tusimano.jpgJA対馬で起きた巨額横領事件のノンフィクション――。組織、システムの中で生きる「個」の苦しさ、淋しさ、諦めと惰性、疑問と欺瞞が迫る。2024年第22回開高健ノンフィクション賞受賞作。

20192月、JA対馬の職員・西山義治が海に車ごとダイブして溺死する。西山はJA共済連で"日本一の営業マン"と何度も表彰された有名な男だったが、「22億円超の横領疑惑」が持ち上がっており、事故直後から自殺の噂が流れていた。不正事件は、彼一人の責任として片付けられるが、「人口3万人の島・対馬でなぜ日本一の営業実績を上げることができたのか」「どうやって巨額の横領ができたのか」「そんな驚くべき不正を一人でできるものなのか」「西山とはどういう人物なのか」――。著者は疑問を胸に、対馬に入って関係者の話を次々と聞いていく。

そこで浮かび上がったのは、職員に課せられた「厳しいノルマ」。職員はノルマをこなすために、自分や家族の契約「自爆営業」を強いられる。西山が行ったのは「架空の契約」、顧客から通帳を預かる「借用口座」や顧客に無断で作った「借名口座」を駆使。顧客の署名や押印を無断で代行、印鑑の束を保持していた。さらに、「台風が来たときには、被害の申請が一気に増えた」――「建物更生共済」の盲点を突き、架空、過剰請求を行うことをはじめありとあらゆる手口を駆使して金を横領する。台風の時期でない時は「生命共済」で抱き込んだ医師に診断書を書かせて偽装する。西山はルフィのフィギュアを何体も集めていたようだが、まさに「富」「名声」「力」を目指す仲間「西山軍団」を形成していたと言う。「うちの農協では、西山が組織のノルマのほとんどをこなしとったから。だから、他の職員は自爆する必要がなかった」との証言を得る。「毒饅頭」が回っていたのだ。ノルマがきついなどのどの組織でも気をつけなくてはならない陥穽だ。仲間組織、閉鎖組織ならなおさらだ。

本書では、西山の不正を黙認してきた上層部にも厳しい目を向ける。「彼らも、JAグループという中央集権的な巨大組織の中に位置づけられている以上、『長い物には巻かれろ』というムラ社会の論理からは、容易に逃れられるはずもなかったのである」「JA対馬を舞台にした一連の不祥事件を記してきて思うのは、これがいかにも『ムラ社会』を基本としてきた日本における象徴的な出来事だということだ」と記している。そして「西山はずっと踊らされてきた。ノルマの達成や営業の実績を至上とする舞台で」「西山はすべての秘密を海の底に持っていった」「深く重い沈黙が、国境の島と巨大組織を覆っている」と結んでいる。


yanasetaka.jpg「アンパンマンとぼく」が副題。「絶望のとなりに だれかが そっと腰かけた 絶望は となりのひとに聞いた 『あなたはいったい誰ですか』 となりのひとは ほほえんだ 『私の名前は希望です』(絶望のとなり)」――。「一寸先は光」というのが嵩のモットーだった。「どんなに深い闇でも、目をこらせば光はある。生きるということを肯定し続けた生涯だった」と、やなせたかしを「先生」と仰ぐ梯久美子さんは言っている。

NHKの朝ドラの「あんぱん」は、妻となる暢の「ハチキン」「韋駄天おのぶ」が中心となり、母に捨てられ、孤独と屈折する感情の無口で気真面目な嵩が描かれているが、本書は99%がやなせたかし。父と母、伯父の家、青春の日々、軍隊へ、徴兵されて中国へ渡り、戦場で飢えを経験、弟千尋の戦死、売れない仕事、そしてアンパンマンに託した嵩の思いが丁寧に描かれる。

(中国の地に足を踏み入れた嵩)支えになったのは、日本が正義の戦いをしているのだという思いだった」――。しかし、敗戦とともに信じてきた「正義」が突然ひっくり返る。そして「ある日を境に逆転してしまう正義は、本当の正義ではない」「正義の戦争などというものはない」「勝った側は百%正しかったのか。そうではないはずだ」「正義のためなら死んでも仕方がないと思っていた自分は、いったい何だったのだろう」・・・・・・。そして「ひっくり返ることのない正義はあるのか」「もし、ひっくり返らない正義がこの世にあるとすれば、それはおなかがすいている人に食べ物を分けることではないだろうか」と悟るのだ。

優しい言葉で「アンパンマン」「手のひらを太陽に」、雑誌「詩とメルヘン」を創刊して30年間も編集長をつとめる。苦難ばかりが押し寄せるが、誠実に懸命に生きたやなせたかしの祈りと哲学が語られる。こんなまっすぐな人生を歩むことができること自体に感動する。 


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荒川放水路が通水して100年――。記念するシンポジウムが6月1日、岩渕水門(荒川と隅田川を分ける水門)、国土交通省荒川下流事務所のある東京北区で開催されました。

現在の荒川である荒川放水路は、明治43年の大水害を契機に抜本的な洪水対策として建設された人工の河川。1924年(大正13)の通水からちょうど100年が経過。荒川と隅田川が岩渕水門によって分岐し、東京東部・埼玉南部の低地帯を守ってきました。この荒川放水路という大河川を計画し、建設したというのは凄いこと。しかも人力。短期間(昭和5年に全て完成)。想像を絶する歴史的大偉業と感嘆します。

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この日のシンポジウムでは、「これまで1度も堤防が決壊することがなかった」「洪水を防ぐため現在、上流に第二、第三調節池を整備している」などの国土交通省関東地方整備局から報告があり、「浸水と親水〜まちづくり〜」の講演(加藤孝明東大教授)、パネルディスカッションなどが行われました。私は「荒ぶる川の荒川は、徳川家康による利根川の東遷、荒川の西遷から始まる。100年前の荒川放水路建設は人力を結集した民衆の凄い力によるもの。今は第3の節目。洪水防止、親水まちづくりに皆で力を注ぎたい」と一言挨拶をしました。多くの人に来ていただいた良いシンポジウムとなりました。

この日は、豊島区、目黒区などの会合にも参加させていただきました。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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