「命の経済」への転換を訴える。昨年10月の出版だから、「コロナ」のデータは7月頃までが中心だと思う。2021年3月の現在、欧州では「変異株が急増」、日本では「首都圏の緊急事態宣言が21日まで延長、下げ止まらない」「コロナのダメージが長期となり、観光・飲食・航空等の交通機関、そして医療体制と、持ちこたえられない所(倒産等)が出ている」「年内の完全終息は見込めない、重傷者も時々は出る(尾身茂会長)」と厳しい状況にある。アタリ氏は、昨年夏頃までのデータを使ってだが、その本質と未来を観ようとしている。その背後にある分析は「現在のパンデミックが過ぎ去っても別のパンデミックが訪れるだろう」「今回のパンデミックを外出禁止措置等で乗り切ろうとしても、疲弊した企業や医療等は、元に戻らないことがある」ということだ。だからこそ「命の経済」への転換を図ろうというのだ。
パンデミックの歴史を語り、今回の未曾有のパンデミックに対して、中国には厳しく、ロックダウンの欧米のやり方を批判、"三密""マスク""手洗い"等の韓国・台湾等を褒める。そして、今後の世界は「米中両国が衰退し、覇権国なき世界に向かう変化が加速する」とし、EUの使命に言及する。そして、今回のことで「自己と向き合う貴重な機会を得た」「テレワークの増大」「非営利活動の発展」「情報リテラシー」「心地よい時間こそ大切」など、新しい動き、価値観が生まれていることを指摘する。
そして「命の経済」――。「我々は、組織構造、消費、生産の形態を抜本的に見直す必要がある。経済活動を新たな方向に誘導しなければならない」という。優先課題は「治療薬とワクチン開発」「医療、予防、健康増進のヘルスケアの強化」「新たな対話の形、食生活を改める(少肉多菜、少糖多果、地産地消)」「密集型都市からの脱却」「医療とともに教育に力を入れる(遠隔教育、再就職の職業訓練、生涯学習、遠隔授業、失う社会性やグループ活動、スポーツ、社会活動への支援)」「文化と娯楽の未来」・・・・・・。パンデミック後の成長分野、健康・食糧・住宅・文化・スポーツ・教育等々、そして環境も国土保全も視野に入れた市場では満たせない莫大な需要へのシフト。それが「命の経済」だという。そして「自動車、航空機、工作機械、ファッション、化学、プラスチック、化石燃料、ぜいたく品、観光などの企業が過去の市場を取り戻すことはない」と指摘する。別のサービスへの移行を模索する一方で、「観光業を救え」「持続可能な観光を模索せよ、一部の観光地への過剰観光ではなく、近場の観光も」と提唱する。さらに地球温暖化が人類に危機を及ぼす一方で、それがパンデミックを引き起こす、リンクしていることを指摘する。こうしたパンデミックが100年に1回でなく、たびたび起きるとすると、全くその通りだ。警告と提唱の本。
「吹けよ あれよ 風よ あらしよ。強い風こそが好きだ。逆風であればもっといい。吹けば吹くだけ凧は高く上がり、トンビは悠々と舞うだろう。その年、大正2年9月20日――祝いどころか用意もしてやれない困窮の中で、野枝は長男・一を産み落とす」――。明治・大正を激しく駆け抜け、手塚らいてうの「青鞜」に参画し、アナキスト大杉栄とともに憲兵に連れ去られ殺害された婦人解放運動家・作家の伊藤野枝の28年の生涯(1895年~1923年)。
福岡の糸島郡今宿村の貧しい家に育つ。色は浅黒く、小柄で、黒々とした眼光は強いが澄んでいる。野育ち少年のようで、激しく、これほどまでというほどの負けず嫌いで、頭脳明晰。出て来た東京は、近代化・産業化の轟音、日清・日露の戦争を経て、政治・思想闘争は過激を究めていた。幸徳秋水らが処刑された大逆事件が1910年(明治43年)、平塚らいてうの「青鞜」創刊は1911年(明治44年)。10代後半の伊藤ノエはそのど真ん中を疾走した。教師の辻潤と恋愛関係になり、2度目の結婚。そして大杉栄をめぐって妻・堀保子、神近市子、野枝との四角関係は泥沼化し、神近が大杉を刺す日陰茶屋事件に行き着くが、結局は大杉と野枝が結ばれていく。赤貧洗うがごとくの生活で、家賃も払えず家も転々、同志も変転するが、大杉との間では同志的絆も強く、相性も良く、毎年のように5人もの子を成す。そして関東大震災後の混乱のなかで、官憲に捕われ共に殺される。
