食料自給率とは何か、土地利用型農業の衰退と集約型農業の健闘、担い手問題、コメの生産調整政策、政権交代と現実、日本農業の活路を探る――など長い時間軸から生源寺さんがキチッと語る。
「日本の農業と農政に今求められているのは、日本農業の強さと弱さを直視し、10年後の農業と農村のかたちを現実味のあるビジョンとして描き出すことだ」「少数のずば抜けた成功例を単純に一般化してバラ色の農業を描き出すことはしない」「そのビジョンのないことが、迷走・逆走して不安を増幅している」と生源寺さんはいう。
規模拡大がいわれるが、規模拡大のコストダウン効果は10ヘクタール前後で消失する。経済的には20世紀後半、1人当たりGDPは 8倍となったが、土地利用型農業の場合(コメ)、他産業並みの所得は難しく、面積の拡大と技術革新は不可欠となる。そこで支援が必要だが、迷走続きだ。しかも、まとまった土地の確保が難しいという課題に直面している。
奇手・妙手があるわけではないが、問題点はわかっているゆえに、慌てる必要はない。現状を直視し、土地の集約をし、農業自体の競争力をレベルアップし、担い手を育て、規模とともに付加価値を高めてアジアにも照準をあてる。農業生産者が価格形成にも参加する。国際社会のなかで価格競争力の足らざる部分を補う政策を講ずる(関税による保護政策から政府の直接支払いによって農業を支える=国民の選択だが)――食料の安全保障の視点からも現状程度の農業の維持は絶対に必要であることを主張している。
不思議だな。そなたは目立ったことをなすわけでもないのに、関わる者は生き方を変えていくようだ。心がけの良き者は、より良き道を、悪しき者はより悪しき道をだどるように思える」「この家族には疑うという気持ちをもった者がいない。だから家中に、清々しい気が満ちている」――。
前藩主の側室と不義密通を犯したとして幽閉されて、十年後の切腹を命じられていた元郡奉行・戸田秋谷。その監視兼補佐役として来た庄三郎。庄三郎は秋谷の清廉さと気高き武士(もののふ)の心に触れて無実を信じるようになる。
蜩の鳴く声は、夏の終わりを哀しむかのようだが、不条理の中にあって従容として変わらず、区切られた1日1日を懸命に生きる尊さ。そして凄絶な覚悟。生死即涅槃――。即とは「押えて」の意味をもつが、煩悩・生死を精神の力で統御する研ぎすまされた人間精神の力をも感ずる力作。
「言葉はこころの繊維であるとおもう。言葉がこころの襞をつくる」――かけがえのない自己存在と言語――。
どのページを見ても、言葉というもの、人の発する音声とは何かを考えてしまう。思わず「なるほど」とかつぶやいて、はて「なるほど」という言葉はどうしてできたのかと思ってしまう。
「言葉はコミュニケーションの媒体であると、だれもがあたりまえのように言う。・・・・・・メッセージの伝達という意味でのコミュニケーションとは違う様態で、元始、ひとは描き、歌ったのではないか」
「唸りや叫び、さらには言葉、そして歌。これらはみな身体の自己接触、ないしは自己触発といったものを生地として編まれている」
「魂にさわるところでオノマトペが声を上げる。・・・・・・オノマトペが孕みもつ意味を超えた言葉の力は、どこか臓腑や内臓の感覚とつながっている」
「痛いと叫ぶとき、痛いと言わずに感情をそのまま声で表現しろと言われても、そういう意味以前の声など出しようがない。言葉は身体の震えや律動から剥落させられ、逆に言葉で織られた世界のほうに、わたしたちの声をまるごと拉致してしまうのだ」
「オノマトペとは言葉と音の回転扉というよりもむしろ、言葉が意味と音との二つに分岐する寸前の声であるというべきかもしれない」――。
温かい、熱々の、口の中で跳ねるうどん。そして峠のうどん屋の前に建つ市営斎場。立ち寄る人々。厨房で1人黙って仕込みをするおじいちゃん。賢いおばあちゃん。それを手伝う孫の女子中学生の感受性。
死に直面して寡黙になる人々。
「悲しまなきゃいけない人に場所を譲ってあげよ」
「関係ないヤツにかぎってよくしゃべる」
「ひとが死ぬということに痛みを感じないおとなになってしまう」
「答えがすぐ見つかるものなんて、人生にそんなにたくさんないよ」
「自分の居場所がある人、居場所がわからない人」
「人生は出会いと別れの繰り返し」
「泣くことができない自分とは何か」
「わからないことはたくさんあるの、あっていいの、いまは」・・・・・・。
「霊柩車の運転手」「シェーのおじさん」「おくる言葉」「町医者」「ボーズ」「ヤクザのわびすけ」「柿の葉うどん」など、重松さんが日常と非日常の往復のなかに、一生懸命に生きる人たちを描く。死を前にして人は人に戻る。
1972年の日中国交正常化、78年の平和友好条約、89年の天安門事件、95年の村山談話、98年の日中共同宣言(江沢民訪日)、そして2008年5月の日中共同声明(胡錦濤訪日)――。
私と同世代を生きて、その日中の歴史のど真ん中で苦闘してきた前中国大使・宮本さんが、じつに精緻に日中の政治・社会や人心の動きの変化を描いている。貴重だ。その場面、場面にいた私としても、その場がいかに重要であったかを改めて感じ入った。
2008年の第二次共同声明で、日本と中国は「戦略的互恵関係」の時代に入り、世界の中の日中関係となった。当然、歴史問題は消え去ることのないテーマだが、新たな段階に入った。中国の経済発展は、心の余裕をもたらしたが、世界の中での役割りという新たな課題や国内格差の問題が生じ、日本では社会の沈滞感が中国に対する厳しい目を生み出している。新たな未来志向の協力関係が築かれるには、たゆまぬ努力が必要とされる。
宮本さんは、中国の課題とともに、日本の再生、日本が世界から尊敬される大国であり続けることが「鍵」だという。軍事、安全保障面もだ。主権の護持という大義名分のもとで、最後は海上自衛隊と中国海軍が出て来ざるを得ないとしたら、衝突回避のためのメカニズムがない現状では、対立自体を避けるしかない。外交の知恵だが、それは人間の知恵と双方の深い理解あってのことだ。重層的な対話が不可欠だ。
それは経済も同じ。ソフトパワーを磨け。日本は過小評価されている。等身大の日本への深い議論をと言う。宮本さんならではの著書。