昨年は末次一郎氏没後10年の「学ぶ会」が行われ、最近は野田総理が初の沖縄訪問で胸像を訪ねている。現代社会の不安と閉塞感、破壊衝動の風潮とポピュリズム――そんななかで昭和56年に発刊された本書を読んだ。思うことは、イデオロギーに流されずに働く「奔走」ということだ。生きざま、国(民)を担うということ、実践ということだ。
「大陸に残された同胞の救出や支援(引揚援護活動)」
「戦争受刑者の釈放」
「核抜き、本土並み、72年返還への沖縄返還」
「四島一括を求める北方領土返還」・・・・・・。
とくにあくまで実践者、運動家として、いつも初めは小さく、そしてうねりが大きく展開されていく。健青クラブ、日本健青会も、沖縄に国旗「日の丸」を贈ることも。「評論ではなく、動きをつくる人」「破壊ではなく、汗を流して創る人」が大事であることは、時代を超える。
東日本大震災、また首都直下型地震の危機管理や対応については、先頃、志方先生と対談を行なった。「危機は変化する」「危機管理は実務」「危機管理は現場主義」――大変、有意義で刺激的だった。
本書は平成19年7月の講演記録。現代世界の脅威として「中距離核保有による政治戦争(まさに今のイラン、北朝鮮)」「国際テロとの戦争」「多国籍軍による国際秩序を守るための戦争」「常時行われている情報戦争」の4つの戦争を示しつつ、わが国はどう対処すべきか。わが国周辺の危機、各国の動きと意図等をわかりやすく示す。国家安全保障会議、緊急事態基本法、情報管理基本法等をはじめ、国の基本が法的に確立されていないことを明示する。
日米が国益をほぼ同じくするとともに、価値観を共有することが大事であり、そのうえで沖縄の地理的位置がいかに重要か。また核について「持てるけれど持たない」という立場をもっと積極的に前に出せともいう。きわめて率直、わかり易く語ってくれている。
「人を動かすのはロゴス(理論)ではなくパトス(情念)だ」(アリストテレス)
「コメントが凡庸。質問がぱっとしない。――多くの日本人に共通する対話の二大弱点だ。当たり障りのないことしかいえない。ふだんから核心に斬り込もう、本質に迫ろう、という意識で話をしたり聴いたりしていないので鍛えられない」
「対話はおしゃべりではない。脳に汗をかいているかどうかだ」
――理性的に論理的に議論をすることを重んじたギリシャ人。
「二人してともに道行けば、一人が先に気づくもの」(プラトン)として、相手があるからこそ新鮮な発見、気づきがある。
哲学は「人間としてどう生きるかという根源的な問いを考え続けること」であり、考え続けることをやめない姿勢こそ哲学の根幹。思考停止状態に陥ることを古代ギリシャ人は「アポリア」(袋小路にはまってしまう)と呼んだ。思考し続けることが哲学的姿勢であり、それは、価値の順位付けがはっきりして判断がブレない人だ。
対話の哲学、哲学の対話、「ギリシャは哲学によって立つ」ことを解説している。
空腹になると「生命力遺伝子」が発動する。十分な栄養をとれば元気になるというのは、健康の秘訣ではない。逆に食べ過ぎは病気の始まり。飽食によって、飢餓の時しか発現しない「生命力遺伝子」が働かない。飢餓(危機)のときこそ人類のもつ生命力遺伝子がオンになり、パワフルに生き延びることができる。糖尿病は、あらゆる捕食器官が退化していく病気だ、という。
食生活を考えよ。一日一食でよい。"一物全体"の完全栄養による一日一食の食事と早寝早起きを実行せよ。つまり、「空腹」「完全栄養」「睡眠」が健康法で大事だ。一汁一菜、その睡眠は夜の10時から夜中の2時までのゴールデンタイムに。また、野菜は葉ごと皮ごと根っこごと、魚は皮ごと骨ごと、穀物は全粒で――ズバズバと南雲さんは言っている。話題の書。