「人口減少社会を問いなおす」と副題にある。「逃げる中高年、ものわかりの良い若者たち」――少子高齢社会、人口減少社会、デフレ、財政難の日本で、社会保障の持続可能性が大きな課題となる。社会のあらゆるところで、制度疲労が顕在化しているという現状を直視せずして、未来はない。
世代間格差は、現在の社会矛盾であり、怒号飛び交うはずのものだが、静かな、ものわかりのよい若者たちによって、争いが回避されているように見える。しかし、じつはより深刻な若者たちの不安、社会のなかでの不安定な立場で押しつぶされようとしている。それでは未来は暗い。
加藤さんは5つの要因を示す。
(1)人口構造の変化
(2)若者に頼った財政システム(社会保障制度の賦課方式など)
(3)日本特有の雇用慣行
(4)近視眼的な政策対応(経済・公共事業など)
(5)経済成長の鈍化
――だ。
そして雇用、年金、医療などの現状を簡潔に分析し、問題点を剔抉する。民主党の政策の欠陥が浮き彫りにされ、年金・医療・介護の現実、そして労働市場・雇用システムの変貌を分析する。社宅とは、公務員宿舎とは何か――なども読みながら考えさせる。
「若者の雇用拡大と世代間格差縮小は経済成長にあり、目前のパイの奪い合いではない」「経済成長を実施し、それと整合的な社会保障制度を構築する。それが世代間格差を縮小し、経済成長にプラスになる好循環をもたらす」――具体的方途も示す。
井上亮氏が聞き、半藤一利氏が答える。
平易に語れる(書ける)ということは、わかっているがゆえ。わかるには、文献を読み込むだけでなく、現場の肉声を聞いて実感することが加わっている。
たとえば半藤さんは、文春に入社して、いきなり坂口安吾に泊り込みで会う。「本当に常識的な見方」「ごくごく常識的な合理的な推理をするということは歴史を学ぶためにいちばん大事」「八紘一宇・・・・・・そんな馬鹿な話があるか」――。
永井荷風との出会いのなかから、永井荷風が語られる。
漱石の小説は、日露戦争後のいい気になって大国主義に走る日本への「文明批評」だと、漱石の内側から語ってもいる。軍人にも会って話を聞く。語る人と黙する人がいるが、その沈黙も言葉だろう。
日露戦争後、勝利で堕落した日本人。満州事変、2・26事件、三国同盟の昭和の3つの失敗。そのなかでの昭和天皇や各界のリーダーの思考と行動。司馬遼太郎と松本清張の近代史観。
何を国家の機軸とするのか。流されるな。戦争や軍というものを知れ。大切なのはリアリズムと常識。半藤さんの「歴史は人間学」は深い。
夏目漱石(1867-1916)の「現代日本の開化」「中身と形式」など明治44年の講演4篇と大正3年の「私の個人主義」。
明治44年には漱石は44歳、49歳で亡くなるから5年前ということになる。
時代の激変・西洋文明の激流と対峙し、苦闘する思想家・漱石が自己一身にそれを受けて考えを確立する。
「現代日本の開花は皮相上滑りの開花である」「西洋の開花は内発的であって、日本の現代の開花は外発的である」「上滑りと評するより致し方ない。しかしそれが悪いからお止しなさいというのではない。事実已むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないというのです」といい、「私には名案も何もない。ただ出来るだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くのが好かろう・・・・・・」――。
「私の個人主義」では、ロンドンにおいて苦悩を突き抜け、他人本位を脱して「自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなった」と語る。「私の他人本位というのは、自分の酒を人に飲んで貰って、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです」といわゆるわかったような学者・知識人にも厳しい。安心立命や「是の法法位に住して世間の相常住なり」を想起する。
「中身と形式」も「文芸と道徳」も、「道楽と職業」も、究極まで自己を追いつめたところの新たな論理を開示している。