「江戸から令和の迷信と日本社会」が副題。今年は丙午。60年前の1966年(昭和41年)は本当にガクッと人口が減っている。団塊ジュニア世代は、1971年(昭和46年)~1975年 (昭和50年)で人口増となっているが、その前の丙午の時だけ136.0万人で、前年比でなんと46、3万人減。たった1年だけ丙午の迷信で減っているのだ。
「丙午の女性は、気性が激しい、7人の夫を食い殺す、嫁ぎ先に災いをもたらす・・・・・・」は、なぜ起きたのか。はじまりは八百屋お七。江戸期最初の丙午は1606(慶長11)年、八百屋お七はこの年の生まれ。彼女の犯した天和の大火(1682年)はお七16歳の時だった。井原西鶴の「好色五人女」(1686年)で扱われ、坂本冬美の「夜桜お七」に至る。
その次は享保の丙午(1726年)、夫を次々食い殺すという俗説で、「丙午の女性は再婚を繰り返す」という風聞が、ちょうど川柳が流行って次々流された。そして次の天明の丙午(1786年)は、大飢饉の中にあり、次子以降は子流しや間引きの口実に使われた。弘化の丙午(1846年)、明治の丙午(1906年)も迷信が、社会通念、社会常識が草の根まで広がり、婚姻、出生両面にわたって明確な実態を持つようになったと言う。
明治の丙午は日露戦争直後で多く生まれたが、女児の届出操作がかなり行われたと言う。ちょうど経済も悪くなる昭和の初めに結婚期にあたり、縁談が破れ自殺が相次いだと言う。結局著者は、「迷信が拡大したのは、男尊女卑、儒教的家族観に基づく封建制度の旧来秩序、すなわち家父長制を維持する働きを持っていたためだ」と言う。
さて昭和の1966年の丙午----。「前年からの過熱報道(週刊誌なども)」「第一子が多い(第二子の出生がずらされた)」「苦しんだ前の世代がまだ生きていた」「主な手段は受胎調節」などを指摘。「このときの想定を上回る大出生減は、計画出産の合理性と、受胎調節の正しい知識が、密かに浸透していたところに、それを試みる絶好の契機として、『ひのえうま』というメディアトレンドの注目キーワードが『降臨』したためにもたらされた現象だった」と言う。
しかし、この丙午の女性は、財前直見、小泉今日子、松本明子、鈴木保奈美、斉藤由貴、秋篠宮紀子妃、酒井順子、国生さゆり・・・・・・。活躍しており、しかも人数が少なく、高校・大学受験も有利で、大学就職期は就職は絶好調の時代で恵まれた。後の世代の就職氷河期の人とは全く違う「バブル世代」である。
まさに「禍福は糾える縄の如し」。「令和のひのえうまでは、大規模な出生減が生じる可能性は極めて低いと断言できる」「もはやひのえうまの出生減すら起こせないほどの少子化状況にあるということを図らずも描き出している」と結んでいる。
