DXの思考法.jpg「日本経済復活への最強戦略」が副題。今DXが語られ、「決定的な変化」が起きている。「DXの要諦は『抽象化』にあり、世界は『レイヤー構造』へ進んでいる」「現在のデジタル化の発展の基礎にハードウェアの急速な進化があり、生み出されるデータ量も指数関数的に増大した。しかし、現代の産業の大きな変化、IXをハードウェアの発達、データを含めた『量』の増加だけで説明するのは正しくない。それはたかだか話の半分に過ぎない。同時に、世界の実課題とコンピュータの物理的基盤をつなぐエコシステムが進化し、精巧になったこと、つまりは『質』の変化が決定的に重要だ」「それを実現しているのは、レイヤー構造をしたソフトウェア群である」「関係する技術は、半導体、ソフトウェア、インターネット、ディープラーニング、クラウド、5G等々・・・・・・。それらが計算能力、処理加工が可能なデータ量を向上・拡大させて、ゼロイチの物理的な処理と人間の実課題や経験とが連結するまで、サイバー空間の水位を押し上げた。しかし、本当のスタートラインは、『これをやればなんでも一気に解決してしまうのではないか』という人間側の発想であり、ロジックである。抽象化のもつ破壊力が今日の世界をかたち作っている。そして、その発想と技術とがもたらしたサイバー・フィジカル融合が、ビジネスのあり方、産業全体のありよう、社会のありようを変えている」・・・・・・。まさにDXの「思考法」、本質をさまざまな例を示しつつ、語り、呼びかける。

「ピラミッドでなくレイヤー構造(お菓子のミルフィーユのような、重箱が幾重にも重なるような構造)」「ウェディングケーキの形」「会社がアルゴリズムで動く時代」「IX時代の経営のロジック、デジタル化のロジックを、個人と組織の身体に刻み込む。それがDXの本質である」「特殊から一般、具体から抽象への発想の転換。デジタル化の核心がここにある」「十分に抽象的に発想したうえで、その後に初めて具体化する」「ゼロイチで表現できる計算というコンピュータの処理と、人間が解いてほしい実課題の距離を埋める発展過程、レイヤー構造をしていてレイヤーが増えることで連結して距離を縮める」「アリババはレイヤーを増やすことで成長した。そのレイヤーを支えるのがAPI(ソフトウェアどうしが情報をやりとりするために定められた接続や操作に関する仕様)」「DXで覇権を握ったネットフリックス」「第4次産業革命とは『万能工場』をつくることだ」「DX力とは垣根を越えてパターンを見出す能力のことだ」「夜食のラーメン作りはどう説明されるべきか」「インディア・スタックの本当の凄み」・・・・・・。

冨山さんは「DX→IX→CXの連鎖の先にはSX(社会の変容)、LX(個人の生き方変容)が不可避的に起きていく」「組織能力的にトップから現場まで、その力が高い人材によって構成されているということ、すなわちアーキテクチャ認識力、思考力を持つ人材に恵まれていることが、IX時代において決定的な重要性を持っている」と指摘。「本書は著者と私からすべてのビジネスパーソンへ、IX時代の生き残りと飛躍的成長をかけた応援的挑戦状なのだ」といい、IXの衝撃の実相を実感せよと、体当たりで呼びかけ、結んでいる。


臨床の砦.jpg変異株が全国的に襲いかかっている現在、"医療崩壊"が懸念される現場は、毎日毎日、どんな緊迫した悪戦苦闘状態にあるのか。コロナという未知のウィルスに立ち向かった"長野県"を想定した小さな病院・信濃山病院の医師・看護士・スタッフ。ウィルスと戦う最前線の「小さな砦」。今年1月の新年早々、想定をはるかに越える患者が押し寄せる。当然キャパはない。態勢もない。すでに1年間の疲労が蓄積している。しかしやらねばならない。内科の三笠、敷島、富士、日進、春日、音羽、外科の千歳、龍田の各医師は通常の専門の医療を行いつつも、コロナに対して看護士・スタッフといつ寝たかわからないほど働き続ける。「手探りの医療という絶望感と、どの医療機関の協力も得られない孤立感」「静観している行政の態度や、周辺機関の及び腰の態度と鈍重な動き」「周りに大病院があっても当院だけが背負い込む理不尽な体制」「肺炎にも入院できず自宅待機、入院させてくれと涙を浮かべる患者」「発熱外来への車の長蛇の列」「真っ暗な袋に詰められ、見送る者もなく運び出される遺体」「認知症の重症患者への対応で、のしかかる負担」、そして起きた「院内感染」・・・・・・。他の病院のようにコロナ患者の受け入れを拒否できない。「結果から見れば、正解であったとは言えませんが・・・・・・。最善であったことは確かです」と、会議で話すと「会議室は静寂に包まれた」とある。

