働く世代の単身女性の3人に1人が年収114万円未満であり、とくに10~20代女性に貧困が集中しているというデータがある。しかし、女性の貧困といっても、低所得(貧乏)に加えて「三つの無縁(家族の無縁・地域の無縁・制度の無縁)」がオーバーラップし、精神的に困窮して貧困に陥る。それに「三つの障害(精神障害・発達障害・知的障害)」が加わり残酷化する。貧乏女子とは違う。親にも、教育にも、容姿にも恵まれず、幼少期の虐待に始まり、「ゴミ扱い」「逃亡者」としてセックスワークに吸収され、最底辺を彷徨いし続け、固定化される。
鈴木さんは「貧困女子とプア充女子」「貧困女子と最貧困女子の違い」「最貧困少女と売春ワーク」「最貧困女子(少女)を可視化する」「彼女らの求めるもの」などについて、現場を歩き、その苦悩に同苦する。そして、「放置」「無視」どころか、差別や批判の対象となる「残酷な連鎖だけはもう断ち切ってほしい。そう願ってやまない」という。
後藤さんの平成政治史の3巻目。第一次安倍内閣に始まり、民主党が政権を奪取、そして野田内閣での解散・総選挙までを描く。「幻滅の政権交代」と副題が付いている。まさに渦中にいた私だが、思い起こしつつ(起こされつつ)読んだが、なぜか当時よりも息が詰まった。
この6人の内閣はいずれも苦しんだ。関わった1つ1つの事象に、私自身「ここは書いてない」ことなどがあるのは当然だが、本書はその骨格部分を真っすぐに書いている。政局話によくありがちな脚色や思い込みがないのは、本人に直接会って話を聞いているからだ。まさに「平成政治史」となっている。貴重だ。
後藤さんがいうように、平成の日本政治は激動・混乱・混迷の連続だった。また多党化も特徴だ。さらに国際情勢の激変にもさらされ、大きく影響を受けた。そして改めて「政治は人が成すもの」だと思う。「平成時代に常態化した『激動の政治』の終わりはまだ見えない」というが、世界の激動が続く以上、日本政治の激動も続くことになる。政治家にもジャーナリストにも「人間学」と「動体視力」がますます大事になると思う。

田原さんと百田さん――どんなバトルかと思ったが、結構かみ合っている。いつの間にか、田原さん百田さんに、読者たる私自身が加わって3者対談ともなっていた。二人とも言い過ぎというほど率直に語っている。
田原さんは「百田尚樹さんは対談で、期待に違わず、私の考え方に鋭く斬り込んでくれた。大東亜戦争、戦後日本を支配した自虐史観、韓国や中国とのつき合い方、朝日新聞の問題、愛国心とは何かについてなど、互いの一致点と相違点がくっきり浮き彫りとなった」という。百田さんは「私は『右翼』でも『保守』でもない。もちろん『左翼』でも『リベラル』でもない。私は『愛国者』である。右も左もない。私が愛するのは、祖国『日本』であり、この国を愛する人たちである。反対に私が憎むのは『反日』と『売国』である」といっている。
中心論点は「いまのややこしい問題はすべてが自虐思想に端を発していると思う(百田)」ということだ。
「消えていく税金」と副題にある。日本の財政状況が危機的状況にあるという問題意識、日本経済が財政金融政策の発動による景気浮揚策に慢性的に依存してきたという問題意識がまず前提としてある。そして「高度成長の呪縛」「円高恐怖症」「政官業の鉄のトライアングル」などをまず指摘している。
そして「タックス・イーターが群がるもの」として「予算(一般会計、特別会計)」「財政投融資」「租税特別措置」「国債」のそれぞれに、何が、どのように群がるかを示す。族議員、官僚、鉄のトライアングルにもふれる。「官僚」のなかでは、財投対象機関、「公企業」として特殊法人、認可法人、独立行政法人、特別民間法人などの概要を示している。
タックス・イーターとの戦いとして「終わりなき行政改革」「国境を越えて」と国内外の問題を指摘している。肥大のベクトルが働くがゆえに、善悪の二元論を排しつつ、常に厳しく監視する動体視力を養わねばならない。
正直、こんな丹念に、精魂込めた、心の行き届いた達人・凄腕の職人技の鮨を食べてみたい。そう思った。
小野二郎さん。生まれは大正14年(1925年)、静岡県の佐久間村。7歳になって間もなくの正月に、親元を離れて二俣町の割烹旅館「福田屋」へ奉公に出る。休みは元日と盆の2日のみ。隣町まで三輪の自転車をこいで出張料理までした。16歳で横浜の軍需工場に徴用され、20歳で豊橋の工兵隊。26歳で東京・京橋の鮨店「与志乃」へ弟子入り・・・・・・。40歳で「すきやばし次郎」を開業する。
生半可ではない苦労をしている。理不尽なことも山ほどある。しかし、それを生命力と根性で平然(のように見える)と、真っすぐにやりとげている。辛いといわない。常に全力、手を抜かない。そして今も全力、常に現役。「なんでも十年はしがみつかなきゃ、物事の本質なんてつかめっこない」「ワタシは7歳から働き詰めに働いて、それをちっとも辛いとも苦しいとも悲しいとも思わず普通にやって来た」――。
宇佐美さんは「現代とは職人不在の時代だ。職人とは、いついかなる場合でも同じものを同じレベルでこしらえる、あるいは表現する腕の確かさだ」「そのレベルをどこまで高みに引き上げられるかが職人の力量であり、腕の冴えだ。二郎さんは、まさに凄腕の職人である」という。