喧騒の現代社会には鬱積が満ちている。心の中にこもり積もった感情と衝動が、間欠泉のように吹き上げる。不安定なデリケートでセンシティブな社会の進展とともに、「止められない衝動」「何かへの依存、依存症?」が生まれる。それを6編としてまとめている。
「呼ぶ骨」――置き引きをしたくてしたくてたまらない。突き上げるように震える手が、そのモノに「呼ばれる」ように感じ、動いてしまう。ある時は、それがお骨だった。「燃える息」――物心ついた頃からガソリンの匂いに魅せられた。あのツンとした刺激臭に出会うと不思議と心が落ち着く苅田灯馬。ある時、同類のガソリン女・須賀ほのかに出会う。「ジューンブライド・バナナパフェ」―― 結婚式でエレガントなウェディングドレスを着たいとダイエットを決意した守口芙美香。運動していると脳内麻薬物質でも生まれるのか、苦しい恍惚感が肉体の変化という確かな結果に裏打ちされて更に増幅していく。「疲れる以上に快感」と思っているが、身体は悲鳴をあげる。
「鈴木さんのこだわり」――交通事故で夫の保険金が相当入った母親が、異様なほどに高級化粧品等を買い続ける。整形を繰り返していた息子・善太は、「善太の友人」と嘘をついて毎週、母親の下に通う。化粧品にハマる母、整形にハマる息子。
「21周6日」――電車通学で痴漢にあった後、とにかく「搔きたい。掻きむしりたい」と無意識に手が動き皮膚を剥がしていく垣内江麻。心配してくれた間宮千春は、妊娠していた。痴漢にあい苦しみを隠している高校生と妊娠を隠している高校生の二人の葛藤。 「ファントム・バイブレーション」・・・・・・スマホ依存。震えてないのにスマホの振動を感じたり、鳴ってない着信音が聞こえるファントム・バイブレーション・シンドローム。1日中、SNS。「いいね」が欲しい。「人生を無駄にしているのではないか」「スマホ生活を仕切り直すチャンスをどうつかむか」。大変な時代となっている。
吉原を中心として「遊郭とは何であったか」「遊郭の歴史」を語る。庶民の厳しい暮らしと夢・歓びが同居した遊郭の生々しい姿が、解説される。
「遊郭は、家族が生き残るために、女性を『前借金』として誰も選びたくない仕事に差し出す制度だった」。しかし、「大正・昭和の吉原のイメージから、単なる娼婦の集まる場所と考えるのは誤解です。遊郭は日本文化の集積地でした。書、和歌、俳句、三味線、唄、踊り、琴、茶の湯、生け花、漢詩、着物、日本髪、櫛かんざし、香、草履や駒下駄、年中行事の実施、日本料理、日本酒、日本語の文章による巻紙の手紙の文化、そして遊郭言葉の創出など、平安時代以来続いてきた日本文化を新たに、いくぶん極端に様式化された空間」という二面性をもつ。その両面を、遊廓という空間に抱え込んだ非日常の夢・歓びの空間に仕上げたのだ。それを踏まえたうえで「遊郭は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」という。
「遊郭より遊女の存在は古く、遊女は芸能者であり、昼に美声を聞かせ、夜には呼ばれて床入りする」「女かぶきの禁止と吉原遊郭の誕生(1617年、幕府公認の元吉原)」「遊女とはどんな人たちか?――なぜ"心中もの"が流行したのか?」「男女の『色道』と吉原文化――江戸のいい男といい女、出版文化が演出した遊郭・遊女」「吉原遊郭の365日――吉原は演出された劇場都市」「近代以降の吉原遊廓――マリア・ルス号事件と芸娼妓解放令(明治5年)、にごりえとたけくらべ、遊郭社会の拡大と吉原の凋落(江戸文化の消滅)」・・・・・・。
「ジェンダーの問題とは、女性そのものの問題ではなく、『女性を道具とみなす』『女性を性対象としてしか見ない』という男性たちの問題。戦争時に極端に現れるが、平常時でも同様、今日まで続いている」とし、「家族の多様性」「追い詰められない家族」「正月も桜の祭り、諸行事も、茶の湯や着物、踊りも歌舞伎ももう一度生活に取り戻す」・・・・・・。大変意義深い書。
「資源争奪の世界史」が表題だが、「世界は資源争奪の歴史であった」ことが鮮やかにわかる。最初の資源はスパイス。コロンブス、バスコ・ダ・ガマ、マゼラン。それがポルトガル、スペイン、オランダ、それにイギリスが加わり、東インド会社設立を始めとする植民地争奪戦となり、勢い本国の戦いとなっていく。「石炭の登場」は森林破壊を防ぎ、イギリスの産業革命を起こす。石炭は蒸気船、蒸気機関車を生み日本にはペリーが来航する。そして19世紀後半から一攫千金のオイルラッシュだ。ロックフェラーが石油に目をつけ、いよいよガソリン車の登場。石油争奪は第一次、第二次世界大戦を左右した。2000年代はシェールガス革命だ。そして地球温暖化問題、SDGsの登場。蒸気機関、電気、コンピュータ、それに続くICT活用のインダストリー4.0は、エネルギー、資源の角度で見れば、まさに今新しい世界史に突入する歴史的な分岐点に立っているということがよくわかる。それを鮮やかに浮き彫りにしているのが本書である。
