日常の中でふと現れる不安とかため息、喪失感、ほっとする安心の拠点などがすっと出てくる7つの短編集。「アイスクリーム熱」「愛の夢とか」「いちご畑が永遠につづいていくのだから」「日曜日はどこへ」「三月の毛糸」「お花畑自身」「十三月怪談」。
「アイスクリーム熱」――アイスクリームを買いに来る彼が好きになる。女は一人暮らしの彼の家に夜行き、手作りのアイスクリームを作るが・・・・・・。
「愛の夢とか」――川の近くに家を買った夫婦。女はバラの花などいろんな花を育てる。ソファーで横になっていると、隣からピアノの音が聞こえてくる。リストの愛の夢。「テリーって呼んで」「私はビアンカ、でお願いします」「週に二度、ビアンカの都合のいいときに来てくれないかしら。わたしの愛の夢が完成するまで」----。どちらも互いの事情は何も語らないままの交流。いや、だからこそ続く交流----。「わたしが通い出して十三度目に、テリーはやっと愛の夢を間違えずに弾き切ることができた。それはとつぜんやってきた」・・・・・・。
全く逆の庭を挟んだ憎しみの交流の作品が「お花畑自身」ーー倒産して、家を手放すことになった夫婦。妻は調度品を揃え、庭には丹精込めてお花畑を育ててきた。「わたしのばら、わたしの花たち。可愛いい大切な花たち」・・・・・・。家を買ったのは、あの「いやらしい女」。憎くて、腹立たしくて・・・・・・。じっと近くのベンチで家を見ていたが、ある日、忍び込んでしまう。そこへあの女が帰ってきて・・・・・・。「あなたが、そのまま庭になってみるっていうのは、どうですか」・・・・・・。
「十三月怪談」――悪性の腫瘍かもしれない。「何かそれっぽいことがあると、自分の能力の及ぶ限りの最悪なシチュエーションを想定して、そこからときめどもなく想像をふくらませていく傾向がある」妻の時子。そのたびに、夫の潤一は参ってしまって、「もっと明るくて、生産的な話をしよう」と言う。その時子が厄介な進行性の腎臓病で、またたく間に死んでしまう。「わたし死んだんだったな」と、時子は幽霊の状態で生きている人たちをふわふわしながら観察する。潤一をずっと見続けるのだが、その写像がひらがなでふわふわ、ゆらゆらしながら、しかも時間の経過の中から描写される。一方、残された潤一は時子のにおいとともに生きていく。ニ人の今世を超えた愛の姿は、実は現実的と感じてくる。
短編小説だが、心のひだが実に見事に描かれる。