「この未曾有の大災害の中で、多くのひとが、静かに耐え続けている。マスメディアは、舞台上で声を張り上げる人にスポットライトを当てることは得意だが、市井の沈黙を拾い上げる機能を持っていない」「圧倒的な情報不足、系統立った作戦の欠落、戦力の逐次投入に果てのない消耗戦」「この戦争負けますね」・・・・・・。現役医師の描いたドキュメント小説。


国家の尊厳.jpg「(現前する)時代状況の背後に、深刻なアイデンティティーの危機がある。戦後日本のアイデンティティーとは、政治では自由と民主主義、経済では成長主義、私的レベルでは個人主義にほかならない」「個人レベルでも、国家レベルでも深刻な戦後的価値観の解体の危機に直面している」「コロナ禍は、私たちの生活の基盤や価値をつくっていた戦後の社会関係を解体した」――だから、「今、求められているのは新しい国家像、すなわち令和日本のデザインではないか」と、時代を診察しつつ「国家の尊厳」という大きな見取り図を描こうとする。

安倍政権は時代状況を背負い、露わにした長期政権であると診断する。戦後日本は「権力vs市民」「国家権力vs民主主義」の対立図式にあったが、その「権力」自体が「権力の分散化」をもたらし、自由も民主主義も壊れ、情報化とポピュリズムに翻弄されている。「現代社会が、攻撃性を強め、なによりも"遅さ"を嫌悪する社会」になっている。コロナ禍で、それがより露わになっていると指摘する。徹底した市場経済と成長主義を掲げた米国が"トランプ現象"「空っぽなポピュリズム大国」と化し、「ポピュリストは"汚れなき人民"vs"腐敗したエリート"」と善悪二分、攻撃性を強めている。中国は強力な権力をもっての独裁によってコロナの制圧、ワクチン外交によって世界への影響を更に強める。まさに世界はグローバル化のなか「権力が希薄となり、所属意識を奪われた個人が群衆として蠢いている」のだ。

「三島由紀夫vs東大全共闘」でも、戦後民主主義に否定的であることは全く共通し、三島の方は「天皇と日本人の紐帯の復活」を求めた。日本は現代においても「戦後民主主義」も「憲法」も「安全保障」も、一つの"限界"ともいうべきものを迎えていることを感じつつも、変えるべき方向性を見出し踏み込むことに、多くの人が躊躇い、不満をため込んでいる。先崎さんは「互助の感覚を、たとえ人為的であれ、都市と地方の区別なく再生する」「山崎正和が柔らかい個人主義の誕生で50年も前に指摘したように、国家、職場、家庭への所属意識の希薄化が進行している」「本来、個人は何らかの共同体に所属し、自らを位置づけることで、アイデンティティーを安定させている」「個人は共同性に支えられ、他者から役割を与えられ、正当な評価を受けること。それが人間の尊厳だ」・・・・・・。

「令和日本のデザイン」――先崎氏は令和の日本は「尊厳とコモン・センスをキーワードにした国づくりを目指すべきだ」という。ポピュリズムが跋扈し、不安・不満を"敵"に集団化させて暴力的にぶつけるような日本にはさせたくない、"ラディカルとは根源的に問うこと"であり、時間の厚みをもった安定した共通感覚、コモン・センスの重要性を指摘する。


魂手形.jpg三島屋変調百物語七之続。江戸・神田の筋違御門先で袋物屋を商う三島屋で行われている風変わりな百物語。「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」が原則で、心のわだかまりや澱が吐き出される。「百物語なんかしていると、この世の業を集めますよ」――。従妹のおちかから引き継いだ「小旦那」の富次郎は、語られた話を墨絵に描いて封じ込める。江戸の町人文化、人の情や業が描かれる。さすがと思わせる筆致。

