konosyakai.jpg「世界は複雑である。社会事象も、歴史も、簡単には割り切れない。もちろん『イデオロギー』などを通しては把握できるはずがない」「この『鼎談』に集まった3人に共通することがあるとするならば、世界を単純に割り切ってわかりやすく把握することを拒否していることかもしれない。3人は、それぞれ居心地の悪さ、生きにくさを感じている」と茂木健一郎さんは言う。飛び抜けている3人の鼎談は、俯瞰的で、世間にまかり通っている通常の考えを超えて刺激的だ。それぞれが圧倒的な専門を持ち、その奥深い「1人称」の思考から社会や歴史を全的に把握する。自分自身でどこまでも考え、世間に溢れる通常感覚に乗り移ることは無い。その3人が不思議にも噛み合う。問題の折りたたみ方がある境地から出てくるとも言えようか。自分で考えていくと「日本の歪み」「制度の歪み」「社会の歪み」が見えてくる。

「自衛隊はどう考えても『戦力』です。自衛隊を戦力ときちんと認めた上で、武力行使に制限をかけるべきだと、僕は昔から思っています。ところが、護憲派の人々は、憲法は歪んだ状態のまま放置するのが正しいと言う。日本は歪みを正すこと自体ができなくなっている()」「シビリアン・コントロールなんて、自分の国の言葉にもできないようなものが身に付くはずがない(養老)」「そもそも平和主義なんて本当にあったのか。ただみんな戦争が嫌だと思っただけです(養老)、戦争が嫌だという気持ちは本物だけど平和主義はただの言葉であると言う事ですね(茂木)」「マルクス・ガブリエルは『世界は存在しない』と重要な問題提起をしたとしているが、あれは要は、世界が存在するのは、椅子が存在するのと違う意味だよね、だから普通の意味では存在しないよねと言ってるだけです。そりゃ当たり前ですよ。世界は存在者の集合なんだから()

「戦争を天災のようにとらえる日本。人為と自然を強いて分けないというか、他人のせいにしても、仕方がないことがある。逆に、人間の責任を追及する韓国()」「(日本人の感覚)は、良いも悪いもしょうがないということですね(養老)」「東條英機の凡庸な悪――官僚のトップのような首相が、戦争の歯車を回し続けてしまった(茂木)」「天災が歴史を変える。日本の近代史を支配しているのは天災とも言える(養老)

日本は近代以降、外圧による大きな変容を経験している。明治維新と敗戦。「武士としての誇りや教養が突然、無用の長物になった(茂木)、あれほど大きな価値観の変換の中、大変なストレスが生じた。その恨みつらみと、新政府の高官たちの汚職まで含めて西南戦争になる。民衆のストレスを体現して反乱を起こしたから、西郷さんは偉かったし、人気が出た(養老)」。西南戦争は、西洋対日本という時代の流れに対する抵抗精神であったと先崎彰容は言う。「夏目漱石の『猫』がお雑煮を食べて歯にくっついて、踊りを踊ってしまう。西洋の文明を飲み込めないと言うこと(養老・東)

「戦後、アメリカ文化が見事に日本に浸透した。いちばん大きかったのは使い捨て文化。折につけ『アメリカではこうやっている』ばかり(養老)。最近の新自由主義的なところまでずっとそう(茂木)」「鬼畜米英をチャラにしてアメリカを受け入れた掌返しは結構すごい(茂木)」「ただ、戦後の日常生活にいちばん大きく関わった変化は、家制度を変えたこと。家族の形は、国よって違う。イギリス=アメリカ型のリベラルデモクラシーを家族形態の変革ごと押し付け、かなりうまくいってしまった()」「靖国にしても慰霊祭にしても、問題の本質は、2人称の追悼について考えていないことであり、そこにリベラルの哲学の弱点が現れている()」「宗教色をなくした追悼なんてできない()」「日本では家も地域コミュニティーも解体されて、人間関係を学ぶところが学校しかない。これが、人間関係や上下関係のモデルになっていることに起因している。心の安定を何が担うかということを、日本人はもう少し真剣に考えた方が良い。人の悩みを聞く人が少ない()」「日本は、歴史が断絶している感じがある。整合性をつけることへの欲望がない国だ(茂木)

「この国は変わっていて、目立っている人を潰すという圧力が、とにかくすごい()。養老先生がずっと言われているのは『茂木くん、どんなに変わり者でも、日本という国は、中枢に入って来なければ許容されるんだ』ということ(茂木)」。また養老さんは、「1990年から2020年の30年間に、世界中で昆虫が8割から9割減りました。世界中例外なくです」と恐ろしいことを言っている。


kirie.jpg路上シンガーのキリエは、歌うことでしか声を出すことができない。ある夜、過去と名前を捨てたイッコはその歌声に驚きマネージャーを買って出る。実は彼女は、帯広の高校で1年上の先輩であった。そして二人と数奇な絆で結ばれた塩見夏彦。夏彦はキリエの姉と恋人同士。3·11東日本大震災の津波で行方不明となってしまっていた。

