フランツ・リストの「巡礼の年」「ル・マル・デュ・ペイ」が静かに、メランコリックに流れている。本書に低く奏でられているのは、この心に抱え込んでいる深い哀しみだ。
「自分だけに何故」――突然、あれほど親しかった4人の友に交流を拒絶され、多崎つくるは死を常に意識するほど追い込まれる。それが10年以上も続く。そして現実に肉体を殺害される以上に人生の色彩を奪い、"人生の亡命者"とまでに自らを変貌させた奪命的な傷が、じつは友人にも、年月を超えても振り払うことができないものであったことを知る巡礼の旅――。漱石の小説「こころ」をまず想起した。
人間は自分の色を持って生きる。多崎つくるが自覚するのは、「個性がない」「特段とりえもない」「色彩をもたない」ということだ。しかし高校時代の赤松、青海、白根、黒埜の4人の友人にとっての多崎つくるは、カラフルであったり、安心感のある良き器であった。そのことを拒絶された16年の苦悩を経て知る。
仏法でいう五大――地水火風空のなかで、調和という最も大切な働きである空の存在だ。この巡礼の旅は人間の心の深層に静かに迫るとともに、心地よく一気に読ませる。深く落ち着いて、いい。
デフレの克服は日本にとって最大の課題だ。「デフレと金融政策をめぐる論争は、混迷する現代マクロ経済学の反映だ」と、吉川さんはいう。そして、日本の「デフレ20年の記録」をたどるとともに、マーシャル、ケインズ、リカードからクルーグマンまでの経済理論を概説する。
デフレは「貨幣的な現象」であり、最も重要な変数はマネーサプライであるとする経済学の背後にある「貨幣数量説」――。それらに対して「ゼロ金利のなかでは話は変わってくる」「マネーサプライのなかに解はない」と指摘する。そして「デフレの正体」として「生産年齢人口の減少」の影響は小さく、経済成長にとって主役とは全くいえないとする。さらに日本経済の長期停滞は、デフレが要因であり金融政策が不十分であったという論に対して「デフレは長期停滞の原因ではなく"結果"だ」「デフレに陥るほどの長期停滞を招来した究極の原因はイノベーションの欠乏にほかならない」「経済成長にとって最も重要なのは、新しいモノやサービスを生み出す需要創出型のイノベーションだ(低価格志向、安いモノへの需要のシフトであってはならない)」「日本のデフレは、90年代後半、大企業を中心に高度成長期に確立された旧来の雇用システムが崩壊し、変貌し、名目賃金が下落したことが大きい」などと指摘する。
「流動性のわな」から脱出し、このデフレの下でいかに「将来」の期待インフレ率に働きかける政策が重要なのか、その基本的考え方を提起している。経済論争そのものだ。
「私もまだ85歳」「日本人が守ってきた4000年来の鎮守の森のノウハウを見直し、現地植生調査に基づく、エコロジカルな脚本に則った防災・環境保全林として、いのちを守り、地域経済とも共生する本物のふるさとの森をつくろう」「被災地に南北300kmの"森の防波堤"を築き、それを母胎として日本列島の海岸沿いに、3000kmに及ぶ"森の長城"を築いてはどうか」「今見ている緑は、劣化したものや植えられたものばかりで、その土地本来の森が変えられたものだ。潜在自然植生の樹種を植えて、21世紀の鎮守の森、いのちの森をつくろう」「タブノキこそ、日本の土地本来の照葉樹林文化の原点だ」「"森の防波堤"は、タブノキ、シイ、カシ類を主木とした本物の森とすべきで、これが最適な防潮林、防災・環境保全林として機能する」――。
宮脇先生の主張は一貫していて明確。熱気を帯び、未来を見つめ、そして今こそ何をすべきか波が押し寄せるように迫ってくる。
「デフレは、円という通貨の財に対する相対価格、円高は外国通貨に対する相対価格――つまり貨幣的な問題なのである」「実質生産に、人口あるいは生産人口が影響するのは当たり前だが、貨幣的現象である物価、あるいはデフレに人口が効くというのは、まったく的外れな議論だ」「円資産が相対的に品薄なため超円高になっているのだから、円資産の供給を増やしてやればいい」「ゼロ金利下の貨幣の増加は、"流動性の罠"に陥っているため、効かないというが、短期ではない長期国債や民間株式や債券の購入などの広義の買いオペをすることだ」「日本経済が国際的競争力を保つには、もちろん生産性を上げるよう努力しなければならない。しかし、プラザ合意のあとや、リーマン・ショックのあとなど、為替市場に急変が起こって、円高が2桁にまで達したときには、生産性の向上努力では追いつかなくなることがある」「為替は金融政策によって変わる」――。「金融政策がデフレに効くとは限らない」というのは世界孤高の日銀理論だと言い切る。「人々に通貨にしがみつかせないため"期待"に働きかけよ」とその実行を求めている。
