天正10年6月2日、本能寺の変。しかし、織田信長の亡骸はどこに消えたか――歴史の永遠の謎となっている。骨もわからない。現在、富士の西山本門寺にあり(西山本門寺説)とか、京都の阿弥陀寺にあり(阿弥陀寺説)とするなどして催しも行われているが、果たしてその真実は・・・・・・。その時の本能寺で何があったのか、信長たちはどう動いたのか・・・・・・。その謎に真正面から挑む緊迫感漲る力作。
「上様は生きておられるかもしれぬ。あるいは亡骸は」・・・・・・。本能寺の変のすぐ後、逆賊・ 明智光秀を討った秀吉は、家臣・駒井八右衛門を秘かに呼び、密命を下す。「上様を探せ」・・・・・・。八右衛門は一度見聞きした物事は決して忘れない異能の者。そして八右衛門の護衛として秀吉の小姓衆で弭槍(はずやり)の使い手・糟屋助右衛門武則をつける。直ちに八右衛門は、織田方、明智方、本能寺の中にいた者、影の目撃者たちを探し、その真相の究明に入る。
まず秀吉自身。信長との主従関係の中での信長の思考。「退屈で敵わぬ。すでに勝ちが決まった碁のようなもの。いっそ、お主が儂に叛いてみるか」「真に死ぬつもりはない。死んだように装って何処かに隠れるのはどうだ?」と信長が言ったこと、のし上がった光秀の手強かったことなどを緊張の中で聞く。
潜伏していたところに踏み込み、明智三羽烏の一人・安田作兵衛の話を聞く。本能寺を襲った軍勢の中に当然おり、信長を槍で突いた男だ。「半刻・・・・・・いや、四半刻でよい。皆の者に時を稼がせろ」と信長は言い、書院の中へと姿を消したと言う。最後に討ったのは森蘭丸だが、耳元で「我らの・・・・・・上様の・・・・・・勝ちだ」と言った。そして書院は紅蓮の炎。「ただの一つの亡骸さえもなかった」・・・・・・。
織田家の女中・夏音。大広間に集められ、信長は「今よりしばし時を稼ぐ。これら名物を行李や平包にて持ち出すがよい」と言って出て行き、帰ってきた「上様の脇腹が真っ赤に濡れていた」、そして「あと四半刻、時を稼げと命じた。次の策へと移る」と信長が言ったと言う。第一陣として夏音たちは逃げた。
本能寺の東側近くの南蛮寺。三木パウロは「この南蛮寺に本能寺につながる抜け穴がないか」との問いかけに「ない」・・・・・・。高槻の高山右近が匿った弥助に会う。大怪我を負って戻ってきた信長が、力仕事に堪えられる女房衆15人、小姓衆、馬廻り衆、僧侶5、6人で奥に入った。奥からもう1人の僧。「我らが出る合図は・・・・・・火の手が上がった時だ」と逃げたと言う。
大広間の僧だけでなく、書院の奥に僧がいた。その阿弥陀寺の清玉上人を訪ねる。「手を煩わせる。上様は拙僧に向けで一言残し、廊下を奥へ進まれた」・・・・・・。裏口から脱出を図り、3人が焚火して供養、自分たち3人が先に本能寺から脱出したと言う。
そして、本能寺南門が開いていたカギを握る女房衆の桐江の話も聞く。
もう一人いた僧が、室町近衛にある寂光寺の僧の本因坊日海。囲碁の名人でよく信長と対局をしていた。6月1日の夕刻に本能寺に入り、本能寺の僧・利玄と対局していた。そして当日----。日海は語り始め、八右衛門のたどり着いた真相と合致していくのだった・・・・・・。
駒井八右衛門(「駒井日記」を残す)、糟屋助右衛門(賤ケ岳七本槍の一人)、清玉上人、本因坊日海、弥助・・・・・・。皆、実在の人物。「西山本門寺説」「阿弥陀寺説」も実際にある。これらを繋げながら「本能寺の変」「信長の亡骸」に迫った意欲的な力作。面白い。
