kokorogayutakani.jpgふだん何気なく使っていた言葉の意味がわかる。「言葉の解説」の本は多いが、この本は言葉の成り立ち、そこに込められた日本文化の知恵や信仰心、自然との触れ合い、季節の変化の中で、緩やかで優しい日本伝来の言葉の成り立ちがふわっと湧き上がってくる。とてもいい本。

「もみじ――もみず、揉んで出る」「縞の模様――南の島から来た、島もの」「ため息――溜める」「炊きたて――その動作が終わった直後」「打ち合わせ――雅楽の世界で太鼓などを打つ音に笛や琴が合わせる」「ついたち――月が立つ」「しおり――枝折リ」「わかる――分かる、頭の中で整理して分岐して別々になる」「いただきます、ごちそうさま」「暮らし――日が暮れるまで時を過ごす、日暮れは毎日やってくる」「住む――澄む、安心して休むことができて頭の中が澄む状態」「いらいら――心にトゲ」「道――みは敬意を表す接頭語。自分たちが歩く筋状の土地は『ち』。大切な場所へ通じる道、道は目的地に至るコース。コースがわかる、分岐点のたびに選ぶもの」----

「行ってきますと、行ってらっしゃい」「ふんわり、ひんやり――溜めを作る、ん」「おおやけ――三宅の宅()、大きな家」「みずみずしい――水を使って命の輝きを表現」「謎――この世はわからないことだらけ、なんぞなんぞの好奇心」「生きがい――代わり、代わりに得る効果や報酬」「正しい――ただから生まれた言葉。そっくりそのままで他のものが入り込んでいない」「ゆるす――漢字の許すは厳しすぎるので、日本語では『心をゆるめる』と、心を広げる人生のヒント」「すみませんと、ごめんなさい――借りを返せず気が済みません。免じるがごめん。おゆるしください。ごめんなさいは和解の言葉」「大丈夫――立派な大人。多くの日本人にとって、濁点がついている文字の発音は、重く強く響く。ゴロゴロ、ビュービュー、だいじょうぶ」「怒りんぼう、甘えんぼう――僧侶が住む坊。可愛さを表す言葉」「あきらめる――明らかにする」・・・・・・。

ごく普通に使っていた言葉だが、なんと美しく味わいがあることか。どんどん言葉がおかしくなっている今、こんな本を若者も大人も読んだらどうかなと思う。


saigairettou.jpg「女川町の奇跡 防潮堤のない復興まちづくり」が副題。東京都で道路、橋梁、下水道、まちづくり、河川事業などに従事。特に都市計画・区画整理、スーパー堤防などを現場に入りながら実現してきた土木の専門家の土屋信行氏。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた女川町に入り、「海の見えるまちづくり」「町をまるごと区画整理」「被災した市町村の中で唯一の防潮堤のない町・女川」を造り上げた。防潮堤の後背地を低いままで非居住エリアとするところが多いが、女川町は防潮堤と同じ高さまで盛り土をして商業ゾーンを築く。基準となる「L 1(レベル1)」の高さのスーパー堤防方式で街を造り、住まいの住宅はレベル2の高台に造る。女川町ではレベル14.4メートル、レベル21718メートルとなる。当時、防潮堤はレベル1を基準として各市町村で高さを決め、高台まちづくりは防災集団移転促進事業で行い、高齢者に配慮した災害公営住宅をできるだけ早く造る、これが基本であった。土地区画整理事業には、困難が多い。スーパー堤防でも、はなから反対、とにかく反対だというところから始まってしまう。完成すれば喜びと感謝が溢れるものだが、地元の方の人生を賭けた選択と決断、支援があってできるものだ。「女川町の防潮堤のない復興まちづくり」ができたのは土屋さんの経験に基づくリーダーシップと、それに応じた女川町の人々の熱意によるものであることは間違いない。どれほど困難な項目があり乗り越えてきたか、本書は貴重な記録である。

「災害列島の作法」が表題だが、古来から近代に至るまでの自然との戦いの中で培われた知恵と技術が日本にはある。防災の作法、まちづくりの作法、河川をなだめいなすという日本伝来の作法等があり、本書に書かれている。土木はシビルエンジニアリングといい、社会のため未来のために、ひたすら尽くす。それが誇りだ。私も土木屋の一人だが、苦労と志に共感する。


miraino.jpg「サイエンスの世界にようこそ」「科学は人の営み」「こんなに楽しい職業はない」「サイエンスは社会的な存在である」――。ノーベル賞等を受賞、基礎科学の第一線を走ってきた研究者の2人が語り合う。

