sensitati.jpg「パレスチナに生きる」が副題。今年の530日は「リッダ闘争から50年」。あのイスラエル・テルアビブ空港で、日本赤軍の奥平剛士ら三人が自動小銃を乱射し、24人を死亡させ、70人以上を死傷させたテルアビブ空港乱射事件。そして今年528日、リーダーであった重信房子は出所した。奥平剛士は京大工学部の私の同級生、学科が隣り合わせでもあり、その姿ははっきり覚えており、この事件は衝撃的であった。重信房子も同じ歳、学生運動激しい同時代の空気を吸いながらも、私は「人間革命なくして真の意味での社会革命はない」と主張していた。マックス・ウェーバーのエートス、その変革が根源的だとしたのだ。なぜ、どういう思想経路をたどってパレスチナ解放人民戦線(PF LP)とつながり、乱射事件に突入したのか――本書は主にその奥平剛士のことを語っている。

「当時の戦時下にあったパレスチナ人民・アラブ諸国のイスラエルに対する戦闘行為の一つ。そのPF LPの戦いに日本人義勇兵が参戦したものだ」「帝国主義の戦争は絶対悪だが、帝国主義の侵略、植民地支配に抵抗する人民戦争、抑圧された人々の抵抗の戦争は無条件に支持されるべきだ。もちろん関係のない民間人等への被害は最大限避けるべきだが、力関係から民間人への被害は避け得ない――これがみなの共通認識と理解していた」「敵とはいえ他人の命を奪う以上、生還すべきではない。自決しかない」「日本からのニュースはあさま山荘銃撃戦、連合赤軍の粛清・仲間殺しが続いていた。森指導部のためにとんでもないことが起こってしまったと直感した」「最後の日――それは平気でも冷静でもなくて、使命への渇望が、感情、心情を無自覚に抑え続けていたのだろうと今はわかる」「日本では連合赤軍事件の延長線上で、テルアビブ空港の無差別虐殺、また赤軍派といった情報が溢れ、その報道に落胆し焦っていた」などと語っている。

当時、「世界同時革命」という言葉が出回っていたが(20代前半の学生周辺だけかも)、日本では連合赤軍事件もあって、当然、支持はなかった。「真に人民と共に社会を建設するという観点、誰でも変革しあって革命を担うことができるという、革命の根本である人間観を基本に据えて戦いを組織してこなかったことを物語っています」とも言う。そしてアラブの日本人組織「日本赤軍」の結成、そして自己批判総括の表明、国際連帯・国際主義を志向する活動等が語られる。社会の変革は容易なものではなく、現実を直視した人間主義の自在の知恵によるものである。粘り強く行う蝸牛の歩みだ。当時、「ラジカルとは根源を問うことだ。根源とは生命であり、人間存在だ」と私たちは言っていた。生命の尊厳、人間生命の無限の可能性、生物の共生を絶対視しないと暴走が始まると思う。


nihonkeizai.jpg「日本経済の運営において、1%をはっきり上回る実質経済成長、2%のインフレ率を短期間で実現することばかりにフォーカスするのではなく、よりミクロに、そしてより長期でみた、経済の供給面での変革を通じた成長率の向上を目指すべきだ。それは成長志向の誤謬から抜け出すことでもある。令和の時代の日本のマクロ安定化政策は、そうした方向性をより意識したものであってほしい」「日本経済の粘着性を前提とすれば、それら目標の短期間での実現は、実は『ないものねだり』だったのかもしれない」「日本経済にはもう長いこと『不振感』が付きまとっている」という。そして「時代の急速な変化で必要とされる財・サービスが大きく変化するなか、構造改革が徹底されないまま、金融緩和や財政出動などのマクロ政策で一気に成長させようとしても難しい」というのだが、「成長志向の誤謬」とまで言うのはどうだろう。

