genron.jpg「『知の観客』をつくる」が副題。「数」の論理と資本主義が支配する残酷な世界で、人間が自由であることは可能なのか? 2010年、新たな知的空間を自ら構築しようと、若手論客の雑誌「ゲンロン」を立ち上げる。そしてゲンロンカフェ、ゲンロンスクール、ツアー、動画配信プラットフォームを相次いで開設する。それも、順調とは真逆。悪戦苦闘、挫折、倒産の危機、仲間の離反、計画の頓挫・・・・・・。それをさらけだしたのが本書だが、その中で貫かれた哲学が、現在の社会の弱点、急所を突いている。きわめて刺激的な書となっている。

「資本の蓄積が社会と文化を壊す」「プラットホーム・シラスは、スケール(大規模化)に頼らない。シラスは無料放送もしないし、広告モデルに頼らない。100万人に見られても意味がない。いっときバズルよりも100人の心をしっかり掴む」「有料にすると、公的な発言ではなく『私的な空間でのおしゃべり』という印象になる」「問題は資本の蓄積。それは『スケール』。お金の蓄積が自己目的化し、数に人間が振り回されるようになった時、社会と文化は壊れていく」「今は、資本主義だけでなく、反資本主義や反体制もスケールを追い求めるようになっている。SNSはまさに、反資本主義や反体制の声をスケールさせる装置として使われている。・・・・・・今の時代、本当に反資本主義で反体制であるためには、まずは反スケールでなければならない。・・・・・・だからぼくはゲンロンを『小さい会社』として続けている。そのような活動こそが、本当の意味で反資本主義、反体制的で、オルタナティブな未来を開くと信じている」――。

「ゲンロンが提示するものは、みな基本的に『密』が生み出すもの。例えば飲み会がスクールで重要な役割を果たしていた。飲み会こそがコミュニティーをつくり『観客』をつくる」「オンラインでは、普段では出会わない人と議論できない。普段では出会わない人と会い、議論できるのがゲンロン。観光でも『オンライン観光』は観光ではない。一見して無駄な時間、無駄にこそ価値がある」「権力が反権力か、友か敵かの分割から離れて、自由に人が集まり考えたりする『独立オルタナティブ・インスティテュート』、それがゲンロンの理想」「観客と信者の違いは、商品と貨幣の交換が行われているかどうかによって決まる。観客はあくまで良い商品を買う。友と敵の分割を壊す」「日本の知識人は啓蒙を忘れている。啓蒙とは観客をつくる作業だ。今の日本の知識人は信者ばかりを集めている」・・・・・・。

ネット万能主義、大資本の罠、敵・味方の分断に抗し、オフラインの濃密な対話と思わぬ意識改革のできる自由な知的空間を構築する格闘を見る。


burusitto.jpg「クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか」が副題。「ブルシット・ジョブ(デビィッド・グレーバー、人類学者)」の翻訳者・酒井大阪府大教授が、現実と実態を解き明かす。

ブルシット・ジョブ(BSJ)とは「完全に無意味で、不必要で有害でさえある雇用の形態。しかも当人すらそう感じている。さらにその雇用条件の一環として、当人はそうではないと取り繕わなければならないと感じている」ものだ。グレーバーの分類によれば「取り巻き(誰かを偉そうに見せたり、偉そうな気分を味合わせるだけの仕事。受付やドアマンなど)」「脅し屋(軍隊の人員、ロビイスト、企業弁護士、広報専門家、魅力的でない商品を広め錯覚させる宣伝)」「尻ぬぐい(上司の失敗や間違った指示の後始末の部署、歴史的に見て男性の尻ぬぐいを女性たちがしている、有名建築家の奔放な計画を現場で埋める)」「書類穴埋め人(官僚主義的手続きや書類作成、文書の体裁を良い感じにする報告書作り)」「タスクマスター(不要な無駄な仕事を作り出す上司、経営管理主義)」だ。イギリスでグレーバーは調査し、仕事の37%BSJで、二次的BSJも含めるとすべての労働の50%超に及ぶという。ケインズは、経済が発展すると20世紀末には13時間労働や週15時間労働ですむようになると予言したようだが、外れた。ムダな仕事が作られているからだ。コロナ禍では、はからずもロックダウンという壮大な実験が行われたが、人が動かなくても経済自体はそれほど激減しない。そこにはブルシット・ジョブがある。しかも寄与していなくても高給取りが多く「他者ないし社会への貢献度が高ければ高いほど報酬が低く、貢献度が低ければ低いほど報酬が高くなる」という。しかし、必ずしも幸せを享受していないようだ。無目的に加えて「仕事をしているふりをする」「スマイルを提供するなど人当たりの良い仮面をつくる」などの苦悩、精神的ダメージを受けているともいう。

