1787147848121.jpg女たちが見つめた豊臣家の栄枯盛衰。本書は豊臣「王朝」を生み出した秀吉の生母「大政所」から始まり、最後まで豊臣家が生き残る道を模索して努力した常高院(浅井初)で締めくくる。

軸となるのは秀吉の母「大政所」、最初からの妻「浅野寧」、関白秀次を産んだ姉「智」、妹で家康の妻にさせられるる旭、そして弟秀長の妻子だ。さらにもう一つ軸となるのが茶々、初、江の浅井三姉妹。初は京極高次の妻となり、後に常高院と号し豊臣と徳川の橋渡しとなり、晩年は妹の江亡きあと徳川将軍家の大奥でも重きを成した。末娘の江は寡婦となったが、秀吉が養女として徳川秀忠に嫁がせた。秀吉の婚姻戦略の大事な駒で、秀忠より7歳年上だった。本書では「徳川は一夫一妻(秀吉の時代は一夫多妻で皆妻、徳川は妾)」「秀忠と江との夫婦仲は良かった」「江は家光の実母ではなかったが母として接し、家光を江の子として育てた」と厳密な研究の下に語る。

俗説を次々と正す。「受け身の姿で描かれがちな旭だが、豊臣と徳川との仲立ちを主体的に努めていたのである」「寧と茶々は、対立関係にあったと描かれがちだが、ニ人の関係の基調は『連携』にあり、対立どころか連携して豊臣家の女性たちを守ろうとしていた」「秀頼は茶々が大野治長と密通してできた不義の子だとする噂があったのは事実だが、しかしこれは根も葉もない噂に過ぎない」などが論証される。

秀吉には多くの妻がいた。最初の妻は浅野寧。そして茶々。姫路(織田信包の娘)、最大の寵愛を受けた妻・京極龍、妙顕寺城天守に置かれた三の丸に住んだ織田信長の娘「三の丸(殿・様)」。伏見城では、本丸に浅野寧、西の丸に浅井茶々、松の丸に京極龍、三の丸に織田氏。さらに金沢で前田摩訶・豪姉妹を得た。「これは秀吉の女狂いと言うよりは、もはやロリータ・コンプレックスと言うべき様相を呈している」と言う。秀吉の秘蔵の娘・前田豪は宇喜多秀家の妻となる。また小早川秀秋は3歳で秀吉の養子になった寧の甥だ。

本書で、極めて興味深かったのは「豊臣家を支えた奥女中たち」だ。奥女中の筆頭は孝蔵主(こうぞうす)。豊臣家と徳川家に仕えた女傑。秀吉の辞世の句(露と落ち 露と消えにし わがみかな 難波のことも 夢のまた夢)を預けたのは孝蔵主で、それほど彼女を深く信頼していたという。秀吉への取次は表は浅野長政、奥は孝蔵主と言うし、関白秀次も彼女を頼りにした。家康は豊臣家の老女として培った人脈と力量を自陣に引き入れようと江戸に下らせた。秀忠は彼女を大切にした。続くナンバーツーは「ちゃあ」。「関ヶ原合戦」まで浅野寧を支えたのが「東」と「こや」。東は大谷吉継の母。寧は実母の朝日も大切に敬い、豊臣家の奥向の「総締まり」の役割を果たした。秀吉と朝日は不仲だったとされるが、決して疎遠ではなかったと言う。

最後に「大阪の陣をめぐる女たちの攻防」が描かれ、茶々2人の乳母「大蔵卿」と「南」、茶々付きの老女「ニ位」、浅井家出身の老女「海津」と「饗庭」などが紹介される。男の世界であった戦国時代に、しっかり者で、配慮も状況把握もできる女性たちが命がけで支えていたことが浮き彫りにされる。

無名の「女たち」は、苛烈な時代を耐えて踏ん張ったようだ。本書の女たちは栄耀栄華の中の悲哀と苦難だが、戦乱に翻弄され続けた貧しき庶民の女たちは、どれほどの大変さの中で暮らしたのだろうか。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