昭和20年生まれの私は、関川さんより4つ上。まさにどっぷり、昭和を生きてきた。短いエッセイの数々は、自分の記憶をくっきりと再生させてくれた。「昭和人間」の心を懐かしく膨らませてくれた。まさに味わい深い、人生を時空で引っ張り、今へ投射してくれる良書。人物にしても、事象についても的確で本質的で見事、それに注ぐまなざしが暖かい。南伸坊さんの絵がまた素晴らしい。写真では全く及ばない、奥行きのある昭和の世界に誘ってくれる。
「山田風太郎の長寿祝い(昭和45年の65歳以上は7%、今は30%超)」「黒澤明の『姿三四郎』は速度感に満ちて明るかった。『影武者』のとき黒澤は70歳、全く速度がない。老いたのである」「三島由紀夫は、鶴田浩二の『我慢』の芝居に共感する(我慢の美しさと辛抱)」――時代劇やヤクザ映画をよく観たものだ。
「昭和的汽車旅・電車旅(松本清張原作、野村芳太郎の「張込み」)」「『天国と地獄』の大胆な列車内撮影」「元美人革命家(重信房子)の半世紀(テルアビブ・リッダ空港乱射事件の奥平剛士は、私の大学同級生だった)」「最近愛読している昭和8年発行の教科書地図帳(ヒトラー首相、日本の国際連盟脱退、大英帝国は世界総人口の5分の1強、日本も現在の1.8倍の面積)」「クレージーキャッツの『ぜにのないやつ・・・・・・』『スーダラ節』」・・・・・・。まさに昭和。「70年代はがさつではあったが勢いがあって『意地悪』な年配者の存在を許さないほど多忙であった」と言う。
「『倍速』で見てもいいですか? 何を生意気な。小津安二郎にスピード感を求めてどうする(セリフとセリフの『間』こそ大切)」「黒澤明の第二作『一番美しく』と女子挺身隊」「無着成恭と『やまびこ学校』(戦後初期の貧しさと明るさ)」――確かに貧しかったが明るさがあった。「3丁目の夕日」でも「何もなかった」時代だったが、「何か」があった。忙しかったが、タイパ・コスパではない「ゆったりした時間」「間」があった。
「プロ野球」――。1950年誕生の大洋ホエールズ、三原マジックと秋山や桑田、金田、長嶋、王、村山、バッキー、引退後の村田や門田・・・・・・。「男は外で働いて家族を養う。その代わり家の中のことは一切しない」という昭和を引きずる男の人生には「引退後の悲しさ・悲劇」がある。
「本田靖春の山谷潜入」「昭和39年の東京オリンピックの閉会式」「第4次中東戦争とオイル・ショック。その昭和48年8月30日が三菱重工本社ビル爆破事件、その2日後に多摩川の堤防決壊で家が流されるテレビ中継」「渥美風天(清)の俳句」・・・・・・。
昭和100年の今年。戦争までの20年とその後80年・・・・・・。役人や企業でも、「昭和入省はもうほとんど、全くというほどいない」のが今だ。「昭和は遠くなりにけり」だが、この心身ともに「昭和」でつくられている。良いも悪いもない。「今」だ。あっ、これも「昭和」か?
