世界的に右傾化が指摘される。国家を守れと言っても、国民を守れ、人間の尊厳・生命の尊厳を守れとの声は後景に退いているようだ。ポピュリズムが跋扈し、それにS NSが加わり、攻撃的な荒れた言論空間が目立ち始めている。ロシアがウクライナを侵略して約4年――。世界で、戦火が続き、各地で緊張が高まっている現実がある。
戦後80年――。「何が人々を戦争へと向かわせたのか」「ジャーナリズムの原点は『命』である。その『命』がいとも簡単に、そして無惨にも失われたあの戦争は何であり、なぜ戦争に走ったのか」を問いかける意義は重い。人間の「命」を見つめ、戦争と防災・減災の現場を歩き続けてきたジャーナリストである著者が、「戦争は、ひとつの『狂気』からはじまる」ことを訴え、警鐘を鳴らす熱量あふれる著作。
「狂気」の姿を、現場の濃密な取材の中から浮き彫りにする。「ベニヤ板で作られた水上特攻艇『震洋』」――訓練段階で自爆が多く、命を落とした特攻隊員の若者は、なんと2557人。米軍は「自殺ボート」と呼んだ。生き延びた隊員は戦後、ずっと「罪の意識」を引きずって生きてきた。「潜水特攻『伏龍』」――本土決戦で敵上陸部隊の舟艇を水中から棒でついて爆発させる人間機雷。まさに「狂気」だ。
「戦争に狂わされた、世界ランク3位の早稲田大のテニス選手」――佐藤次郎はデビスカップに向かう途中、国威発揚の苦しさで、船から投身自殺(1934年)。佐藤は「庭球は戦争也」と表現した。時代の狂気が選手に重くのしかかっていた。著者のテニス部の先輩。
「無謀な煙幕作戦 原爆が落とされるはずだった小倉で罪の意識に苦しむ市民」――煙膜作戦が終戦直前に八幡などで行われる。原爆を積んだB29は長崎へ進路変更。国民の命より国家が優先される戦争の狂気。防衛費増が武器だけであってはならず、国民を守るのが安全保障の基本精神であるべきだと言う(石破前首相とのインタビュー)。
「プロパガンダに利用された『のらくろ』」――戦争も軍隊もなんのその、とばかりに、自由奔放、飄々と振る舞う「のらくろ」の破天荒さが次第に奪われていった。1938年、国家総動員法とともに「のらくろ」は「用紙を使いすぎるな」と中止される。戦争は文化そのものを侵し作家の運命を翻弄した。
「愛郷無限----本当の愛国とは何か」――梶山静六の中にある「母親の涙と反戦主義」「戦争はやっちゃいかん」「愛郷無限」「有事法整備をしても、同時にそれを行使しないためにどうするかということが政治の責任。それは外交。どんな外交をやるかを法整備と同時に進めて実行すること。セット論だな」・・・・・・。戦争を起こさないためにどう闘うか。
「戦争というのは『正義』と『正義』の対立で起きる。その対立のなかで、客観的で、中庸で、良識的で、知性的で、何より平和主義者こそが入っていって仲裁するしかない」と言う。今最も重要な「戦争を起こさない」「軍備増強のジレンマからの脱出」を、憂慮ではなく、示唆する思いを込めた優れた著作。