明治維新から50年――世界も第一次世界大戦、ロシア革命。日本の近代化、労働運動や女性解放・人権運動の勃興期。社会も人間も荒削り、欲望むき出しの時代であったことが、伊藤野枝の激しい生涯(たった28年)を通じてよくわかる。「叔父夫婦をはじめ野枝には苦労のかけられ通しだったろう」「もとより大杉は、行動・実行にこそ重きを置いている。思想を広めるだけで呑気に満足している連中を横目に見ながら・・・・・・」「世の多くの人々は大杉栄を無鉄砲だと思っている。近藤の見る大杉はそうではない。何をするにも計画は細心にして緻密、ただし、いざ心を決めたら算盤を捨てて立ち上がる。計画と実行の間が人より短いだけだ」・・・・・・。どんな思いで死んでいったのだろう。「これでもう失わなくていいのだ。与り知らぬところでひとの命が奪われ、自分ひとり遺されて生きながらえる恐怖に、二度と怯えなくていい。追い求める理想と、炉辺の幸福の間で板挟みになる必要もない」「あらしの時は去っていった。ここには風すら吹かない。この穴よりもなお深い、安堵」・・・・・・。凄まじい評伝小説。
困窮している子育て家庭へ子ども1人当たり5万円の給付金――。16日朝の政府関係閣僚会議で、公明党が強く要請してきた支援策が決定しました。昨日15日も、党として菅義偉総理大臣に申し入れをしたものです。児童扶養手当などを受給している低所得のひとり親家庭と、住民税非課税の子育て家庭に対して、子どもの人数に応じて1人当たり5万円の給付金を支給するものです。このほか、収入が減少した人が生活費を借りることができる「緊急小口資金」と「総合支援資金」について、今月末の申請期限を6月末まで延長することも決定しました。
首都圏では緊急事態宣言が長引き、非正規労働者や、ひとり親家庭を含む子育て家庭など生活困窮者に対するダメージが大きいという現状にあります。あわせて、ひとり親家庭の自立支援強化、無利子の特例貸し付けを延長、雇用支援強化へ職業訓練充実、女性の貧困問題の実態把握などを強く要望しています。
このコロナ禍で、食料危機は世界最大級、しかも喫緊の課題であることは、2020年10月、国連WFP(国連世界食糧計画)がノーベル平和賞を受賞したことからも窺える。現在、世界では十分に食料を確保できない人は9億4000万人、なかでも極度の食料不安を抱える人は約2憶7000万人で、コロナ禍以前より急増しているという。アフリカでの食料危機は厳しく、日本でも食品ロスが大きな課題となっているように、「大手コンビニ1店舗で、1日1万円以上の食料を捨てている」現状がある。
その原因は単なる「人口増」などで片づけられるものではない。本書ではまず「分配の不平等」をあげる。貧困(経済力がなければ食料が購入できない)、紛争、自然災害、経済の停滞で食料が入手できないことは、イエメンやコンゴ等でも明らかで、そこからまた暴動・紛争が起きている。次に「搾取主義の食料システムとヒエラルキー(高所得国が低所得国から搾取する構図、強者が独占し弱者に分配されない)」「食品ロス(食べ物の3分の1が捨てられている)」が指摘される。そして生産面や利用面から考えると「気候変動(水不足や高温での旱魃)」「ミツバチやその仲間の減少」「バッタの害」「バイオ燃料・バイオエタノール(バイオマスがカーボンニュートラルであっても可食部まで使われている)」「肉食の増加(牛1キロあたり11~13キロの穀物が必要)」がある。そして「新型コロナが脆弱な国に打撃を与えること」「人口が2050年には97億人まで増加すること」など10の原因をあげている。
その対処方法は、それらの原因を減少させることに尽きる訳だが、「食品ロス削減(賞味期限を延ばす技術革新、30・10運動、食べ残しへのペナルティ)」「食料安全保障の『利用可能性』」「消費者啓発」「昆虫食」「省資源化の取り組み、培養肉の開発」「食のシェア(フードバンク、家庭で余った食べ物を必要な人に渡すフードドライブ、おてらおやつクラブ)」「生ごみの資源化(リサイクル)」等、きわめて生活の身近なことまでの具体例をあげる。そして最後に「食への危機感も敬意も足りない日本人」「貧困、飢餓を1、2とするSDGsについて日本は周回遅れだ」と厳しく指摘、意識改革を促し、「私たちができる100のこと(アクション100)」を例示する。