hitonokokoro.jpgコロナ対策で政府は国民の「心」に働きかけ三密回避やソーシャル・ディスタンスを取ることを求めた。一方で、金融政策においては中・長期金利の誘導や予想インフレ率をコントロールする観点から「人々の期待」への働きかけがキーワードとされてきた。この2つの「働きかけ」は、背景とする人間観・経済学が違う。合理的に満足を最大化させようとする人「エコン」と合理性よりも大事なものもある人間「ヒト」。行動経済学の成果を、主流派のマクロ経済学に加味した政策を行う必要がある、と言う。「行動経済学×マクロ経済学」だ。

人間というのは不思議なものである。必ずしも合理的な行動をとるものではない。トイレットペーパー・パニック、銀行の取り付け、バブルなどは、予定調和的なメインストリームの経済学の世界観とは違う。一方で面白いことに人間は、危険に直面するとすぐパニックを起こすとは限らない。災害や予期せぬ異常や危険に対して、過剰反応しないようにある程度鈍感にできているという「正常性バイアス」があると言う。金融市場にも正常性バイアスが働く。行動経済学の知見では、「正常性バイアス」とともに、明日や明後日の満足と比較して、「今の満足」の価値が突出して高い「現在バイアス」を指摘する。ダイエットの失敗も、今日はしっかり食べて明日から頑張ろうとして失敗する、というわけだ。政治でも将来への時間軸を考えないで、どうしても今のゆるい対応になるというのは「現在バイアスの罠」だ。チケットを買って映画を見ても、「面白くないが、お金をせっかく払ってるんだから最後まで見てしまう」という「サンクコスト(埋没費用)の罠」がある。それは国の予算を使って技術開発を行い、なかなかうまくいかなくても止められない、取り返そうとする「損失を取り戻そうとして深みにはまる罠」という行動だ。将棋でも「流れ」で読み切ってさす人間と、過去にとらわれず、その瞬間の最良の手を計算するAIとの違いがあり、AIには「サンクコストの罠」は無縁だ。それらの実例が本書で示され、行動経済学の重要性と面白さが伝わってくる。

そこで公共政策等における「働きかけ」の重要さが示される。「フレミング」と「ナッジ」――。表現の選択、見せ方で受け取り方が異なる「フレーミング効果」。「手術を受けますか」という表現の仕方で「手術後1ヵ月の生存率は90%」とポジティブにいう言い方と、「手術後1ヵ月の死亡率は10%」とネガティブにいう言い方では、手術を受ける人は80%と50%という大きな違いがあるとデータを示す。確かにと思う。「ナッジ」とは「注意をひいたり、何かをさせるために、人をそっと押す」ということ。人は利益の喜びより損失の痛みをはるかに強く感じるというプロスペクト理論もあり、行動経済学的な人間像が例示される。

これらを踏まえて、マクロ的な社会現象や経済政策に論究する。「日米貿易摩擦についてのポジティブなフレーミングの陥穽」「日本の移民政策についてフレーミングが強める現在バイアス」「日本のコロナ対策における人との接触を減らす打ち出し方。ポジティブな表現を使った」・・・・・・。

そしていよいよ焦点となる日本の異次元の金融緩和政策、デフレ脱却への「インフレ予想、期待への働きかけ」に論及する。「異次元緩和導入時に黒田総裁が強調したのは、市場や経済主体の『期待』を抜本的に転換することで予想インフレ率を上げることであり、マネタリーベース倍増はそのシンボルであった」と指摘しつつ、「そのメッセージは必ずしも一般市民には届かなかった」「家計は異次元緩和に関心を持たなかった」「マネタリーベースという専門用語は一般市民の大半は何の話だかわからないままスルーした」などと指摘する。行動経済学的な分析だ。「異次元緩和に欠落していた家計にとってのポジティブなストーリー。物価上昇の果実についてポジティブなフレーミングないしストーリーが必要だったはずだ」・・・・・・。昨今の慢性デフレの上に急性インフレが襲い、世界とはほど遠いにしても3%を超える物価上昇の日本。「物価が上がっても賃金は上がらない」を、「物価が上がるが、賃金も上がる」というポジティブメッセージを発せられる時だと思う。どう体制を作り、企業と国民に届くように語るか、最も重要な戦略だと思う。リアリズムに徹する知恵の総結集だ。


