51LfMToelnL._SX322_BO1,204,203,200_.jpg「2025年はどうなっているか?」「5年後の未来はこの11社が決定づける」「5年後に破壊される企業、台頭する企業」「5年後、あなたの仕事はこう変わる」――。5年後というのはすぐだ。もう11社の驀進、加速は止まることはない。「会議でもホロレンズでバーチャル場面が投影され、AIが翻訳する」「通勤は電車の200%コスパのいい"ロボタクシー"」「ウーバーは瞬く間にロボタクシーに市場を奪われる」「出張先はアップルホテル、割引率の高いアップルカード」「AI先生、小学2年生に九九を教える。リモート授業でもホロレンズが活躍」「調理はアマゾンのロボット・アレクサクッキングシェフご用達の大豆肉のステーキ」「映画、ドラマでも視聴者100万人なら100万通り」・・・・・・。

11社とは グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、マイクロソフト、ネットフリックス、テスラ、クラウドストライク、ロビンフッド、インポッシブル・フーズ、ショッピファイの世界最先端企業。これら企業は、「検索後の世界から『検索前』の世界へ(グーグル)」「アレクサ君、屋外に進出。ついに街全体を食いに来る(アマゾン)」「2万km離れた人と目の前で会話ができる世界へ(フェイスブック)」「視覚、聴覚、嗅覚、五感すべてを占拠(アップル)」「2億人以上の嗜好に合わせた映像を届ける(ネットフリックス)」「スマートシティのOSの覇者になる(マイクロソフト)」「テスラのイーロン・マスクはリニアで結ぶハイパーループ構想」「ベジタリアンだって肉の食感(インポッシブル・フーズ)」「"売買手数料0"の投資が当たり前の世界をつくる(ロビンフッド)」「全企業が在宅勤務社会のトリガー(クラウドストライク)」「企業のECサイト開発・運営の10兆円ベンチャー(ショッピファイ)」――。いずれも「業種の壁を崩壊」させ、買収・吸収・戦線拡大でコングロマリット化を図る。それがメガトレンドの①。「②はハードでもソフトでもなく、体験が軸となる」「③はデータを制するものが未来を制す」だ。その大波は 全ての業種、カード・金融、運輸、映像、農業、セキュリティ、モビリティ(自動運転、ロボタクシー)、建設、医療・ヘルスケア、物流など全分野に襲いかかる。

激動・激震の世界の様子を山本康正さんが現場から緊迫感をもって語る。


居眠り般音(44)決定版 湯島ノ罠.jpg直心影流尚武館坂崎道場は改築の最中。坂崎磐音は木挽町にあった江戸起倒流の鈴木清兵衛を打ち破る。「坂崎磐音、予は迂闊にも江戸起倒流の背後に老中・田中意次、意知父子があることを知らなんだ」と、訪ねてきた白河藩主・松平定信がいい、竹刀を交える。定信は田沼意次の政治手法を「賄賂政治」と批判し、意次によって白河藩へと遠ざけられていた。読売屋の和蔵が来て、「佐野善左衛門政言が、田沼父子を告発する闇読売をばら撒こうとしている」という。佐野の暴発を心配した磐音は、毒矢から回復した忍びの霧子と密偵の弥助を岩槻宿に向かわせる。幕政中枢の老中・若年寄の田沼父子に対し、徳川家基、佐々木玲圓、おえいの仇を己の手で決したいと思っている磐音。そんな時、佐々木道場からの住み込みの門弟・松平辰平が失踪する。「こたびの一件はいよいよ田沼父子がなりふりかまわず牙を剥き出しにした結果と思える。倅の田沼意知様を己の跡継ぎにするために、尚武館を消滅させる決意をしたのだ」と、南町奉行所の笹塚孫一、木下一郎太が語る。磐音らが辰平の救出に動く。後に「瓦版」という名称になる「読売」(江戸のゴシップ誌)が、あたかも現代のように江戸の権力攻防に影響を与える。