「潜在成長率の引き上げは、新しい分野へと労働、資本といった生産要素を移動させることを通じて実現されるものであり、それがマクロ経済の構造変化だ」「日本経済に構造変化を促す力への対応が十分進まなかった。そうした対応とは経済の供給構造を新しい自律的・持続的な需要にフィットしたものへと変えていくことである」「日本経済にさらに構造変化を促す7つの力――①人口減少・高齢化②グローバル化③技術革新④所得格差⑤地球環境保全⑥行き過ぎた金融化の是正⑦コロナ禍後の社会」「もはや持続的な成長が期待できない『古い重要』に対応した供給構造から、成長を生み出す『新しい重要』に合致した構造への転換を強力に進める必要がある」と指摘する。日銀出身の著者だけに「金融政策」がかなりの部分を占めて論述するが、財政政策についてより積極的に手を打つ必要があると私は思っている。「規律ある弾力的な財政支出」を示しているが、この30年間、歳出増は社会保障の増大に食われていることを指摘しており、国民生活を豊かにし、需要喚起をもたらす財政出動は、防災・減災や健康・医療・介護等のインフラ整備も含めて重要だ。「公債等残高の対名目GDP比率の収束と発散」についても論じている。金融緩和の強化や総需要刺激だけでデフレ解消はできない、それはその通りで、中身をよく点検し、総合的な「マイルドなデフレ」という極めて厄介な難題に取り組んでいかなければならない。ブレずに、強い意思を持って。


yorunihosiwo.jpg「真夜中のアボカド」「銀紙色のアンタレス」「真珠星スピカ」「湿りの海」「星の随に」の5編。いずれも空の星が通低音となっている。

人生は離婚や母親の死、新しい母親や家族・・・・・・。かけがえのない人間関係を失って傷ついた者が、どのようにそれを埋め、再び誰かと心を通わせる関係を築けるか。その最も本質的、根源的な問題を、温かく、静かに、悩みもがく者の心に触れつつ描く。「心通う人を得たい」「離れ離れになった我が子に接したい」「母に会いたい、暮らしたい」――そうした思いが切々と伝わってくる。星座は家族のようでもあり、一つ一つの星の輝きなくしてつくれない。暗く沈んだ星もあれば、光を放たない星もある。海は百川を納めるが、満天の星は満ちているようでもあり、所詮は孤独でもある。

「真夜中のアボカド」――婚活アプリで出会った恋人だったがこのところどうもおかしい。そんな不安定ななか、突然亡くなった妹の恋人が、揺れる心の空洞に入ってくる。「銀紙色のアンタレス」――夏が大好きな高校生の真は、海辺にあるばあちゃんの家に行って夏休みを過ごす。そこに幼なじみの朝日が来て、「好きだ」と言われるが、そこで子供を連れた若い女性と出会い心惹かれる。「真珠星スピカ」――交通事故で母を失った中学生のみちるは、父と暮らすが、母親の幽霊が彼女の前に現われるようになる。みちるは学校ではいじめの標的となり、保健室登校が続いていた。

「湿りの海」――離婚した妻と娘はアメリカのアリゾナ州に行ってしまった。傷心の沢渡だったが、隣にシングルマザーが引っ越してきた。「星の随に」――小学4年生の想くん、親が離婚して父と新しい母である「渚さん」と住んでいるが、弟が生まれる。まだ「お母さん」と呼べない。育児で精神的にまいってしまった新しい母。想くんは、家に入れてもらえなくなる。マンションに住むおばあさんが助けてくれるが・・・・・・。「僕、お母さんに会いたい」との溢れる想いを抑えている小学4年生の健気な純粋な心、そして新しい母にも心を配る少年の心に、涙がこぼれてしまう。

丁寧に心の中を描いている。現在の社会によくある話だが、それが最大の人生の問題であることがよくわかる。何とか乗り越えてほしい、良い結果をもたらして欲しいと、こちらものめり込んでしまう。素晴らしい小説。


bakudan.jpg酒屋の自販機と店員を殴りつけた傷害事件で、中年のヘラヘラした男が野方署に連行された。男は、取り調べの最中に「十時ぴったり、秋葉原のほうで、きっと何かありますよ」と予言する。直後、秋葉原の廃ビルが爆発。そして男は、「わたしの霊感じゃあここから三度、次は一時間後に爆発します」と告げる。この男、名前はスズキタゴサクだと、ふざけたことを言う。狭い取調室の中で、爆弾のありかについてクイズのようなやりとりが続く。翻弄される警察――取り調べをする等々力、清宮、類家らは焦るが、その間にも各地で爆発が起こり、死傷者が膨れ上がる。また野方署ではかつて「お恥ずかしい不祥事」があり、事件を起こした伝説の刑事・長谷部有孔が自殺しており、どうもこの事件が関係してるようであった。・・・・・・東京の各地で爆発が起きるという狂気がゲームのように始まり・・・・・・。

