「天道是か非か」「君主いかにあるべきか」「大義とは何か」「歴史とは何か」――。
徳川御三家と家光、家綱、綱吉の治生とその側近。それらに対する感慨をもちながら、「なぜ自分が世子なのか」との煩悶を常に抱きつつ、「大義」の道を貫き通した水戸光國(圀)。父に厳しくされ、破天荒の少年時代から傾奇者の時を経て学問と詩歌の道に没頭する青年時代、そして史書編纂にかける光圀、黄門の時代へと進む重厚な生涯が描かれる。
周りの人物は深く影響を与えられた者に絞り込まれ、父・頼房、兄・頼重、尾張の徳川義直、紀伊の徳川頼宣、宮本武蔵、山鹿素行、林羅山とその息子読耕斎、冷泉為景、そして妻・泰姫、左近、保科正之、藤井紋太夫等々が活写され、考え深い。
天下万民を治めるには大義、思想、哲学が重要なこと。逆にあわせてそれに自己陶酔と思考停止が付加された時の危険性。政治と思想とのバランス。死をもいとわず決める胆力と拙速を制御する胆力。思想をかかえ込む教養と文化力。本書は「歴史と人生」「政治と文化」「権力と民」を、水戸光圀の生き方そのものから自然のうちに考えさせる力作だ。
大都市近郊の新興住宅地を舞台にして、子どもたちと親、教師が悩みと傷をかかえつつ、ある瞬間、ふっきれる。ほのかな光を見出す。そうした日常的な、しかし各個人にとっては人生の全てをかけた重大、深刻な心を描いた5つの短編集。
人は本質的に善性をもち、生きたい、希望をもちたい。救いが欲しい。「私は悪い子なんだ」「ごめんなさい」という世界から脱して「きみはいい子」と、誰か一人でもいい、思ってくれる人がいれば乗り越えられる。そんなことを学校、子どもたちの繊細な心の襞にふれながら描いている。
昨今の陰湿で残忍な"いじめ"問題。皆、忙しくてイライラして、子どもの純で繊細な心に、時間をとって、ごく普通にふれあうことができなくなっている。人はそれぞれの事情と宿業をかかえて黙しながら生きている。
「ケプラーの法則、万有引力の法則、相対性理論」
「太陽の核融合とニュートリノ」
「星の一生とブラックホール」
「惑星と作用・反作用の法則」
「曲がる空間」
「暗黒物質(原子でできていない)の存在を裏づける重力レンズ効果」
「アンドロメダ銀河に吸収される天の川銀河」
「宇宙は定常ではなく、始まりがあり、膨張し続ける」
「光の正体」
「四つの力と素粒子の標準模型」
「陽子と中性子を構成するクォーク」
「フェルミオンとボソン」
「インフレーション宇宙論」
「マルチバース」・・・・・・。
宇宙全体で、原子でできている通常の物質は4.5%、暗黒物質は23%、暗黒エネルギーが73%――。宇宙は生きており、動いている。
前著「宇宙は何でできているのか」は、難解きわまる宇宙と素粒子の世界を「これでもか」というほどわかり易く書いてくれているが、本書はさらにわかり易い。
奇跡的によく地球が生まれ、人間が生まれる状況ができたものだ。
「悩む力」の続編。東日本大震災を受けて書かれたということが前著と違う。
「人は生死の境をさまようほど心を悩み抜いたときに、はじめてそれを突き抜けた境涯に達し、世界の新しい価値とか、それまでとは異なる人生の意味をつかむことができる」――ジェイムズがいう「二度生まれ」(宗教的経験の諸相)のできる時ではないか。そう姜さんはいう。
夏目漱石やマックス・ウエーバーは、近代化過程のなかで、人間社会が解体され、価値観や知性が分化し、人が孤立し、絶対性と共同性を失っていくさまを煩悶のなかで先駆的に描いた。それらがより先鋭化した今、自己存在の意味を問うことのできる時ではないか。しかし人間と社会がより浅薄化し、公共領域は大きな歪みをきたしている。
「直接アクセス社会」(チャールズ・テイラー)は、「市場が政治を動かす」ことによって中間的組織・政党をもなぎ倒しつつあり、ネットによる破壊衝動をより強める。
悩むことによって新たな世界の扉が叩かれる。悩むことによって「深まる」。しかし、「開かれる」「生きる力が湧く」という転換こそ重要なカギであり、人生にはその「生きる力」をもたらす「感ずる力」「気付きの力」が大切だと思う。
「改革派」首長の勢いが増している。国から権限等を分けてもらうのではない、地域主権だ。地域の自主性を強く打ち出さないとますます地域は弱くなり、この国は活力を失う。それにしても、国は何でもがんじがらめで官僚に支配されて旧態依然だ――それが首長たちの主張だ。
田村さんは「国が存在感を示せない。そこに地方政治の劇場化が生じる」「しかし、ポピュリズム的政治手法をとる暴走する首長では、地方も国も救えない」「眼前にある現状の問題を変えることこそ大事だ。制度を変えれば良い結果がもたらされるのは幻想だ。制度改正に注ぐエネルギーを、もっと地域を元気にする取り組みに注げ。制度を変えるのは手段の一つであり、地域をどうするのか、元気にするのかというビジョンと実行が先決」という。そしてこれまでの「改革派」首長には"改革をやりっ放し"が多すぎ、中途半端、検証もないともいう。
大阪都、中京都、新潟州、そして欧米の中央と地方の仕組みの検証をし、本当の意味での地方自治の姿を探っている。景気・経済・財政、外交や歴史、人物論などに比して、あまりにも統治機構、地方自治等の論議が少ないことを感ずる。集中的、総合的な論議が不可欠。