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10日、大阪の大光会総会に出席、日頃の地域活動等を報告。明年の戦いに向けて元気に決意しあいました。大光会(代表世話人・太田昭宏)は公明党の議員経験者で構成され、11月から各県で総会を行っています。地域での実績・経験は極めて豊富で、活躍をしている人が多く、集うと「元気」の電流が走ります。11月に行った岡山では97歳の先輩が駆けつけ見事な3分間スピーチをしてくれましたし、福岡や愛知・京都でも現職時代と変わらない、いやさらに円熟した日常活動に感動しました。12月2日には、奈良県総会に行きましたが、降りた駅が近鉄西大寺。駅前で安倍元総理を偲んで手を合わせました。私は「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく、の精神を生涯」と訴えています。

11日は、早朝から中学生の野球「北リトルシニアの卒団式」、豊島区大塚での地元主催の「地域セミナー」で講演しました。多くの方々と懇談できました。

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daiti.jpg「一握りの土に5億年の重みがある」「土は極めて複雑だ。大さじスプーンすりきり一杯(10グラム)の土に、世界人口を上回る100億個の細菌、さらに無数の菌類、古細菌、ウイルスが共存している」「地球の歴史46億年の中で、41億年目まで地球に土はなかった。5億年前に植物が上陸したことで、緑と土に覆われた大地が誕生した。ここで、他の惑星にも共通する石や砂の物語から分かれ、地球は独自の土の物語を紡ぎ始める。土壌とは岩石の風化によって生まれた砂や粘土に腐った動植物遺体が混ざったものだ」「植物と土の歩んだ5億年、ヒトと土の歩んだ1万年」――。副題には「せめぎあう土と生き物たち」とあり、土と人類の驚異の歴史が語られる。極めて面白い。

「土は少しづつ『変化』し、『酸性』という厄介な性格を持つ」「酸性土壌に適応したマツ、岩を食べるキノコ」「氷の世界の森と土」「水に恵まれた森の楽園・奇跡の島国日本、降り積もる火山灰」「草を食べ尽くすブラキオサウルス、ゲップやおならを含め2億年前の地球を温暖化させるのに充分な量」「アマゾンの黒い川と白い川」「オランウータン、土を食べる」「雨が増えると、土が酸性になる。樹木は生まれ育った酸性土壌に適応力があるが、ムギやトウモロ之シのような栽培作物は、生まれ育った半乾燥地の中性土壌に適応してきたので酸性の土壌には弱い」「エジプトはナイルの溶存有機物の賜物」「田んぼによる酸性土壌の克服、水田稲作のおかげで日本の農業は発展、人口も増えた」「窒素肥料の功罪、土壌劣化を加速する資本主義」「木材を輸入する森林大国・日本。木材は輸入で賄われ、熱帯雨林は減少、手つかずの日本のスギ人工林」・・・・・・。

土をめぐる競争と絶滅の繰り返し、「必死になって居場所と栄養分を求めてきた植物・動物・人間の試行錯誤の歴史の末に今がある」と言う。


tugaru.jpg関ヶ原の戦から10年後の1610年、石田三成の3女・辰姫が津軽家に嫁ぐ。三成が処刑された後、豊臣秀吉の後室の高台院(北政所)に庇護されていたが、19歳で津軽信枚に嫁いだのだ。ところがその3年後、家康の養女・満天姫が正室として嫁いでくる。満天姫は福島正則の姉の子・正之に嫁いでいたが、正則によって廃嫡・死亡され、息子とともに実家に戻されていた。辰姫は上野国大館ヘ移るが、後の藩主となる長男を産む。関ヶ原から遠く離れた津軽の地で、三成の娘・辰姫と家康の養女である満天姫とが切り結ぶ。西軍の花と東軍の花の対決。女同士の嫉妬や競争心の醜い応酬と思いきや、全く違う戦国女性のキリリとした聡明さと忍耐強さ、矜持を持ったニ人の姿が描かれる。男どもには及びもつかぬ女性の靭さに感服する。