「火焔太鼓」――。美丈夫の勤番武士・中村新之助(幼名・小新左)が、国許では語れぬ大加持藩に伝わる火災を制する神器「火焔太鼓」「太鼓火消し」の由来と驚くべき真実を吐露する。「火事という火事が小火で消し止められてきたのは、お太鼓様が火気を喰らって封じて下さるからだ」・・・・・・。

「一途の念」――。馴染みの串団子の屋台の娘・おみよから母・お夏の話を聞く。「おっかさんが死んだんです」「おっかさん、気がふれちまって、自分の目ン玉を指で、ほ、ほじくりだそうとして」・・・・・・。お夏は15歳の時、名を「夏栄」と改め、格式の高い料理屋「松富士」の仲居となり、料理人の伊佐治とも結婚する。美男美女だった。しかし松富士の名だたる包丁人・喜久造が闇討ちにあって命を落とし、女将も倒れ「松富士」は沈んでいく。格式どころか「女」まで売る店へと転落していく。肺病で伏せていた伊佐治の看病をしつつ夏栄は「客」の相手までさせられ、次々と子供が生まれる。それが皆、男3人とも伊佐治にそっくりだった。4人目の子がおみよ。そして夏栄が死んで・・・・・・。驚くべきお夏の「一途の念」が・・・・・・。

「魂手形」――。深川の蛤町の北にあった木賃宿「かめ屋」を営んで父母と弟2人の5人で住んでいた吉富15歳のお盆の頃。「正真正銘のお化けがお客として泊まったっていうのが、この話の始まりでござんす」「きっちゃん、昔、お盆の最中にかめ屋に泊まった、なくなった人の魂が見えるって鳥目を病んでいたお客さんのこと、覚えているかい? うん覚えているよ。母ちゃんも覚えてたんだね」「あれは『魂手形』(たまてがた)と呼ばれるもので、お上から魂の里の水夫だけに下される特別な通行手形なんだ」「魂さんの行きたがるところへ案内するのが水夫の務めだ」「あたしら里に寄りつく魂さんはみんな、魂見に道理を説いてもらって、形をつくって落ち着くんだ。あたしらが迷魂や哀魂で済むか、怒魂や怨魂になってしまうか、それも魂見の説教と、あとは水夫の面倒見次第さ」・・・・・・。

不可視の「業の世界」「あわいの世界」を、人はどの時代においてもせめて一人に「語り」「聞いてほしい」と思うものだ。死んでも・・・・・・。


ベルリンは晴れているか.jpg1945年7月、2か月前にヒトラー総統は自殺し、ナチス・ドイツが降伏、戦争に敗れ荒廃したベルリン。米英仏ソの4か国の統治下におかれたが、ソ連と米英仏は対立状況にあった。街は完全に破壊され、生活は極度の困窮。ナチスに弾圧・虐殺されたユダヤ人や共産主義者は、絶望から脱する窓は開いたもののその傷は回復できないほど深く、心に絶望の刃を突き刺したままだった。破壊され絶望のベルリン――。そんななかでドイツ人で17歳の少女アウグステ・ニッケルの恩人であったクリストフ・ローレンツが、ソ連領域で米国製の歯磨き粉に含まれた青酸カリによって不審死を遂げる。ソ連のNKVD(内務人民委員部)大尉ドブリギンはアウグステに不審の眼を向けつつ、クリストフの妻フレデリカの甥エーリヒ・フォルストに訃報を伝えるよう仕向け、元俳優で泥棒のファイビッシュ・カフカを道連れ役とする。事件の真相は・・・・・・。街も人心も破壊され尽くしたベルリンを舞台に、二人は思惑を胸に秘し不安な旅を始める。

敗戦直後のベルリン。ありとあらゆる狂気が全ての人の人生を奪い去っていた。戦争と敗戦の荒廃した街と人心。ユダヤ人や障害をもつ者への想像を絶する弾圧・虐殺。裏切り・告発で生き残ろうとする者たちとスパイ・陰謀・・・・・・。極限、極致の姿が描写されて息苦しい。戦争と狂気が何をもたらしたか。そしてこの毒殺の思わぬ結末が明かされる。空を見る余裕もない人々・・・・・・。「ベルリンは晴れているか」の表題が読み終えた時に、「確かに・・・・・・」と思えてくる。スケールの大きい傑作。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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