キリエも夏彦も、3·11で姉、恋人それぞれを失って心に大きな空洞を抱え込み、人生は決定的に狂う。
それから13年の間に、3人の運命は幾たびか交差し、互いを懸命に支え合い、また離れたりする。石巻、大阪、帯広、そして東京。いつも通常の社会から孤立していながらも、生き抜こうとする3人。心にしみ入るものがある。言葉を失っているからこそ、全てを注ぎ込んだ異次元の歌声は、人々の心の奥底を乱打する。

3.11 は今も消すことのできない傷跡を残している。その心の奥底に迫るのは、人間の始原的同苦の情。音楽や映画によってしか表現できないのかもしれない。本書は、映画「キリエのうた」の脚本・監督の岩井俊二さんの原作。 


ikimonoga.jpg「死と長寿の進化論」が副題。私たちにとって「老い」とは何だろう。生命にとって「老い」とは何だろう。「老い」は避けられないが、野生動物は老いる前に襲われて死んでしまうが、人間は老いても守られ、人生で蓄積した知恵を次世代に伝える重要な役割がある。「老」はめでたい言葉で、江戸幕府の「大老」「老中」も、先生に使う「老師」も、めでたい「海老(えび)」も「老」がつく。人間は老いることを「獲得できた」稀な生物なのだと言う。

「老いは実りである」――。イネの「老い」は、もう葉を茂らす必要もなく、今まで蓄えた栄養分を集めて米を実らせること、新たな成長のステージであり、成長とはステージが進むことである。「老いが人類を発展させた」――。多くの生物は卵を産み落とし子孫を残すと寿命を終える。野生動物は老いる前に死んでしまうが、人間は「老いる」ことを獲得したのだ。哺乳類は卵を産み落として終わるのではなく「子供を育てる」仕事があるので、生き続ける。人間の女性は閉経して繁殖を行わなくなるが、人間の子育て期間は特に長く、「おばあちゃん」の経験と知恵が価値を作る。こうした人間のような生物は珍しい。

「ジャガイモは死なない――死を獲得した生命」――。種を残して枯れてしまう植物が多いなかで、ジャガイモは枯れる前に芋をつける。ジャガイモにとって、芋は自分の体の一部である。単細胞生物は、黙々とコピーを増やしていって死なないように思うが、地球の歴史は激動に次ぐ激動で厳しい環境を生き抜けない。そこで生命は単純コピーではなく、一度壊して新しく作り直すという方法を選ぶようになった。他の個体から材料となる新しい遺伝子をもらうという方法だ。「そして男と女が生まれた」――。「死」が生まれて男と女も生まれた。自分が変化するだけでは、激動に耐えられず、新しい組み合わせ、多様な組み合わせを作り出すことができる。バラエティー豊かな多くの子孫を作ることになった。

「限りある命に進化する」――。人間は、決して強い生き物ではないが、助け合い、そして年寄りの知恵を活かすことによって生き抜き、「長生き」を手に入れた。人間は長生きに進化した生き物なのだ。「老木は老木ではない」――。木になる植物の内部の多くは死んだ硬い細胞からできている。一番外側の部分に新しい細胞があり、この外側の細胞だけが生きている。人間の体も死んだ細胞と生きている細胞とから作られている。私たちの体の中では、常に細胞分裂が繰り返され、無数の細胞は日々命を落としている。細胞が分裂することで、新しいコピーを生み出しながら、新しく生まれ変わりながら、私たちの体は老いていくのである。「若さとは幻である」――。老いることと死ぬこととは別であり、あるのは若さではなく「老い」だけである。老化のプログラムとして知られているのが、細胞分裂をするたびに短くなっていくテロメア。テロメアは、細胞が自ら老いるための時限装置である。この掟に逆らって、死ぬことを拒否する細胞ががん細胞だ。

「植物はアンチエイジングしない」――。私たちの体は、酸素呼吸をして生命活動しており、物質を酸化させてさびつかせてしまう活性酸素が問題。抗酸化物質を多く含んでいるのが植物である。しかし、植物も抗酸化物質で老化を止めることはできない。「宇宙でたった一つのもの」――。私たち、人類は老いて死ぬようにプログラムされた存在であり、老いを勝ち取った生物である。他の生物には絶対にできない生き方、「得意な場所で特意を活かす。あるがままに生き、あるがままに老いるのだ」「老いは最も重要な実のステージである」と言う。


rekisino.jpg「確かな教養を手に入れる」が副題。「ぜひ、歴史の勉強を仕事や人生に役立て、真の教養を身につけた大人になっていただきたい」「歴史の研究者は、単に過去の事実を掘り起こすだけではなく、より普遍的な知見を探り出そうとしている」――。そのためには、基本的な基礎知識と歴史感覚を身に付けることが大事と言い、そのメソッドを東大教授の著者がやさしく伝授してくれる。

