1890年から1945年まで、考えてみればわずか55年。人類は二度の大戦を行い、日本は日清、日露、太平洋戦争へ進んだ。膨大な近・現代史だが、田原さんの問題意識は、鮮明だ。「日本は侵略戦争をしたのか」「ほとんどの人が負けるとわかっていた戦争になぜ踏み込んだのか」――全てがそこに照準があるがゆえに、それと自らの人生を考察しているがゆえに、本書は他をそぎ落とした明解さが際立つ。
"対華21か条要求から侵略"と考えてきたが、本書では、日露戦争の同時期、朝鮮における日本の動きは先行していると思われる。当時の伊藤博文や、あの昭和の戦争で回避を考えていた人たちが多いのに、激論の最後は国家よりも組織益に傾く判断が常にあった。
状況のなかから考える"流れ思考"。世界の状況、情報から隔離された稚拙な判断。今、自らも歴史のなかにいることを省みる。
極北市が財政破綻し、世良が極北市民病院医院長に就任。赤字建て直しのためには、悪評が立とうが、鬼にも、冷たくもならなければならない。救急もやらない。医療への甘え、病んだ社会にメスを入れようと役所やメディアと徹底して戦う世良。
そして一方、極北市からの救急も全て受け、ドクターヘリも駆使して徹底して一人を救い上げることにかける速水。一見、対極に立つように見えるが、二人に共通する激しい絶望、不器用をよしとする孤独、正義感と喧嘩と使命の自覚のなかに潜む驕り。
さすが海堂尊氏。財政破綻、医療の崩壊、ドクターヘリ、救急医療の修羅場、過疎地医療などを担う人々の使命や気概(気負いも)をダイナミックに描いている。
とにかくギリギリの社会と医療と救命の最前線を緊迫感のなかで描くリアリズムと、世良、速水、孤島の診療所で巌として働く久世医師の3人の屹立した姿勢が、迫ってくる。
昨年から今年初めにかけての連載から55の視点としてまとめたもの。題名にあるように「流れ」を語っているのが特徴といえる。
「素人は為替レートを名目で見る。プロは実質レートで見る」「円高のときこそ、海外投資など円高時代にしかできないことをやっておくべきだ」「LCCによって日本の空の活性化を」「成田は仁川に勝るハブ空港になれる」「中所得国の罠」「チリの鉱山で働く日本人から学んだこと 海外投資の中身が変わりつつある」「貿易収支が赤字 より意識すべきは経常収支」――。
日本に必要なこととして、大胆な社会保障改革、消費税上げ、TPP参加、専業農家に支援を集中する農業政策、若者の雇用を確保する雇用制度改革、技術革新を促す研究開発投資などを繰り返し語っているが、要は「政治家が実行できるかどうかだ」という。
東日本大震災のような大きな地殻変動の発生を、なぜとらえられなかったのか。前兆がなぜとらえられなかったのか。震災の予知に対して、国をあげての取り組みを強化すべきではないか。
木村さんはずっと、この地震予知に独自の方法で迫り、主張してきた。木村メソッドの地震予知だ。
「地震空白域」「地震の目」「地震の発生メカニズム」だ。そして「地震と火山の噴火は密接に関係している」と言っている。本書でも「最も警戒すべきは首都圏北東部、つまり千葉県北東部とその沖合いで、2012±3年(M6.7)」と指摘する。そして「地震の目がないから東海地震はこない」「東海地震がこなければこないほど、プレートのプレッシャーがマグマ溜まりにかかるから、富士山が噴火する可能性は高い」という。
地震の観測にとどまる地震調査研究ではなく、予知・予測に挑戦せよ。地震学も火山学も地質学も、全てを総動員して地震の予知に挑戦せよという木村さんの叫びは大事だ。