恐怖、苛立ち、不気味な不安が東京を覆い、爆発を止められず、追い込まれる取調官や捜査員。復讐や反権力テロの爆弾事件がこれまでの通例だが、今回はどうも違う。「価値のない人生」「無意味な人生」をとことん思い知らされた人物、自暴自棄となり「この街が全部なくなれば良い」「この街に隕石が落ちてしまえばいいのに」という人物を描く。ヘラヘラして饒舌なスズキタゴサクの底なし沼、とらえどころのない不気味さが、更なる恐怖を生み出している。


gendaisisou.jpg「今なぜ現代思想か」「今なぜ現代思想を学ぶのか」――。哲学といえば、ギリシャ哲学からデカルト、カント、ニーチェ、キルケゴール等々、そして世界の宗教に触れ、かつ「宇宙とは何か」「人間とは何か」「生命とは何か」を問いかけ、「生きる」ことの思索を身体に刻みつけるものといえるだろう。そこで現代思想――それが今、「現代思想がどこまで来ているのか」を解説する。「現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち『差異』に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思う」「20世紀の思想の特徴は、排除される余計なものをクリエイティブなものとして肯定したこと」「現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より『高い解像度』で捉えられるようになる」「二項対立を組み立てることでひとつの意味を固定しようとするのが常識的思考です。そこに揺さぶりをかけるのが脱構築的思考です」という。「高い解像度」という言葉に出会っただけで嬉しくなった。

扱うのはデリダ、ドゥルーズ、ミシェル・フーコー、そしてラカン、メイヤスーなど。「秩序からの逸脱」だが、デリダは二項対立から脱する「概念の脱構築」、ドゥルーズは同一性に対抗して差異の思想を打ちたてる「存在の脱構築」、フーコーは権力の支配・被支配の関係を解き明かす「社会の脱構築」と解説する。

デリダ――。「何か『仮固定的』な状態とその脱構築が繰り返されていくようなイメージでデリダの世界観を捉えてほしい」「治療薬であると同時に毒薬でもある医薬」「本質的なことが大事だという常識を本気で掘り崩そうとして非本質的なものの重要性を擁護する」「デリダによれば、あらゆる二項対立は、話し言葉(パロール)と書かれたもの(エクリチュール)の対立と言い換えることができる。パロールはじかに真意を伝える、エクリチュールは間接的だから誤読される」・・・・・・。

ドゥルーズ――。「世界は差異でできている、というのがドゥルーズの示した世界観」「ドゥルーズの場合、先行するのは、物事が同一性を持ち、これはこういうものだと定まっている世界だ。そこから排除されているのは、デリダと共通するズレ、差異、生成変化だ。同一性の崩れこそが世界の超越論的な条件であるとする。しかもそれを極端化し、同一的なABの間の差異ではなく『差異それ自体』が世界をつくっているのだ、という存在論が出てくる」・・・・・・。

ミシェル・フーコー――。権力の分析をし、二項対立図式を揺さぶった。「支配を受けている我々は、実はただ受け身なのではなく、むしろ支配されることを積極的に望んでしまうような構造がある。権力は、上から押し付けられるだけではなく、下からそれを支える構造もあって、本当の悪玉を見つけるという発想自体が間違いだ。権力は上と下が絡まり合いながら複雑な循環構造として作用している」「近現代社会においては、規律訓練と生政治が両輪で動いている」・・・・・・。社会問題を形成している背景の複雑さをより高い解像度で見ることができるようになるということだ。

「人間は過剰な動物だ。人間はエネルギーを余している」といい、人間は過剰なエネルギーの解放と有限化の二重のドラマを生きている。「秩序と逸脱」「逸脱して現実に迫る」「今ここで、何をするか。今ここで、身体=脳がどう動くか。身体の根底的な偶然性を肯定すること、それは、無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組むことである」と説く。諸法実相、如実知見して、解像度を高め行動する身体ということか。大変刺激的な著作。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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