2026年のNHK大河ドラマは、秀吉の弟・秀長が主人公の「豊臣兄弟!」。秀長は、「天下一の補佐役」「卓越した実務能力と抜群の調整能力・統治能力を持つ日本史上屈指のナンバー2」「大名の信頼も厚い戦国最高のナンバー2」と言われる。天正19年(1591年)の1月、2月、秀長と利休が相次いで死ぬ。「聞く耳を持たぬ」存在となっていた秀吉に直言することができたのはこの2人だけ。「秀長が生きていれば、豊臣家の天下は安泰であった」と言われるが、その死が豊臣家を衰退させる分水嶺となったと実感する。本書は「バックグラウンドがない状態から天下人となった豊臣秀吉。その分身として結果を出し続けた秀長の『セミの兄弟』の生涯」の実像を史料と最新研究をもとに描いている。大激動の天正年間を俯瞰的に描くだけでなく、「この兄弟に天下を獲らせた『処世術』を示す」という角度を加えた有意義な著作。
「豊臣兄弟の謎」――。戦国時代の兄弟は、血で血を争うライバルで「補佐」「代理」は当たり前ではない。2人は「異父兄弟」「秀吉は養父とうまくいかなかったようで、16歳で実家を出る」「浜松で山伏の頭領・ 松下加兵衛の下に」「尾張に戻り織田信長に仕える」「秀長は長秀と名乗っており、信長の親衛隊の馬廻衆に」・・・・・・。「秀長」としたのは、小牧・長久手の戦いの最中で、織田家から羽柴家(もう俺たちは織田家の下ではない)との宣言だと言う。なるほど。
「類まれな経済センス」――。「秀長の一次資料は20点のみ(秀吉は生涯におよそ7000通の大量の書状)」「秀吉も黒田官兵衛も『世上をする』人で、他と交流・外交に非常に長けていた」「明智光秀は四国外交を担当。本能寺の変は信長の四国外交の方針転換が有力(四国説)」「戦国時代に活躍した『世上をする人』の中で、最も成功した人物は秀吉。対中国地方外交は、秀吉・秀長兄弟の跳躍台となった。毛利を抑え、摂津・播磨を勢力下に置き、瀬戸内海を『織田の海』にして、本願寺を孤立させる(黒田官兵衛を、秀吉の外交官、参謀にした)」・・・・・・。
天正5年に生野銀山を手中に。そして天正6年から日本史の転換点となった三木合戦で勝つ。武人としての秀長の働きと、秀吉軍のスピードで「天下取り」の飛躍となった。さらに三木合戦で進化した軍事土木技術と物流・情報ハイウェイ。これらが天正10年、本能寺の変で中国大返しとなる。「光秀は本能寺に行っていなかった」と言う。「秀吉の判断の速度、それを支えた秀長の持久力が天下を決した」と言う。
「天下人への道」――。「天下人を決めた小牧・長久手の戦い」「秀吉・家康会談。度胸の良さ、自尊心をくすぐる天才(予告なしでやってくる、ボディタッチをする、包み隠しないように語る、自ら酌をする)」・・・・・・。
「秀吉の『分身』」――。天正13年6月の四国征伐の総大将が秀長。その9月には、大和と紀伊のニ要地を任される。大和は技術大国だった。また豊臣兄弟、の「官位による大名操縦」「懇切を極めたおもてなし」、そして秀長の「実直な人柄、誠実さ」が人の心をつかみ、人を動かした。
「豊臣家は兄弟が揃っていた時は上り坂で、秀長が欠けてからはずっと下り坂だった」「秀長なくして秀吉はなかった」と結んでいる。
