昨年秋に放送されたNHKシリーズ。「国文学、民族学を通じて日本を、日本文化を見つめた巨人・折口信夫(1887~1953)」をあらゆる方向から描き出す。まさに凄まじい巨人だ。
欧米の文明・文化を急速度に受容した明治日本。しかしそのなかで、1900年を前後して、「日本とは、日本人とは」を問いかけ、世界に発信した知識人がいた。内村鑑三の「代表的日本人」(1894年)、新渡戸稲造の「武士道」(1899年)、岡倉天心の「茶の本」(1906年)、そして牧口常三郎(後に創価学会初代会長)の「人生地理学」(1903年)。これを日本文化論の第一世代とすれば、「鈴木大拙、和辻哲郎、柳田國男、折口信夫が第二世代」「彼らは上層よりも下層部の人々の生活を、都市よりも田舎の人々の生活を中心とした日本文化研究を行った」と言う。それは「近代の学問が止めどもなく細分化する『切り裂く知性』なのに対し、人格形成の『包み込む知性』」であり、折口信夫は国文学研究、民族学研究、芸能研究、宗教研究、神道研究、さらに釈迢空の名の歌人であり、小説も珠玉の評論もする巨人であった。それはいずれも、神と人との関係を観察してゆくことである。また宗教文化を肯定的に捉えるものであり、日本の伝統文化を無視して進む近代社会への抗議者でもあった。
「日本で最初の『万葉集』の全口語訳の人で、歌の数は4516首、全20巻に及ぶ。声に出して読むと、歌舞伎の台詞のように面白く、しかも借金を返すためにやったというから度肝を抜く。
柳田國男の「祖霊」論と折口信夫の「まれびと」論の激突が紹介される。祭りも芸能も他界、「あの世」からやってくる「まれびと」、常在しない外部から来る神様をもてなすという行為から生まれる文化だと言う。
「かそけき詩人、怒りの詩人」「常に弱者の側に立つ人(反権力的なスタンス)(アラヒトガミ事件)」「異端的知性のアイドルになっていった人」「大阪のボン、都会の趣味人」「愛に生き、羽咋に眠る人(石川県羽咋市に墓)」「日本的なるものを求めた人(日本文化は外国文化を受け入れて、自分たちの生活や思考、感覚に合わせるよう改善する文化)」「折口信夫の残した遺産」・・・・・・。まさに巨人だ。
