rangiku.jpg「介錯人別所龍玄始末」シリーズの最新作。無縁坂の若き侍・別所龍玄。小伝馬町の牢屋敷で不浄な首打役の手代わりを務め、やむを得ず屠腹する武家の介添え役をも請ける。母・静江と美しく賢い5歳上の妻・百合、幼子の娘・杏子と暮らす。若き凄腕介錯人が出会う宿業ともいうべき人間の総決算たる死。何を見、何を感じたか。天災、噴火、大飢饉ばかりの天明年間(17811789)から寛政の頃の話だが、静かに丁寧にこれほどまでと思うほどきめ細かく描写する。その捌きは驚異的。4話ある。

「両国大橋」――南部藩の武士で故あって今、湯島で手習師匠を生業としている深田匡が訪ねてくる。妻の紀代と中間の幸兵衛が駆け落ちをし、女敵討(めがたきうち)だという。捜しても見つからなかったが、ついに両国大橋で発見する。その後中間を討つ。匡は切腹の介錯を龍玄に頼むが、最後に託した言葉があった。権力的な階級社会であった時代、牢固たる封建的上下関係に押しつぶされる夫、忍従する妻、それが耐えられなかった時の亀裂は大きく深い。

「鉄火と傅もり役」――生野清順が長尾家の長男・京十郎の傅役となったのはもう22年も前。その役を退いて7年が経ち、京十郎は25歳になっていた。その京十郎の介錯使をすることになった龍玄。いったい長尾家に何があったかを調べる。そこには跡継ぎをめぐるお家騒動・・・・・・。今際の際になっても、京十郎は暴れる。逍遥として死に臨む者も、暴れる者もあり。それにしても清順の生き様は・・・・・・。

「弥右衛門」――湯島天神前の茶屋「藤平」抱えの陰間の弥右衛門には、真崎新之助という好いた男がいた。しかし新之助は、たまたま行き合った旗本の倅3人と口喧嘩になり斬られて死ぬ。その時の状況を調べあげた弥右衛門は3人を討ち果たし、もし武士らしく切腹が許されたなら、切腹場の介添役、すなわち介錯役を別所龍玄にお願いしたいと言う。2人には面識があったのだ。「そのとき、寸分のゆらぎも歪みもない龍玄の構えが、ふわりと沈んだ。それは日の名残りの明るみを跳ねかえして、きらめく銀色の刃が、凄惨な切腹場を果敢ない幻影に包みこみ、誰もが息を呑んで言葉を失くし、切腹場の一切の物音がかき消えた、厳かにすら感じられる一瞬だった」と描いている。こうした表現がずっと展開されている。

「発頭人狩」――天明の大飢饉の惨状は東北諸藩のみならず、全国に及んだ。あの福山藩の天明の大一揆――。尾道の医師・田鍋玄庵は領内に暮らす50名を超える侍衆とともに百姓の一揆に加わる。江戸に逃げ白井道安と名を変えていたが、福山藩阿部家からの追っ手が迫る。発頭人狩りだ。道安と関わりのあった龍玄は追っ手を討つことに加勢する。


nemurenai.jpg都会に住み働く男女の、愛すべき人間模様を描く5つの短編。ちょっとありえないほど強い人間関係が、テンポ良くユーモラスに語られ心地よい。

「なにも傷つけないように、おやすみ」――深夜にチャイムが鳴り、「あの家にいたくないの。今夜だけ泊まってもいい?」。赤ん坊を連れてナミちゃんが駆け込んできた。「俺」は同じ施設で育って以来、一心同体であったマミちゃんの夫・智己とすぐ連絡を取る。「俺」の方は一緒にいたチカコと別れていた。

「明日世界は終わらない」――俺(竜朗)はキャバ嬢(綺子)が好き、そのキャバ嬢はゲイバーの男性バーテンダー()が好き、そして周は俺が好き3人は思いを果たせないが、いつも一緒に行動し、居心地の良さを失いたくないと思っている。「うちらって、ほんとはすごくかなしいんじゃない?でも失いたくなかった。あの居心地の良さを」「俺たちは、ほんとはすごく幸せだったのだ」。奇妙だが今の時代を捉えた絶妙な短編。