「こんな役に立たない研究をしていていいんでしょうか」「失敗しないためにはどうすればいいですか」――今の社会は、「成果」が求められ、しかも短期で、どの分野でも。この風潮こそ最大の問題と警鐘を鳴らす。「こんなに楽しい職業はない」「研究者の醍醐味――世界で自分だけが知っている」「研究は面白いから、選択は面白い方を」「一番乗りよりも誰もやっていない新しいことを」「効率化し高速化した現代で、待つことが苦手になった私たち」「安全志向の殻を破る」「解くではなく問うを」「科学を文化に」と語り合う。社会も企業経営も大学などの研究も、短期の成果を求めるようになっている。株主資本主義も大学などの研究費削減も、短期の成果をますます求めている。日本の基礎研究が細る所以である。すべてに余裕がなくなっているのだ。「役に立つ」の呪縛から飛び立とう、と様々な角度から強調する。

寺田寅彦は「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない。しかし一方でまた『科学者はあたまが悪くなくてはいけない』という命題も、ある意味ではやはり本当である」と言ったという。「いわゆる頭のいい人は、いわば足の速い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道端あるいはちょっとした脇道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪いのろい人がずっと後から遅れてきて、わけもなくその大事な宝物を拾っていく場合がある」「頭のいい人は見通しが利くだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡される。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である」「頭の悪い人は、頭の良い人が考えて、だめに決まっているような試みを、一生懸命に続けている・・・・・・」と面白いことを言っている。また永田さんは「よいお友達というより『へンな奴』を友人に持つほうがはるかに面白いと思っている。へンな奴とは、自分にはないものを持っている奴ということでもある」と語る。大隅さんは、鷲田清一氏が紹介している言葉を引き、「ちょっと変わったヤツが必要なんですよ。優等生ばかりを集めていてもいい酒になりません。ブレンドウィスキーはいろいろな原酒を混ぜて造る。その時欠点のない原酒ばかり集めて造っても、『線が細い』ものにしかならないが、変わり者が混じることで初めて、ハッとするいいお酒ができるというのだ。研究者の世界と同じだと思わずうなずいてしまった」と言う。面白い話だ。「科学の価値も、芸術やスポーツ等と同じように、役に立つかという視点ではなく、未知のことが解明されることを人類の共通の資産として純粋に楽しむ社会であって欲しいと思う。私が『科学を文化の一つに』と考える真意である」とも言う。そして繰り返し「『役に立つ』との呪縛を解き放ち、知的好奇心から出てくるものが基礎科学だと思う」と二人は言う。社会の厚み、人間存在の深さが、基礎研究だけでなく試されている。


rekisito.jpg「日韓問題――対立から対話へ」が副題。本書の思いは「なぜ韓国に謝罪が届かないのか」という問いかけだ。その対立の原因や背景を分析し、関係改善を提言する書。「冷戦崩壊と日韓関係」「元徴用工訴訟問題」「慰安婦問題」「日韓併合・日韓協定」「歴史との向き合い方」の5章からなる。

この30年、韓国では「加害者」日本は何ら謝罪も補償もないという声が勢いを増したという。386世代といわれる民主化闘争世代が1980年代、民衆意識で武装した市民として登場する。「民主化闘争は、多くの市民をリベラル化し、革新・進歩的な様々な価値観の植え付けにも寄与した」「慰安婦問題や元徴用工問題など、歴史認識運動に関わった人々が、意見の異なる人を『歴史修正主義者』『反歴史的』として非難。その力が極大化したのが日韓合意をめぐる反対運動だった」「(過去に関して)謝罪も補償もしない責任逃れの日本というイメージが1990年代以降、韓国の人々の間に定着してしまった。様々な研究・認識が生産され、日韓併合不法論などの解釈が、メディアなどを通して拡散・定着してきたことこそが、韓国の現在の対日認識や自己認識を作った」「1965年の日韓基本条約を不十分なものだとする認識も、古くからのものではない。社会全体の認識として広く定着したのはやはり1990年代以降のことといっていい」「そうした1990年代以降の『時代の推移』こそが現在の対立と葛藤を生み出してもいる」と言う。

