今年2月、ポール・クルーグマンが書いたもの。米の経済政策の誤り、オバマ大統領やバーナンキの中途半端さ、欧州危機の本質、種々の経済理論の誤りや歪みを指摘し、「ミンスキーの瞬間」「流動性の罠」等を実例に即して語っている。
「緊縮をすべきなのは好況時であって不況時ではない」
「今は政府支出を増やすべきときで、減らすべきではない。民間セクターが経済を担って前進できるようになるまで続けるべきだ」――と。
「今は流動性の罠にはまっていて、短期金利がゼロ近いのに経済が停滞したままだから、インフレ突発にならない。FRBの購入が通常は好況やインフレを引き起こすというプロセスがショートしてしまっている」
「好況にならなければインフレは起きない。お金の印刷がインフレにつながるのは経済の過熱につながる好景気を通じてなのだ」
「デフォルトの恐れのあるギリシャ、イタリアと米国、日本は違う」
「景気刺激策があまりに小さく、支出削減を打ち出したオバマの政策は誤りだ」
「補償のみの支出増ではなく、景気刺激策を」
「2009年の米国は金融救済はしたがそれも甘く(厳しい条件をつけていない)、肝心の実体経済に対する救済策がなかった」
「規制のない金融システムが必ず起こす危険信号にもかかわらず、政治システムが規制緩和と無規制にこだわり続けた」
「格差と危機」――。
日本についても、日銀についてもふれている。10年ほど前にバーナンキが日本について指摘したことは正しい。それを今、米国は、バーナンキはなぜやろうとしないのか。なぜやれないのか。
増税や支出削減は今やることではないのだ。経済を破壊する通説にまどわされるな――訳者の山形浩生さんも、クルーグマンの主張、嘆息、諧謔をよく解説してくれている。
「ならん!ひとりの馘首もならん」――何もかも失った日本と日本人の昭和20年9月、国岡鐡造(出光佐三)は言い切る。「わが社には何よりも素晴らしい財産が残っている。一千名にものぼる店員たちだ。......社是である『人間尊重』の精神が今こそ発揮されるときではないか」「もしつぶれるようなことがあれば......ぼくは店員たちとともに乞食をする」――。「融資が受けられないのは、なぜなのかわかるか。......君の真心が足りないからだ。至誠天に通じると言うではないか」――。
どこもやらない、誰もやれない海軍燃料タンクの底に残った残油を浚う作業をやり抜く国岡商店の決死のサムライたち。そして石油の時代を予測し、時の覇権たるメジャーとも米英とも大企業や官僚とも戦い屈することのなかった国岡鐵三。
「GHQ」「公職追放」「石統との戦い」「士魂商才(武士の心を持って商いせよ)」「スタンダードとの戦い」「セブン・シスターズとの戦い」「極秘のイラン石油と日章丸」......。
「日本人の力。こういう日本人がいるかぎり、日本は必ず復興する」「楽しい50年ではなかった。苦労に苦労を重ねた50年であった。死ななければ、この苦労から逃れることはできないのではないかと思われるほどの苦労の50年だった」「全財産を投げうち、挫けそうになった鐵三を、頑張れ、諦めるな、共に乞食をしてもええと支えてくれた日田重太郎」「日本人の誇りと自信を失わなければ、何も怖れることはない」――「人間尊重、戦い続けた国岡鐵三の70年の道は正しい日本人の大道であった」と、百田さんは結んでいる。石油を武器に変えて世界と闘ったすさまじい男の歴史経済小説。
この書が、昭和20年9月の講演であること。3か月後に世に発刊されたこと。後に運輸大臣を務めたあの「永野兄弟」の一人、永野護氏の著作であること。戦争時には子供であった人が、平成の今、発言をしているのではなく、当時のリーダーたちの世界にいた一人の人物の実に率直かつ冷静な発言であること。――感銘した。
「この戦争の最も根本的な原因は、日本の国策の基本的理念が間違っておったということ。換言すれば、万邦共栄をいいながら、肚の中では日本だけ栄えるという日本本位のあり方をあらゆる国策の指導理念にしていた」「日本の国の利益のみを目的とする自給自足主義を大東亜共栄圏建設の名前で強行した」に始まるが、私にとっては田勢康弘さんが最後に分析することも全く同感。
「ポツダム宣言の政治性」「米英中(蒋介石8・15演説)」そして「科学と道義の裏づけなき独善的民族観が今日の悲運を招いた」がゆえに新しい人格教育の必要性の指摘など、迫るものがきわめて多い書であった。
後漢王朝(25~220年)を開いた劉秀・光武帝の若き日から建国までの物語。最も平凡に見えて最も非凡。徳があり、敵をも許す寛容と包容力によって諸将がつき、民は安心して支える。ひとたび戦に臨めば、100万の大軍にも寡兵をもってひるまず、機は逃がさない。歴史(書)を血肉とした深い洞察と無限の温かさがにじみ出る劉秀。
「後漢書」「史記」「資治通鑑」そして「論語」をはじめとして、膨大な歴史と哲学と人間学が本書から発せられる。「疾風にして勁草を知る」――後漢書にある劉秀の言葉。それをはじめとして、「赤心を推して人の腹中に置く」「人民とともにあり、人民に支えられるのが王者であり、人民を支配するのが覇者」「社稷(しゃしょく)をもって計と為し、万姓を心と為す」「常識とは大いなる虚である。虚を衝けば活路が開ける」「君子は固(もと)より窮す。小人は窮すれば斯に濫(みだ)る」・・・・・・。
「草原の風」――草は民。風を見る視座、風を感ずる心、風にゆれつつ風をも起こす民、勝機や時代の風等々、多くを感じさせる小説。