「不自然な大人たち」――志津と櫻子は中学生の時からの親友で、何から何まで全て真っ先に連絡し合う仲。見るからに憔悴しきっていた櫻子が「陽太が浮気したの。責めたら帰ってこなくなった。だからもう志津にも会えない」と言う。志津はは大学生の頃から、何人もの男と不倫を繰り返してきた。今も定期的に会っているのが3人も。「わかった。じゃあ、別れてくる」と志津は直ちに動く。こんな凄まじい絆があるとは

「家族の事情」――姉・杏子と弟・亜門は二卵性双生児。似てもいないし性格も違うが、心から補いあい助け合う。「自分には男を見る目がない」と姉が言うように、ほんとにダメ男ばっかりに付き合い、突き落とされ、疲れ果てる。とうとう「私の結婚する相手。亜門が選んで」と言われ、動き始めるが

「砂が落ちきる」――34歳の独身女・真野さん。「一晩あなたを買いたいんです」と男に突拍子もないお願いをする。5年ごとに目標を立てていて、「35歳までに処女を捨てる」がTo Do リストにあると言うのだ。2人の間に化学反応が起きて。この物語だけは他とは違って強い人間関係があるわけではない。だからこその話だが。

夜と男女に絡む短編集だが、その絆の強さは尋常ではなく、ありふれた話ではない。しかし、奇妙にハラハラさせ、心が通じ合い、感動的でさえある。新感覚の魅力ある作品。


toukyourosen.jpg東京は名所・旧跡、歴史の宝庫。作家の西村健氏が路線、バスに乗って、「文豪・もののけ巡り旅」をする。永井荷風の散歩先、「『日和下駄』を歩く」。「鬼平の『墓』と『家』を探せ」「『四谷怪談』のお岩さんは実在した!」「平将門――飛び回る生首が描いた北斗七星をぶらり」の4章からなる。新宿、板橋、台東、文京、中央、北、豊島、足立に住んだり、活動した私として、あまりにも身近。新発見も多く楽しかった。

家の近くの西巣鴨に、「お岩さんの墓」があって驚いた。そういえば、近くに「お岩通り商店会」がある。「鶴屋南北の戯曲は、実在の人物から200年後の作品で、お岩夫婦も怪談話とは大きく異なり、円満だった」「四谷左門町の於岩稲荷(四谷に2)、それが明治に焼失して新川に建てた於岩稲荷田宮神社。そして西巣鴨と4つある」「お岩さんは3人いた。まずは最初の貞女、2番目は嫉妬に狂って出奔した女性。家内では不審なことが続いた。第3の女性の時に、またも不審死が相次いだ。お岩の呪いの噂が再燃し、鶴屋南北が四谷怪談を書き上げた」などが紹介される。興味深い。

永井荷風の「日和下駄」――「森鴎外の屋敷跡を目指す」「牛込御徒町~上野の横とは全く違う」・・・・・・

「鬼平犯科帳」の鬼平は実在の人物。長谷川平蔵宣以(のぶため)。父は火付盗賊改方頭や京都町奉行などを歴任にしたが、本人は風来坊の乱暴者で「本所の銕」と呼ばれた。数々の役職を経た後、天明7 (1773)年に火付盗賊改方に任ぜられる。時に42歳。「鬼平の一族、長谷川家の菩提寺は四谷の戒行寺。現在は長谷川平蔵供養碑がある」「池波正太郎は『そうしたわけで、私は彼の役宅を清水門外に移したのである』と言い、小説上の設定にした。そこには今、千代田区役所がある」「清水門前の役宅、目白台の私邸ではなく、本当の私邸は本所だった」「菊川駅A3出口の前には、墨田区教育委員会による『長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡』の説明板が立っている」

平将門も神田明神を始めとしてあちこちで祀られている。「大蔵省もGHQをも震え上がらせた怨霊⁉︎」「大国主命、ヤマトタケル、将門、道真。北新宿に神々が集う」

楽しいバスによる歴史探訪。


tasukigake.jpg大正から昭和の戦前戦後――。不思議な絆で結ばれた二人の女性の生きる姿を、静かに、心のひだを情感を持って描く感動作。

昭和24(1949)、視力を失った三味線の師匠・ 初衣の家で、住み込み女中として働き始める千代。実は、千代は大正15(1926)、19歳で裕福な家に嫁ぎ、その女中頭が「お初」と名乗っていた初衣。昭和203月の東京大空襲で離れ離れとなっていたのだ。これといった特徴がなく、おっとりして根がのんびりなところのある人の良い千代、元芸者でさんざん苦労もし、酸も甘いも噛み分け何でもできるし優しい初衣。千代が雇い主で初衣が女中というより、むしろ初衣が師匠で千代が弟子というような結びつきであった。

