「SNSで選挙はどのように操られているか」が副題。怒りの感情をアルゴリズムで煽り、民主主義をカオスに落とし入れる人々。昨年来の東京都知事選、衆院選、兵庫知事選等を見ると、欧米を席巻してきたSNS等による攻撃的なポピュリズムが、世界から10年遅れて日本で始まっている。
著者はイタリア人の父親とスイス人の母親との間でパリで生まれ、フィレンツェ市の副市長、イタリア首相のアドバイザーを務めた後、現在はパリ政治学院で教鞭をとっている。イタリアやハンガリー、イギリス、アメリカ、ブラジルなどの例を取り上げ、ポピュリズムがなぜ根を広げているのかを掘り下げ分析する。トランプ、ボリス・ジョンソン、オルバーン(ハンガリー)、ジャイル・ボルソナロ(ブラジル)らが跋扈する世界では、毎日のように失言、論争、派手なパフォーマンスが繰り広げられる。「我々は、これらの出来事を個別に批判する時間的な余裕もなく、天を仰ぎ、『タガが外れている』とつぶやきたくなる。だが、ポピュリストたちによる野放図なカーニバルの背後には、スピンドクター(情報を操作する者)、理論家、最近では科学者、ビッグデータの専門家たちによる緻密な工作がある。ポピュリズムのリーダーたちは、彼らの貢献があったからこそ、権力を掌握することができたのだ」ーー。ポピュリズムはナショナリズムに合流する。本書は、このポピュリズムの仕掛け人を探り当て、ナショナリズム型ポピュリズムを分析したものだ。
イタリアのグリッロをアルゴリズムを駆使する政党「五つ星運動」の最初のアバター(化身)に仕立て上げたマーケティング専門家ジャンロベルト・カサレッジオ。イギリスのEU離脱キャンペーンを指揮したドミニク・カミングス。トランプを勝利させたアメリカのポピュリズムの仕掛け人スティーブ・バノン。ハンガリーの首相オルバーン・ヴィクトルの片腕になったアーサー・フィンケルスタイン。「カオスの仕掛け人たちは、自撮りとSNSの時代に見合ったプロパガンダを構築しながら、民主主義というゲームの本質を変えようと試みる」「それまでのイデオロギーの相違を希釈し、『大衆』VS『エリート』という単純な図式に基づく政治的な対立を再定義する。彼らは多数派を中道ではなく、極端に収斂させようとする」と指摘する。
彼らが糧とするのは大衆の不満、否定的な感情だ。ネット上で拡散する憤り、恐怖、偏見、侮辱、人種差別や性差別を助長するやり方・言説は政治家たちによる退屈な討論よりも、はるかに多くの耳目を集めるというわけだ。理屈を真面目に言うよりも、人々の感情に訴える出来事を投稿すると、「いいね!」の数は、100倍以上に跳ね上がる。イタリアは早かった。「ベルリンの壁が崩壊すると、イタリアはポピュリズムのシリコンバレーと変貌を遂げた。エリートの拒絶、従来政治からの逸脱、「腐敗したエリート層VS市民目線の司法」が始まり、「五つ星運動」がポスト・イデオロギー型のアルゴリズムを利用し、理念より技術のテクノ・ポピュリズムが、政治の手綱を握って今日に至っている。ポピュリズムの「権力者を懲らしめる」「辛抱する必要などない」「我々を承認してほしい」という激しい感情が原動力となっているのだ。
バノンもヤノプルスもトランプ自身も、「アメリカ左派のアイデンティティーの固定観念を打ち砕くことに意地の悪い喜びを感じる『荒らし』」となり、「2016年のアメリカでは、政治家の評価基準は、他の有名人と同じになり、第一に注目を集める能力だった」と言う。ハンガリーのオルバーンは「経済移民は悪だ」「政治とは敵を見極めること」「新たな敵を作って叩く」という手法を繰り返した。欧米の「移民問題」は、右派ポピュリズムと左派ポピュリズムががっちり手を組むことができるテーマだったのだ。
