか。私の代謝機能はどうなっているのか。心臓の動悸が激しく打つが、心臓も冷え性も、意識してもどうしようもないものの異常は、自分にしかわからない苦悩だ。ところが温活が功を奏し、身体が温たかになり排便もあリ、体重が激減するという変容が・・・・・・。「ケチっては駄目だ。ケチな肉体は、ケチな魂に由来するのだから。私は迷いを振り払うように、ことさらご機嫌に振る舞った」「許す心、である。ここで怒ってはならぬ」・・・・・・。誰にもわからないようにしている自己を嫌悪する心への向き合い方。

「その周囲、五十八センチ」――。「脚が太いと、人生は、ものすごく難易度が上がる」「私の脚は、生来、人並み外れて太かった」――。脂肪吸引を始めて、次から次へとはまっていく。そして、「確かに私は人並みの体型になってからというもの、人に寛容になった。ごく自然のこととして、いちいち人を疑ったり嫌ったりせず世を渡っていけるようになったのだ。・・・・・・私は、この変化に自尊心というものの持つ力をまざまざと知り、それをつい最近まで自分が持っていなかったことに愕然とした」・・・・・・。見た目の判断。人は内面だ、などと無邪気に言う奴。これらの表現が絶妙。


sinkuro.jpg「科学と非科学の間に」が副題。昨年のノーベル物理学賞は、「量子もつれの実験、ベルの不等式の破れの確立、量子情報科学の先駆的研究」として3名に与えられた。最近は「量子コンピューター」が大きな話題を呼んでいる。本書は、アリストテレスの物理学から量子もつれまで、「宇宙とは何か」「時間とは、空間とは」「生命とは何か」を追い続けた科学者・哲学者の戦いの軌跡を描く。そして「ニュートン力学、アインシュタインの相対性理論」から「量子力学、量子もつれ」に至る世界を、科学者たちの研究・論争を通じて、わかりやすく(それでも難解だが)解説している。著者も訳者も極めてクリア。特に、アインシュタインとユングとパウリの交流など、人間模様は面白い。ユングは、精神的に不安定だったパウリの治療を行っていたようだが、心理学と物理学が触発しあい、非因果的な作用としてシンクロニシティという概念に到達する。パウリは量子力学の「量子もつれ」、ユングは深層心理学から「シンクロニシティ」に迫ったわけだ。

ニュートンは「重力」によるニュートン力学を示し、アインシュタインは「この世に光の速度より早く動くものは存在しない」「時間と空間は歪む」との相対性理論を提唱したが、量子もつれについては「幽霊のような遠隔作用」と断じた(アインシュタインはニュートンの「遠隔作用」を棄却した事が自身の主な功績の一つだと考えていた)。光などの伝達ではなく、瞬時に、それも遠い宇宙の彼方であっても相関する量子もつれは、不可思議極まりない現象であったのだ。それは幾世紀にもわたって考察されてきた原因が結果をもたらすという思考、原因の発生と同時に起こりうる現象など存在しないという思考に根本的な揺さぶりをかけることになる。昨年のノーベル物理学賞「量子もつれの存在」は、宇宙と小宇宙たる生命の真理について、またアインシュタインも認めなかった量子力学について、画期的な通過点(重要な一里塚)となるものだ。

20世紀初頭のアインシュタインの偉大な功績は、誰人も認めるものだが、ハイゼンベルク(1927年に不確定性原理発表、微視的な世界では位置と運動量、時間とエネルギーといった特定の組の物理量を同時に正しく測定することができない)、シュレーディンガー(電子が物質波であると想定し、その波動を力学的運動方程式・シュレーディンガー方程式の解であるとして表した)らの量子力学の一方で、パウリとユングの交流が、「量子もつれ」と「シンクロニシティ」が連関する思考を生んだ。1952年、ユングとパウリは2人の研究の集大成として共著「自然現象と心の構造」を発刊している。不思議なシンクロであり、もつれのような気がする。集合的無意識、対称性の力、スピンの謎めいた性質、光の速度よりも早く瞬時にシンクロする量子もつれーー量子論は物理学のみならず、宇宙論、生命論、化学や生物学、そして量子コンピューターなどの科学技術社会にも衝撃的なパラダイムシフトを生んでいる。研究の激流は速い。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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