2018年のいわゆる元徴用工判決は、1990年代に本格化した日韓併合不法論や日韓基本条約不十分論に基づいている。新日鉄住金に命じているのが未払い賃金ではなく『慰謝料』の支払いである理由も、こうした1990年代の認識にある(すれ違う日韓の意識)」「企業を被告とするものだが、徴用とは明らかに日本『国家』が主導したものである」「危険な炭鉱が朝鮮人徴用者の作業場だった」。日本は「慰安婦問題も含め、日韓間の財産・請求権の問題は、1965年の日韓請求権・経済協力協定で完全かつ最終的に解決済み」「2015年の日韓合意において『最終的かつ不可逆的な解決』が日韓両政府の間で確認されている」としているが、著者は「日本政府が訴訟自体を相手にしなかったため、韓国の人々には単に韓国を無視した傲慢な行為としてのみ映った。日本は一度も謝罪も補償もしていないと思い込んできた人々に、さらなる悪印象を与えたのである」と言う。そして「慰安婦問題は、事態を正確に把握しないまま、国家責任のみを問い、しかもひたすら『法』に依存して問うたため様々な問題が起きた」「被害者中心主義から代弁者中心主義ヘ、事実よりも運動優先となった」「慰安婦問題の政治化が正しい理解を拒ませ、植民地への理解不足が慰安婦問題理解を遅らせた」と指摘する。

そして「和解を成し遂げるために日韓がなすべきこととは」「事実の背後を見ることの大切さ」「日本は平和国家としての歩みを知ってもらう努力を」などを語る。


rupo.jpg「私が思うに国語力とは、社会と言う荒波に向かって漕ぎ出すのに必要な『心の船』だ。語彙という名の燃料によって、情緒力、想像力、論理的思考力をフル回転させ、適切な方向にコントロールするからこそ大海を渡ることができる。ネットカフェ難民にせよ、ホームレスにせよ、最底辺風俗嬢にせよ、私が取材で出会ったのは、十分な言葉を持たず、自らの心の船を適切に操ることのできない人たちだった。想像し、考え、表現するための言葉を奪われた人々だ」「日本の国力の低下を嘆く声が、国語力の脆弱さと深く関わっているように思えてならないのだ。日本の病理――コミュ障、孤立、炎上、ヘイト、陰謀論など現代を象徴する社会課題は、国語力の弱さなしには説明し得ない」「世界が以前と比べてどれだけ複雑になり、高いコミュニケーション能力が求められるようになっているのか。家庭格差の中で子供たちの内面でどんなことが起きているのか。学校が教育を通して十分な国語力を続けられない原因は何なのか。子供たちを取り巻くネットの言語空間はどのようなものなのか。それらの問題を正確に見つめた上で、家庭での親の接し方、学校のあり方、ネットの使い方を見直す時期に来ているのではないか」――。考える力、感じる力、想像する力、語り合う力、表現する力たる国語力をいかに回復させるか、複雑化しネットなどの情報洪水の中でどう生き抜いていくかのベースになる国語力再生への飽くなき挑戦の迫真のルポだ。

問題となっているのは「家庭環境でのつまずき、家庭格差が言葉の発達を阻害している」「学校が国語力を失わせている。ゆとり教育や社会が求める欲求の肥大化、降り注ぐ新しい指導に翻弄される学校」「ネット、SNS言語の侵略。熊本県インスタいじめ自殺事件で少女を死に追いやった言葉」「19万人の不登校児を救え――フリースクールでの再生」「ゲーム世界から子供を奪還する――ネット依存からの脱却」「非行少年の心に色彩を与える――少年院の言語回復プログラム」「文庫丸ごと一冊の精読で画期的な成果を上げる全人的な教育」「答えのない問いが他者への想像力を鍛える哲学対話」・・・・・・。あきらめることなく挑戦している実例を示す。自然と触れ、ディスカッションをしたり、言葉を使って演じたり、書かせていく。

そしていう。「私は、こうした取り組みは野に芽を出したばかりの植物に、その日の天候に応じて少しずつ水を与えるようなものだと思う。小さな芽が、10年後に樹木となってどんな花を咲かせるのかはわからない。だが、新芽に対してやらなければならないのは、新しい化学肥料を次から次に与えることではなく、将来どんな強い風や激しい雨に襲われても、それに負けない太い根と幹を丹念に育てることだ。そんな木がたくさん根を張る森は決して地滑りを起こしたりはしない」――。丁寧に丁寧に、大事に大事に、樹木や植物を育てるように、それ以上に愛情もって子供を育てる。それはできると石井さんは言う。

 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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