ポピュリズム政治家の選挙では、物理学者を使うことになる。データの収集、効果的なメッセージの最適化を繰り返す作業----。政治に科学を持ち込む手法は大きな進歩を遂げている。「2016年の米大統領選では、トランプのデジタル版スピンドクターたちは590万本のメッセージをテストした(様々なターゲットを選んで)が、ヒラリー・クリントン陣営のメッセージの数は6、6万本に過ぎなかった」と言う。「政治指導者に求められる唯一の付加価値は、派手な振る舞いである」「トランプが遵守するたった1つのルールは『聴衆を退屈させない』ことだ」「今日、世界のポピュリズム運動の主要人物たち全員は『連日、騒動を起こす』という原則に基づいて行動している」「政治の中道が崩壊し、不寛容な少数派が歴史の趨勢を左右する時代が再び訪れようとしている」と指摘し、「かつての政治工作は、人々を団結させるメッセージを作り出すことであったが、今日ではできるだけ派手に人々を分断させることへと変化した。過半数を獲得するには、中道に収斂させるのではなく、極端を足し合わせる必要があるのだ」と言う。恐るべき時代になっている。そして「現在の指導者たちのブームが去っても、ナショナリズム型ポピュリズムという習慣性の強い薬物に慣れた有権者が、穏健に戻る事はなく、さらに新しいもの、刺激の強いものを求めるはずだ」とまで言っている。
果たして穏健派は、カオスの仕掛け人たちの煽動的な戦術に対抗する効果的な解決を見出せるだろうか。「カオスの仕掛け人たちから逃れる唯一の方法は、明るい未来を描き出し、恐怖を願望に換え、後ろ向きではなく、前向きな物語を語ることだ」と、本書では言っているが、ますます厳しい時代になっている。
13日、東京都議選が告示(22日の投票日)、勝利めざして舌戦が開始されました。
早朝、北区・大松あきら候補の事務所前出発演説、王子での第一声に参加。大松候補は、自らの教育、がん対策、防災など戦い取った実績は極めて豊富。心を込めてそれらを紹介しつつ、勝利への懸命な訴えをしました。
豊島区の谷きみよ候補。正午から地蔵通り商店街で街頭演説。新人ながら既に「小一の壁」を打ち破って豊島区だけでなく、全国展開が始まっている目覚まし行動の人、「突破力」の人です。歯切れの良い演説に拍手と声援が寄せられました。私も、「政治は結果だ。仕事をする政治家が大事」「突破力のある谷、谷、谷、谷、谷きみよ!」と訴えました。22名全員当選にがんばります。
「日本大好きエコノミストの経済論」が副題。「Weeb(ウィーブ)」とは、アメリカで日本に特別な興味と関心を抱く人たちを表す言葉。かつては日本のアニメや漫画など日本のポップカルチャーに熱を上げている人たちを言ったが、今は広く日本に愛着を抱く人々をいう。2000年代中盤には、ウィーブは珍しかったが、「今や何百万、何千万に増えた」ようで、日本に移住する人も出てきてると言う。
「日本は未来を失ったのは2008年。1990年ではない」と言う。そして「日本は復活の緒についている」と停滞を打破するための戦略を提供する。それは海外からの対日直接投資(FDI)の促進。「TSMC、マイクロン、サムスンによるチップ製造計画、アメリカのベンチャーキャピタルによるサカナAIへの投資、OpenA I はじめ先端企業の相次ぐ日本支社設立は、どれも海外からの対日直接投資だ」と言う。それはクロスボーダー不動産取引や海外企業のM&Aではなく、支社・工場を設立するグリーンフィールド投資であり、日本人に受け入れられやすいというエビデンスがある。円安、低賃金、サプライヤー、安全保障と、いずれも海外企業は日本に進出したがっているが、「重要な鍵は、世界中の人たちが本当に日本のことが大好きで、日本に住みたがっているということだ」と言う。また「技術革新に遅れをとった日本であるだけに(発展途上国になっている)、得意のキャッチアップによって、輸出を増やすと同時にテクノロジーの移転を円滑に進めることができる」と指摘する。経済成長が期待できれば、その豊かさで日本の文化もさらに発展し、ウィーブももっと増え、グリーンフィールド投資が増えていくという好循環ができるではないかと言うのだ。