「されど、家康殿は朝廷をわが思いのままにしようとされておる。・・・・・・源吾は言葉を発することができなかった。大阪の陣は家康が豊臣家を滅ぼそうと始めた戦だと思っていた。だが、高台院の話を聞けば、むしろ豊臣家から仕掛けた戦だという」「それにしても、津軽の花は見事に咲いたようじゃな。高台院はくっくっと楽しげに笑った」「世間から見れば憎み合い、謗り合う仲であるはずでした。しかし、わたくしにとって、あなたは生きる支えでした。あなたがいなければ、わたくしは自らのなすべきことを何一つなせなかったと思います」「わたくしも同じでございます。満天姫様に一度、お会いした時から、わたくしは自らを磨こうと思いました。まっすぐの道を歩もうと心に定めました。もし、そうでなければ、満天姫様に笑われる。その思いがわたくしを導いてきました」・・・・・・。縁は関ヶ原の戦いから始まり、津軽の地で、石田三成の娘として負けられない戦と、徳川家康の養女として勝たねばならない戦が繰り広げられたのだ。「守らなければならないものを守ろうとして」の戦だ。

本書は、このほかに「鳳凰記」「虎狼なり」「鷹、翔ける」の短編が収められている。「鳳凰記」は、後陽成天皇を守ろうとした豊臣秀吉の精神、大阪冬の陣に臨む淀君の姿が描かれる。「虎狼なり」は、関ヶ原の戦いに挑む石田三成の思いもよらぬ戦略と安国寺恵瓊。「鷹、翔ける」は、本能寺の変に向かう斉藤内蔵助利三の心に秘め続けたもの、を描く。いずれも良い。


koto.jpg「人生の幕が下りる。近頃、そんなことをよく思う。・・・・・・今年(2015)から京都で暮らしている。何度か取材で訪れた京都だが、もう一度、じっくり見たくなった。古都の闇には生きる縁となる感銘がひそんでいる気がする。幕が下りるその前に見ておくべきものは、やはり見たいのだ(薪能)」「このエッセイの連載は、――幕が下りる、その前にとサブタイトルをつけた。幕が下りる前にしなければならないことがある(義仲寺)」とある。京都の街に潜んでいる人と歴史を探訪する実に味わい深い珠玉のエッセイ68篇。感動的。早く亡くなったことが残念に思われるが、その後出版された本を何冊も読んだゆえに、余計に死が惜しまれる。

「ふと、京を逃れて一騎駆けをした武将がいたことを思い出した。源平争乱の時代を切り裂く稲妻のように生きた木曽義仲だ。義仲のどこに魅かれるかと言えば、誰しも最後はひとりだ、という感慨ではないか(薪能)」「ゾシマ長老と法然」「漂泊の俳人尾崎放哉が見た京の空」「最澄と空海(比叡山)」「千利休始め、山上宗二、古田織部など名だたる茶人が非業の死を遂げたのはなぜだろうか(大徳寺)」「漱石の失恋」「龍馬暗殺」に始まる68篇は、いずれも味わい深い。「梶井基次郎の名作『檸檬』の舞台となった京都の書店・丸善、大爆発(檸檬)」「信長が定宿とした本能寺、比叡山と法華宗の戦いの中で本能寺の変を見る(本能寺)」「与謝蕪村の本当の寂しさ(蕪村)」「芹沢は尊攘派が没落した京都に取り残された。・・・・・・この時期まで芹沢が生きていれば、上洛を目指す天狗党に京で呼応しようとしただろう(芹沢鴨)」「山科に隠棲した大石(大石内蔵助の『狐火』)」「高山彦九郎の土下座」「禁門の変の埋火」「京都の島原と島原の乱(島原縁起)」「一休さんが復興した大徳寺(利休の気魄、一休の反骨)」「三条木屋町の『長浜ラーメン』」「西郷が亡くなる瞬間まで肌身離さず持っていた橋本左内の手紙(西郷の舵)」「紫式部の惑い」「庶民世界に根ざした龍馬の手紙」・・・・・・。

京都の街に潜む人間と歴史――7年も京都に住んでいたが何も見なかったなぁ、前ばかり見て走り回っていたなぁとつくづく思う。もったいない。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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