戦時色が次第に濃くなっていく激動の昭和の初め。千代は夫とのぎこちない夫婦関係に悩みを抱える。夫の会社は傾いていき、夫と若い事務職員との間に子供が生まれる。気丈に振る舞うしっかり者の初衣も、芸者時代の自分の密かな行いに悔恨を抱えていた。戦火は日常の生活そのものを奪い取っていく。日本はどうするといった戦争の攻防ではなく、食べ物を確保することに懸命となり、「隣組」で活動する女性の具体的な日常が重みを持って描かれる。そして東京大空襲で街は焼かれ、初衣は火の粉で視力を失う。

そうした2人の女性を中心にしながら、時代に翻弄されながらも助け合って生きていく女性の日常の生活、感情の起伏が描かれる。たんたんと伸びやかに、悲壮感がなく、ぐいぐいと引き込まれる。信頼し合う女性でしか話せないであろう""のこともごく自然に語られる。現実から遊離しない賢い女性の語らいがユーモラスでもあり心地よい。重苦しい時代と男性優位の時代の中で、生き抜いていく女性の姿は靭く尊い。素晴らしい長編小説。


fujiisouta.jpg1011日、王座戦に勝って藤井聡太竜王が212ヶ月で史上初の8冠独占を成し遂げた。優勢であった永瀬拓矢王座が、痛恨の一手で形勢逆転。それをもたらしたのは、AIも予想せぬ一手で永瀬を惑わしミスを誘い出したという。驚くべき印象的な対局だった。その藤井聡太の「心の整え方」「頭の使い方」を師匠である杉本昌隆8段が語る。

将棋の世界でプロになるためには、奨励会に属さなければならない。小学生でアマチュア4段クラスを力を持つ子供たちが試験を受けて入会、研鑽を進めて、3段まで上がると最も厳しい「3段リーグ」が待ち構えており、これを勝ち抜いて4段となり、初めて棋士になれる。しかも年齢制限があり、21歳までに初段、26歳までに4段に上がらないと戦いの場からはじかれてしまうという。厳しい世界だ。AIの申し子とも言われる藤井8冠だが、「彼の指し手は、極めて人間的なもので、AIのパターン認識を超えた創造力といえる」と言う。

「対局前に作戦を立てることを構想というが、ガチガチの構想を築いてしまわず、ひたすら目の前の状況だけに焦点を合わせ柔軟に対応するのが藤井の構想力」「最善手を最速で見抜くスピード。計算のスピードが全く違う」「角と桂馬の使い方が抜群にうまい。対角線、斜めのラインを強く意識させる。駒に角度がある」「リスクを恐れない。相手の駒を呼び込めるだけ呼び込んで、見た目には形勢不利と見せながら、その実、相手方に、もう打つ手のない状況を作り出す(自分の玉を「打ち歩詰め」にしたこともある)」「藤井曲線――相手からリードを奪ったときに、その有利を藤井は絶対に手放さない」「集中力の持続と脳のスタミナがある(集中力の持続力)」「プレッシャー、緊張を前向きに捉え、成功へのエネルギーに変える向上心が平常心を生んでいる」「本物(強い棋士)に触れることで、成長が早まった」「藤井の探究心は『楽しい』の感覚」「棋士は勝負師、研究者、芸術家の3つの顔を持つべきだ(谷川浩司17世名人)

「才能とは、努力を続けられること」とあるが、全くその通りであろう。「藤井聡太は今、100メートル走で言えば、1人だけ9秒台で走った男。1人が10秒の壁を破ると続々と出てくる。将棋界のレベルがさらに上がっていくことを楽しみにしている」と杉本さんは言う。  

<<前の5件

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

私の読書録アーカイブ

上へ