生活保護の受給者が昨年11月、205万人に及び、この3年間で40万人増えて、過去最高となった。しかもその支給額3兆3000億円。2009年2月までは、65歳以上の高齢者、病気や精神疾患のある人、母子家庭に限られており、厳しい運用だったが、2009年3月18日の厚労省通達で、「働く世代」を生活保護に受け入れることを実質的に認めた。この通知が転機となったという。働ける世代が、大量に生活保護になだれ込んだ。
転職しようとしても何度も何度もハネられる。就職しても過酷で、自信も喪失する。無気力になる。生活保護を受ける。しかもそこに貧困ビジネスが突け込む。受給者は就労意欲をますますなくす。生活そのものが乱れていく。生活保護から抜け出せない。抜け出そうとしない。
大阪市と貧困ビジネス業の戦いが生々しく語られる。第二のセーフティーネットの柱、「訓練・生活支援給付」が就労に結びつかない。もう一つの柱、「総合支援賃金貸付」は返済できなくなる。回収は進まない。加えてこうしたこと自体が、貧困ビジネス業者の新たな標的になる。
現実には貧困層の3分の1しか受給していない生活保護。自立するインセンティブをより制度の中に抜本的に組み入れなければならない(鈴木旦氏は「保護を打ち切る期限を設ける」「ある種の蓄財を認め凍結預金口座をつくる」「最低賃金の引き下げで職を確保する」などと述べる)。矛盾は誰しも指摘するが、現場の実態を知らなければ、対応はできないことは確かだ。
法学者と経済学者が、それぞれの立場からの論理を交え、その協働を通じて雇用の世界のメカニズムを探究する。しかもさまざまな形態の非正社員がふえ、雇用の流動性が顕著な時代での、雇用に対する論理を模索している。きわめて有意義な本。
提起される問題は「解雇規制と内定取消し」「最低賃金と貧困対策」「労働者とは」「情報の非対称性と労働者保護規制」「解雇と試用期間」「労働条件変更」「労働時間」「男女間の賃金・待遇格差」「職業訓練」「障害者雇用」「高齢者雇用」「服務規律」「労働組合」・・・。
身近な物語が各章の冒頭にあり、きわめて現実的・具体的な問題が提起され、法学と経済学から考え方の論理が詰められる。
動く教科書のようで、これほどわかりやすくまとめるには相当の努力があったと感じられる。
認知症は多くの人の関心をよび、社会問題化しているが、実はうつ病の人がかなり多い。その高齢者うつ病は全国で140万~150万人もいると思われるという。
老人性うつは、気の弱い人がかかる病気などではなく、セレトニンという神経伝達物質が減ることによって起きる「生物的な病気」だ。放っておけば悪化するが、早期に治療すれば短期間で治る。
注目されている認知療法――。
何でも悲観的にとらえてしまう「認知のゆがみ」の修正が必要となる。何でも白か黒か、善か悪かの「オール・オア・ナッシング思考」でなく、何にでもグレーゾーンがあることを認められるように働きかけ、思考を変えてゆく。
年を取ればとるほど、脳の前頭葉が縮んでくる。前頭葉は微妙な感情や感情に基づく高度な判断をするが、それが衰えてきた特徴の一つに、ものごとの「決めつけ」が激しくなることがあるという。
放射能論争、経済論争、人間関係の善悪や裏切り・・・・・・。白と黒との間にグレーゾーンがあるのを認められるようになることを専門的に「認知的に成熟している」と呼ぶ。思考の老化、頭が固くならないように、思考の幅を増すように、我慢しないで自分の欲望に正直であれ、セレトニンを増やす生活習慣(日光を浴びる、リズムある軽い運動)を意識的に取り入れよ――こうしたことを専門的だがわかりやすく語ってくれる。
世界経済の大潮流というのは、400年に1度の歴史の峠に立つという現状認識、資本主義そのものの大転換、陸の時代から「海の時代(英)」や「海と空の時代(米)」へと移った世界が今、終焉に向かっているという巨視的認識からだ。水野さんが「超マクロ展望 世界経済の真実」や、昨年の力作「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」でも熱く語ってくれているとおりだ。
歴史の断絶を革命というならば、現代には4つの革命が起きている。「利子率革命(長い2%以下の低金利)」「貨幣革命(編み出された金融・レバレッジ空間)」「価格革命(従来にない原油など基礎的資源の非連続的高騰)」「賃金革命(交易条件の悪化から企業が労働者の所得下げを余儀なくされ、中間層が崩落)」だ。
これは近代の終焉であり、それは9.11米国の同時多発テロ、リーマン・ショック、3.11福島原発事故などに鋭角的に現われた。膨張、成長、過剰、蒐集(コレクション)――有限に突きあたってもなお人工的な無限をつくろうとする人間は、そうして未来をも収奪しようとする。もはや成長を前提とした経済社会を考えることは難しいし、あまりに無理をしすぎている。水野さんは「(中央/地方)という枠組みを見直して、地域を拠点にして、できるだけ自己完結型で定常社会を前提とする新しい社会モデルを模索せよ」という。