昨年の2月末、この本を読もうと思った時に、東日本大震災が起きた。問題は今も変わらない。
自壊社会とは、社会の成り立ちそのものに起因する持続困難を抱え込んでいる社会になっていることだ。先行きの見えない不安と閉塞感が広がっているのに「次の社会」が描けない。「雇用・経済」「社会保障・教育」「自然環境」――3つが相反するとして政策を進めたらますます行き詰まることは必至。
持続可能な社会へのこれら制度連携を「生きるということを共にする社会(生き共にする社会)」の理念のもとに「もう一つの日本への構想」としてまとめ上げよ、という。神野、宮本両氏が軸となり、水野和夫、植田和弘さん等7人が論陣をはる。各論は短すぎるが、それゆえに主張の核心はよくわかる。付加されているブックガイドはそれを補っているものと思う。
水滸伝、楊令伝に続いて、いよいよ岳飛伝が始まる。中国随一と讃えられる英雄・岳飛だが、まだこの第一章はその序章にすぎない。掲げる「盡忠報国」――民に忠義を盡し、天に報いる。
それについて負傷した若き延圭がズバッと語る。「戦は、お題目でやるもんじゃない。お題目は人が集まってくるためにあるが、戦は、武器と指揮官の命令でやるもんだと思っています。そして大将が、俺たちをどこかへ連れていってくれるってね。・・・・・・大将が生きているから戦をやり続けられるんだって思いす。・・・・・・梁山泊軍は、だからすげえと、俺は思うんです。大将が死んだのに、戦ができる」と。
その梁山泊は大洪水に襲われ、生命線ともいうべき物流が途絶え、追い討ちをかけるように頭領楊令を失っていた。動きがとれない。息をひそめる梁山泊。楊令に代わる核となる中心人物がいない。いつも当たり前だと思われていた号令も出ない。「いつから俺たちはこんな事になってしまったのか」――嘆きがあふれる。しかし、大将を失った今の空白のなかにも、現場の各部隊の鍛えられた強さとまとまりはくずれない。金や南宋が感じるのは、そうした驚くべき梁山泊の強さだ。
「替天行道」――梁山泊の志。志と核となる人。法と人。何をもって率いるか。悠大なスケールで北方謙三氏の岳飛伝が始まった。
この小説は、人生を考えさせる。人間は、我の世界を生きるとともに、我々の世界を生きるがゆえに仏典では「人間(じんかん=人と人との間)」という。浅田さんは、「人生を生きよ」「生きることに気付け」「高度成長時代というのは生きることに気付かない、慌しさに身を委ねてしまう時代だ」と言っているようだ。問題を正視せず、日常に流され、忙しさに逃避する。
人の歩み自体が業を生み出し、業を背負っていく。しかしそんなことに気付くはずがない。業の自覚に鈍感な人間をつくり出し、生のみあって死を正視できないのが高度成長の時代だ。
1951年(昭和26年)、浅田さんは生まれている。まさに戦後だ。小説の設定も昭和26年生まれの男性(ゆうちゃん)が主人公となる。昭和35年、小学生の時、一人の転校生キヨと出会う。あの戦争を背負い続ける父親に"あたり屋"にされ、突き放されてダンプに衝突して死ぬ。貧しい親子。悲しい。高度成長は皆が豊かになっているようで、"たまたま時代に乗れた者"と、"たまたま乗れなかった者"をむごくも浮き彫りにしてしまう。
大学生となった主人公は、高度成長の日常を仲間とともに体現する。仲間である安易さから、主人公に恋する真澄の心を感じられない。彼女は死ぬ。
そして、降霊の儀式ではじめて業に気付き、世間にはけっして見せない人の心に沈潜する悲しみに気付くのだ。死者の言葉を聴いて。高度成長が哲学を不在にするベクトルをもち、「社会の繁栄が個人の幸福を約束する大いなる錯誤の中」で、高度成長の申し子たちは生き、流されてしまったことを。「変容と発展を錯誤したこと」を。そして人の幸福は、人と人との間、人間の中にあることを。同じ高度成長の時代を生きてきた者として、この小説は人生を振り返り、人生を考えさせてくれる。
3・11からこの書は始まる。"人の命の重み"――それは数字で語ることができない。
「語るより先に感じることだ。そのためには現場主義を貫かねばならない。現場が全てを教えてくれる。その原点に常にたち帰ることだ」
「この職にある限り、現場にこだわり続けたい」
――そう大越さんは言う。その通りだと思う。
そして「放送という巨大な媒体の怖さを正しく認識し、抑制的にニュースの見方を示すことだ」と自らに言い聞かせている。だからこそ、人々は大越さんの発言を安心して聞けるのだと思う。声もいい。それに六大学野球、東大で8勝したという伝説的スポーツマンということも好感度を増す。
後半はコラム「現代を見る」が載っている。どのコラムも最初の2~3行がいい。人柄や情が出ている。いきなり大越さんが出ている。書くことと話すことは違う。ニュースキャスターをやって磨きがかかったのか、もともとか。