「世界が日本の全てを好きなことに、日本人は気づいていない」と言う。確かにアニメ・漫画や日本映画、日本食が人気を集め、最近ではJポップが爆発的人気となり、外国人観光客が押し寄せている。著者は日本の安全で快適な街、「雑居ビルは日本の年に独特の美をもたらしている」と言っている。この点はよくわからないが、これ以外は本当によくわかる。
受動的に待つのではなく、「日本に暮らしたいという需要を認識し、トップクラスの人たちを獲得する努力をする」「銀行口座開設など外国人の必要とする手続きへの支援、仕組みの整備」「ウィーブ地域社会を作る。横丁や雑居ビルを維持する」などと言う。
うまく受け入れ、取り込んで発展させる――。日本の停滞を、グリーンフィールド投資によって脱出する。本書では、世界クラスのAI研究開発企業を目指すサカナAiのデビッド・ハCEOとの対談が出ており、刺激的で面白い。
稀代の軍略家として崇められる楠木正成の子・正行を描く900ページにも及ぶ長編小説。今村翔吾らしく、埋もれがちの武将・正行の秘めた志、熱情、卓越した軍才を権謀渦巻く南北朝の戦いのなか感動的に描く。実に正行率いる楠木党こそ、挽回をかける南朝の頼みの柱、鍵であったのだが、その心は・・・・・・。
あの父との別れの桜井の場面――。父は言う。「俺はきっと英傑にされてしまう。英傑、英雄、そして忠臣だと祀り上げられるだろう」「その時、お主は英傑の子として、忠臣の子として、世の中から父の如き男になってほしいとの期待を一身に集めることになる。・・・・・・帝の御為、朝廷に尽くし、足利家の野望を食い止めろと----」「その期待に添う必要はない。お主はお主の道をゆけばよいのだ。己の思うままに生きればよい。たとえ不忠と罵られようとも、臆病と嗤われようとも」・・・・・・。そして楠木正成は多聞丸(正行)を河内に向けて送り出すと、七百騎を率いて、新田義貞がいる兵庫を目指したのだ。
多聞丸は定めた心を秘して、誰にも言わないできた。「後醍醐帝を助けるために、立ち上がった父。その子である後村上帝を、同じく子である多聞丸が助けるために立ち上がる。これはこの上ない美談として、日ノ本を駆け巡る」ことになろうが、しかし「己はこの戦がばかばかしい」と思っている。そして決めたこと。それは「楠木は北朝に従う」ということだった。「誰かのために散ってよい命などない」「南朝の人々は勝てると信じたいのかもしれない。だが、十中ハ九は死ぬ」・・・・・・。
多聞丸は慎重に、信頼する仲間に、母・弟にその本心を伝えていく。楠木党の結束は見事というほど固い。そして北朝では、足利尊氏の弟・足利直義と家宰・ 高師直が激しい派閥争いをしていた。二人の思惑、権謀術数が巧みに描かれる。南朝の吉野においても、後村上帝の存在ははるかに遠く、坊門親房らが実権を握り、空虚な北朝打倒の言動のみで支配していた。南朝、北朝、宮方、武家方、主戦、和議、様々な思惑が入り乱れ錯綜状態。そんななか、北朝の度重なる策謀・襲撃が仕掛けられるが、楠木党の多聞丸、その弟・次郎、親代わりともいうべき大塚惟正、和田新兵衛、その弟・新発意、野田正周、石掬丸らが楠木正成の戦略に磨きをかけた巧妙な戦いではね返す。そして最後の決戦に突入する。
「父は足利家と和議を結ぶように進言し続けた。それが受け入れられなかったため、次策として京に誘い込んでの兵糧攻めを示したのである。しかし、その策もまた退けられたという経緯である。そして湊川の戦いにおいても、わずかの勝機を狙って決して諦めなかった」と言う。その京に誘い込む戦略を阻んだのが坊門清忠。その子・親忠は、「河内判官に顔向け出来ぬ」と清忠がしわがれた声でつぶやいたと、多聞丸に言う。なぜ楠木正成は死地に向かったか――。その急所も、本書は剔抉している。
各人がどんな思いで戦ったか。決断したか。散っていく人と花。「人よ、花よ、」――余韻が静かにいつまでも残る。