「日本史の流れを整理する」「国名の不思議」「官職と位階」「江戸の物価の変遷」「和暦と西暦の換算」「千年の都・京都を歩く」「参勤交代について調べてみる」「日本の歴史全体がわかる博物館」「真田信繁の手紙を読んでみる」「東大データベースの活用法」。どれもふわっと曖昧にしてきたものが整理され、くっきりする。

「源頼朝が任じられた右近衛大将は、著名な社会学者の対談で『下っ端のノンキャリアだから、頼朝が京都にいる必要がない』などと言っているが、大きな誤解。近衛大将は、朝廷の武官の中で最高位の官職」「朝廷と幕府は、依存関係にあり併存。どちらかがどちらかを打倒するというような関係ではない」「江戸幕府の直属軍は、旗本軍として五番方(大番・書院番・小姓組番・新番・小十人組)があった」「ヤマト政権は、豪族たちを氏という組織に編成。聖徳太子が制定したとされる冠位十二階は朝廷に仕える官人を十二のランクに分け氏族ではなく個人に与えた」「金・銀・銭――江戸時代は金一両で米一石。現在でいえば、米が安いので、1両は12万円、1分が3万円、1朱が7500円。大石内蔵助の冊子によれば、金1両は銀56匁、銭1貫文を銀15匁替えで計算している」「基準を太陽の出没とし、日の出の時刻を明け六と言い、五つ、四つ、と数え、正午が九つ、それから八つ、七つ、日没の時刻が暮れ六つと言う」

「歴史の現場を歩く」――。「かつての平安京の中心線は今の烏丸通りではない。平安京の中心線である朱雀大路は、現在のJR嵯峨野線(山陰本線)が北上する線路上にあった」「秀吉の聚楽第は、南は丸太町通り、東は堀川通り、西は千本通りで囲まれていたところにあり、次に関白となった秀次に譲り、秀次自害の後は取り壊された」「現在に残る二条城は、徳川家康が建てた城」「横須賀製鉄所建設には勘定奉行の小栗上野介が尽力したが、徹底抗戦を説いて徳川慶喜に罷免され、上州に引退して戦ったが捉えられ斬首される。大正になって復権し胸像までできたが、第二次大戦中の供出で失われた。胸像になってからも受難の道を歩んだ」

「調べる・古文書を読む」――。「参勤交代の歩く距離は130キロ以上。経費については、鳥取藩の事例で1957両という記録がある。人足費が847両、馬の経費が492両、川渡し賃などが134両、物品購入費が387両、宿泊費が97両」と言う。大変なことがよくわかる。「日本の歴史全体を概観するには、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館の常設展示が一番」「京都の様子を伝える洛中洛外図屏風」「最古の洛中洛外図屏風は国立歴史民俗博物館に」「古文書とは何か――命令書や手紙等は古文書であり、逆に、著作物、編纂物、日記、メモ等は古文書ではない」「真田信繁の手紙を読んでみると、前途を悲観していることが伝わってくる。しかし、徳川方に伝わると承知していての手紙だ」「歴代天皇の研究によって、私は日本と日本という国の特質が理解できた気がする」

大変勉強になる。 


syougunto.jpg「室鳩巣の手紙を読む」が副題。江戸時代、側近はどういう働きをしたのか。将軍と側近と老中の関係は、どうだったのか。5代将軍綱吉に仕えた柳沢吉保、9代将軍家重の大岡忠光、10代将軍家治の田沼意次などは名高いが、本書で取り上げた6代将軍家宣や7代将軍家継に仕えた間部詮房、ブレーンの新井白石。そして第8代将軍吉の時代まで活躍した儒学者・室鳩巣の側近ぶりと活躍、苦衷を描く。室鳩巣は正徳3年、新井白石の推挙で徳川幕府の儒学者となり、その門人で加賀藩に仕える青地兼山・ 麗澤兄弟に宛てた手紙を主とする書簡集「兼山秘策」を残している。

心が広く情深い賢明な将軍家宣、4歳で将軍となる幼少将軍家継、フットワークが軽く質実剛健、下の者にも細やかな配慮をする行動的な吉宗――全く違う3人の将軍だけに、側近や老中の役割・立場は大きく変化する。白石や鳩巣による幕閣の人物評も毒舌で、老中のバカさ加減に憤ったりもする。間部詮房・新井白石vs土屋政直・林信篤という幼少将軍就任を機に、政治の主導権を取り戻そうという画策。幼少将軍では間部・白石の政策上の権威付けには不十分であり余計に側近に対する風当たりが強くなっていく。

吉宗は、自らの側近はあくまで側衆の一部としての立場に置き、すべての幕臣から庶民に至るまでをブレーンとし、あくまでも手綱は吉宗が握った。吉宗は、名実ともに為政者であり、「吉宗政治」だったという。「上様の御為といっても老中や若年寄など、幕府の伝統的な官職と、新規に取り立てられる側近との間には超えてはならない役儀がある」と吉宗にも仕えた久世重之は言っている。

災害、火災、財政難、朝鮮通信使の扱い等、難題山積の江戸時代中期――その中での人間と政治を生々しくも泥臭く語る鳩巣を、描き出している。人間模様がくっきりと浮かぶ。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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