なぜ無意味な仕事が多すぎるのか。非資本主義社会を重要なフィールドとする人類学者は「人間は果たしてホモエコノミクスか」「金をばらまいて雇用を創出して景気を刺激して成長につなげるというケインズ主義らの『雇用創出イデオロギー』は普遍的か」などの根源的問題を提起する。「いつも働いていなくてはならないとする仕事のための仕事(雇用目的仕事)が、社会主義でもケインズ主義的福祉国家でも中心部分になっている」「日本における『怠け者』に見られたくないという精神的呪縛の強さ」「豊かな社会が最小の労働と最大の余暇とすれば、大昔の人たちはそうしている」「ネオリベラリズム(新自由主義)と官僚制(お役所仕事) は好相性であるという根深い問題」「中間管理職、管理に関わる仕事が増大している」「BSJとシット・ジョブ(3K)は正反対」「必要不可欠なエッセンシャルワークの逆説(給与も低い) (社会的価値と市場価値)」など根源的問題を抉り出していく。

BSJ現象は、実は働くとは何かという人間と現代社会の価値観の相対化と変更という大問題をボディ深く打ち込んでいる。


puroyakyuu.jpgプロ野球審判生活29年、通算出場2414試合、そのなかから70のエピソードを語る。審判という立場から見た選手たち。興味深い。

「館山昌平はボールにこだわり、ボールの芯のズレを見抜いた。だからボール交換の要求が一番多かった」「3種類のフォークボールを投げ分けた上原浩治。コントロール抜群で四球は驚異的に少なかった」「打たせて取るピッチャーのお手本は吉見一起」「日本で一番ロジンバッグを使う石川雅規踏襲」「山井投手から岩瀬投手への継投はそうなると思った」「世界一のキャッチャー・谷繁元信」「レーザービームNo.1は現在オリックス監督の中島聡捕手」「守備範囲が2倍あった荒木雅博、一塁手のウッズの分まで捕った」「機敏で柔らかなグラブさばきの中村紀洋は最高だった」「広岡タイプで確実にアウトにすればいいという考えの井端弘和は意外とゆっくり1塁へ投げた」「トリックプレーを流行らせた福留康介」「外野のポジショニングといえば新庄剛志」「フライを補球する天才・飯田哲也、1993年の日本シリーズでの飯田のバックホームは、野村監督も俺の3冠王よりもすごいと言っていた」「ボールにバットをミートさせた時に焦げた匂いがした松井秀喜、広澤克実」「審判の体調を気遣う人間性の持ち主・大谷翔平」「日本人メジャーリーガーで内野手はなかなか成功しない。ランナーの当たりの強さが半端じゃない」・・・・・・。

