伝説の竹中労さんの没後20年。「左右を弁別すべからざる状況」――大杉栄はこの危機を打開するのは右も左もない、共に連帯して立ち上がれといった。竹中労はそれをまさに平然と動きに動いた。「人は、無力だから群れるのではない。あべこべに、群れるから無力なのだ」――鈴木氏は、「自分が見、話を聞いた竹中労、心酔した竹中労、そして時には争い、ぶつかった竹中労」をどんどん描く。
私も1970年前後、竹中労や太田竜、「現代の眼」などもかなり読んだ。1985年頃に、直接会い、本書に出てくる何人かを紹介してもらったこともある。会ってもカベが全くなく、話にも、書くものにもリズムと勢いがあった。本書で紹介している「どうしてタイの民衆が貧しいと日本人はいえるのですか?」という民衆への愛情と思想の拠点、権力への怒りがあった。
私の場合「左右」というより「上下」の軸――下から現場から生身の人間から、烈風のなかグチもいわず生き抜く靭い庶民の側に立つ。「如実知見」「諸法実相」「依正不二」「蔵の財より身の財、身の財より心の財」。そんなことも話し合った。時代を振り返りながら読んだ。
NHKで大河ドラマ「平清盛」が始まった。画面が汚いといわれたそうだが、重厚な画面を受け入れるだけのパワーが現代社会にないのかもしれない。
平将門・藤原純友の承平・天慶の乱(935年?941年)
前九年の役(1051)
後三年の役(1083)
院政(1086)
源義家の昇殿を許可(1098)
保元の乱(1156)
平治の乱(1159)
平清盛が太政大臣(1167)
源頼朝の挙兵(1180)
壇ノ浦の戦(1185)
鎌倉幕府の成立(1192)
後鳥羽上皇の討幕と幕府の反撃の承久の乱(1221)・・・・・・。
まさに源平興亡の300年だ。
しかし、常に、源平の戦いの上には朝廷があり、戦いには「錦の御旗」を常に掲げた。武士の力は巨大化したが、武家政権を呪縛し続けた朝廷の権威こそ自らの正当性を保障する「錦の御旗」であり、それは幕末まで続くことになる。しかもこの源平激突の時期には院政というシステムまで築かれた。まさに、鎌倉幕府が、朝廷との妥協の上に成立したことが、その後の歴史に宿命的に継続されていく。永久不変におかしがたい「権威」である。
「奢る平家は久しからず」「平清盛悪人説」「屋島や壇ノ浦のエピソード」「頼朝と義経」――。
本書は、それらの真偽、誇張、謀略、逸話と尾ひれ等々についても、解説してくれている。
ここ数年、かつては男性のものだった趣味が、「女子」の生活に浸透。居酒屋、焼鳥、登山、釣り、自転車、住宅は都心の高層マンションなどといった「アウトドア系女子」。歴史・文化遺産や寺めぐり、写真、ファッションはシンプル、住宅は日本的好みなどの「文化系女子」などがふえているという。いわば「オヤジ系女子」。消費行動も明らかに違う。
当然だろう。京大の建築学科は3割が女性だというし、私の土木系にも女子はめずらしくない時代だ。
その背景として「男女平等意識の拡大」「女性の高学歴化、働く場の拡大(それはOLでもないし、バリバリのキャリアウーマンでもなくサラリーマン女子の時代)」「私立中高一貫女子高」「父親の影響で趣味が伝授される一卵性父子の時代」「未婚者の増加」などを三浦さんは指摘する。
こんな時代に、男性並みに働きながら、一昔前の女性らしさを求められてもストレスが大きすぎるし、ムリしたら身体をこわす。
いつの間にか、元気で優秀なのは「女性」といわれるようになったが、それは元気で優秀な「女子」がまわりにあふれている時代だ。三浦さんは数多くの洞察、分析をしてくれている。
「坂の上の雲」の時代ではなく、「坂の上の坂」となったこの時代を、「坂の上の坂世代」の60歳以上はどう長寿社会を生きていくか。題名も"にくい"ほどだが、内容もいい。
準備が大切。自分で考え、自分で工夫して生きよう。
「必要なことは会社ではなく社会へ、さらには家族との人生へと意識をシフトすること」
「45歳から55歳の間に社会的なものごとへの関心が、ビジネスや会社の軸からだけでなく、別の視点からも捉えられなければならない」
「孫世代を育てる、それが坂の上の坂世代の大事な役割り」
「あらゆる組織は無能化する(ピーターの法則)」
「あらゆる組織は肥大化する(パーキンソンの法則)」
「みんな一緒の正解主義をやめよ。自分の価値観を柔らかく多様にすることが大切」
「"いい子"はもうやめる」――。
自分とか生活とか、パートナーを考えることなく、会社の中で組織の中で、右肩上がりの経済・社会の中で生きてきた「坂の上の坂世代」は、身体にしみ込んだ価値観の呪縛を断ち切れるか。50代からの30? 40年、もうひと働き、もう一つの人生創造への構えを説く。