COP26のグラスゴ一合意を見ても、脱石炭・脱化石燃料、再生エネルギーへの加速、EV・自動運転への大転換は「大戦争」といってよい。世界は激震の中にあり、「エネルギー転換とサーキュラーエコノミーの構築が目指すものは、化石燃料依存から再生可能エネルギー利用に転換し、天然資源ではなく再生資源を循環させる経済モデルを構築するステージに突入している」「明確なゲームチェンジであり、チャンスだ」「日本には世界一の都市鉱山がある。日本は太陽光発電産業を牽引してきた歴史があり、高いエネルギー変換率の太陽光パネルを製造するなど再生可能エネルギー分野の高度な技術を持っている」「IoEの重要な要素となるV2Gでは、日本のチャデモが唯一実用化されているEVの急速充電設備だ(エネルギーシステムの一部となるEV)」「中国の台頭著しいリチウムイオン電池だが、そもそもリチウムイオン電池を開発したのは日本であり、注目の全固定リチウムイオン電池の開発でも特許保有など先んじている」「レアアースの一種であるジスプロシウムを一切使わないネオジム磁石をホンダが開発している」「水素の燃料電池車(FC V)のミライを送り出したのも日本だ」「浮体式洋上風力発電は世界6位の海洋面積に囲まれた日本には有力な再生エネルギーだ(ブルーエコノミー)」・・・・・・。
本書は、世界全体の熾烈な「生き残り戦争」がデータを示しつつ語られている。危機感を募らせながらも、エールを送ってくれている。頑張らねばならない。
「首都感染」「M8」「首都崩壊」「富士山噴火」など、迫りくる危機の恐怖を描き出してきた高嶋哲夫さんが、「世界からエンジン音が消える」「日本の自動車業界は生き残りをかけた戦いに勝てるか」を生々しく描く。深刻な地球温暖化のなか2050年のカーボンニュートラルを目指す世界、そのためにも2030年までの人類のCO2削減の戦いはまさに「勝負の10年」。SDGsの目標も2030年。2030年代はガソリンエンジン車の新車販売が止まる。EVと自動運転をかけて、まさに今、この時、死に物狂いの戦いが現実に行われている。
主人公は経産省・自動車課の瀬戸崎啓介、32歳。エンジン車とハイブリッド車を捨て去り、EVにすべてを投入しなければ、日本の自動車業界は崩壊し、就業人口500万人は放り出されると焦る。EVで遅れをとっている上、日本最大のヤマト自動車等がハイブリッド車への期待を残していることにさらに焦りを募らせる。経産省も「2030年にはまだハイブリッド車は安泰だ」という空気が強い。米国のステラ(テスラを想定)はEV一本で突き進み、欧米はEVに舵を切っている。中国はハイブリッド車を環境対応車と定義し、その生産をさらに続けるような構えを見せている。しかしその真意はEVにあるようで、瀬戸崎はその戦略を探ろうとする。日本の中小ベンチャー企業の新たな蓄電池部品の技術力も絡んで、世界を舞台にした争奪戦も繰り広げられる。
EV用の蓄電池の容量と寿命、燃料電池車の技術革新、EVの急進展に伴う新たな電力の確保(1000万キロワット)、充電スタンドの設置、車によるビックデータ、スーパーシティーの現実展開、新しいエネルギー循環システム・・・・・・。「エンジンがモーターに」「ガソリンタンクが蓄電池に」「ガソリンスタンドが充電スタンドに」、そして「自動車が自動運転に」「街がスーパーシティーに」・・・・・・。燃料電池車への活路も示唆する緊迫感が伝わる著作。
恋愛、結婚、職場の人間関係、契約社員、親の介護・・・・・・。ごく普通の女性が悩み、泣き、葛藤し、自分の気持ちを確かめながら歩んでいく。丁寧に心の襞を描いていく。
東京でアパレルの正社員として働いていた与野都・32歳。更年期障害を抱える母親の看病のために、茨城県の実家に戻り、アウトレットモールのショップで契約の店員として働き始める。恋愛、仕事、親の介護で、忙しい毎日、「自転と公転」の日々が続く。モール内の回転寿司店で働く貫一と出会い、愛し合うようになる。料理はうまいし、優しいが、中学卒の貫一は経済的にも不安定で、結婚についても心の整理ができない。職場でのパワハラや最悪の人間関係、両親共の健康不安など、不器用な都は戸惑い、悩み、流されていく。ごく淡々とした日常を描写するが、貫一と都(あたかも金色夜叉の貫一・お宮)がどうなるか、ハラハラする。
20年後の日本とベトナムにまで、話は展開する。"回り道"だらけの人生だが、温かい。