大魔神・佐々木のフォークボールの落差も審判からは見えるという。乱闘とかビデオ検証「リクエスト制度」の功罪にも触れている。


higasisina.jpg「漁民たちの国境紛争」が副題。漁業を通じて国際情勢の最前線、尖閣諸島のある東シナ海、日中台の国境紛争の現実を描き出す漁業経済学者による生々しい著作。「尖閣諸島の唯一の産業である漁業」の現実から見ると、東シナ海漁業が追い詰められ、日本の東シナ海権益が削られ、中国の漁業が著しく発展し、台湾漁業のプレゼンスが急拡大している危機感が迫ってくる。著者は日本漁業のリアルに接近し、国を挙げて打開しないと大変なことになると「漁業国有化論」を指し示す。

「東シナ海は、日本の運命を握る海にもかかわらず、課題は山積している」「日本の排他的経済水域(EEZ)は世界有数とされるが、東シナ海では関係国と相互承認している日本のEEZはほとんどない」「東シナ海だけではない。日本海でも、オホーツク海でも水域の画定はされていない」「中国漁船は条約に基づいて自由に操業。日本漁船の操業実績は落ち込んでおり、危機的状況だ」「東シナ海から駆逐される日本船団」「日本の漁業者は尖閣漁場でも追い詰められている(どんなに苦労して操業しているか)」「東シナ海で増す中国・台湾の存在感」「遠洋漁業は『流動的国土』。中国は遠洋漁業強国となった」「日台の漁業交渉で台湾側は尖閣諸島をめぐる問題について目をつむるが、代わりにこれまで利用できなかった優良な海域での操業権を獲得した」「尖閣漁場を失う八重山と九州の漁業者」・・・・・・。

「衰退する日本の漁業・漁村、遠洋漁業も沖合・沿岸漁業も疲弊」「人材も、1993年に32万人いた漁業就業者は2018年に15万人。外国人労働力に依存し、インドネシア人が日本漁業を支えている」「東シナ海の軍事化と『第二の海軍』の膨張。踏ん張る海上保安庁」「国境産業は国家の化粧である。国勢を推し量るリトマス試験紙ともなる。漁業は第三の海軍でもある」・・・・・・。

海洋国家・日本における漁業は、国民に食料を供給する使命とともに、安全保障に直結する産業であるとの認識が共有されなければならない。国民的議論を「日本漁業国有化論」として正面から行う必要があると訴える。


soujiki.jpg訳者の岸本佐知子さんはいう。「ルシア・ベルリンの名を知ったのは今から十数年前・・・・・・。一読して打ちのめされた。なんなんだこれは、と思った。聞いたことのない声、心を直に揺さぶってくる強い声だった。行ったことのないチリやメキシコやアリゾナの空気が、色が、においが、ありありと感じられた。見知らぬ人々の苛烈な人生がくっきりと立ち上がってきた。彼らがすぐ目の前にいて、こちらに直接語りかけてくるようだった」と。とてもこんなにうまく表現できないので引用させていただいた。全くその通り。人生の起伏が、大いなる振幅が、感情豊かに、しかもラップのようなリズムで迫ってくる衝撃作だ。彼女の作品の多くは彼女の実人生に基づいているが、小説なのか実際なのかがよくわからない。それ以上に圧倒的な迫力でどっちでも良いと思ってしまう。

ルシア・ベルリンは1936年アラスカ生まれ。鉱山技師だった父親の仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす。3回の結婚と離婚を経て4人の息子を育てる。その間、学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手などをして働くが、アルコール依存症にも苦しむ。数少ない短編小説の中で、本書はその中の24の小説を選んでいる。いずれもこれほどの躍動感、洞察力、迫力、詩情、したたかな生命力、むき出しの言葉とユーモアはないと思わせる作品ばかりだ。とにかく庶民の泣き笑い、ズルさや怠惰、たくましさや怒り、死に直面する恐怖と寂寥が激しく迫ってくる。それらは、今の時代に最も欠け、隠蔽されているように思える。同時代を生きた者の一人として、感じることも多く、また日本と違って、荒々しい米国、チリ、メキシコの生々しい生活の実態に抱え込まれる。リズムある訳の素晴らしさにも感動する。拍手。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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