乃公出でずんば 渋沢栄一伝.jpg乃公出でずんば蒼生を如何せん――俺がやらねば誰がやるとの心意気で、明治・日本に資本主義革命を起こし、その近代化を一気に加速させた渋沢栄一。2024年からの新一万円札の肖像が決まり、2月からNHK大河ドラマ「青天を衝け」が始まる。私の地元・北区の飛鳥山に長く住み、そこで没した。1840年(天保11年)に生まれ、1931年(昭和6年)までの91歳の生涯であった。北康利さんが書いてくれることを待ち望んでいたが、渋沢の生きざまや思考、「論語と算盤」の信念に肉薄した期待どおりの素晴らしい作品。とくに、日本では西郷や大久保、伊藤、板垣等々の政治分野の国づくりが主流で語られるが、渋沢もたんなる「経済人」というのではなく、大蔵省や日銀や殖産産業、企業システムなど、まさに国づくりの骨格を築き上げた人物であったということが鮮明になる。

「論語と算盤」とは何であったのか――。商売は儒学では"金儲けの下賤な策"としてきた江戸以来のメンタリティーを渋沢は変えようとした。「魂を入れなければ資本主義は金儲けの道具になり、まさに下賤な業に堕ちてしまう」と考え、その最高の経典である「論語」を使って反転させ、公益につながるものであることの信念を貫き通した。「士魂商才」「道徳経済合一説」「社会的責任を忘れないリーダーの高い志」を唱え続けた。水戸学のプラグマティズム、朱子学批判。伊藤仁斎・会沢正志斎からのプラグマティズムとナショナリズムを継承しつつ、経済学的にも市場の"見えざる手"ではなく、「国家のため」「社会のため」といった公共精神、ナショナリズムが渋沢の思想と行動に現われる。経営の社会的責任について、P・F・ドラッカーは「彼(渋沢)は世界のだれよりも早く、経営の本質は『責任』にほかならないことを見抜いていたのである」と激賞したという。それが、岩崎弥太郎など同時代財界人との対立の根っ子にあることや並走した井上馨との距離感が鮮やかに浮き彫りにされる。政府にすりよって利益を得る政商の道を決して歩まず、社会・福祉事業にも力を入れ、戦争に反対し、財政規律を無視した国家経営にも異を唱え、行動した。

「人並み外れた行動の人」「強情っぱり」「強い意志と情をあわせもった人」であり、「常識や国境にとらわれないスケールの大きい人」であり、「誰の話も聞いて、即行動する"お節介"の人」であった渋沢の姿が活写される。大倉喜八郎、安田善次郎、古河市兵衛、浅野統一郎、佐々木勇之助、大川平三郎、中上川彦次郎、娘婿の穂積陳重や阪谷芳郎・・・・・・。明治から大正、昭和初期に至る間のあらゆる政治家、経済人との深い交わりと思想と行動。その結果の結実が驚嘆するほど見えてくる。


今度生まれたら.jpg「終わった人」「すぐ死ぬんだから」に続き、"人生100年"「長寿社会」であるがゆえに考えさせる本。「人生をやり直したい」「あの時、あっちの道を選んでいれば・・・・・・」というのは、人によって悔恨もあれば、ごく普通に感情を伴うことなく思うこともあろう。自分自身にとってみると「回り道は真っすぐ道」だったということだ。誰しもターニングポイントは何回かある。いい時も悪い時も人生には4回位あるというが、迷った時は積極策をとる。悔いのない方を選ぶことだろう。「我慢して人生を無駄にしちゃダメ。・・・・・・他人に気を遣って生き続けて、何が楽しい」「昭和40年代は野蛮な時代だった(結婚して当然。オールドミスなどという言葉が平然と社会で通った)」「時代の風潮に合わせすぎるな。それらはすぐに変わっていく」「人間は死ぬ日まで、何が起きるかわからない。とにかく楽しんで生きるためには、自分から動く。何かを始める」「自分に与えられた人生を元気に、弾んで歩いて行く。佐保子にとっても私にとっても"今度生まれたら"より今なのだ」と本書にある通りだ。「私自身が『年を召した方』になってみると、口当たりがよく『人間に年齢は関係ない』とは言い難い。ただし、たとえ70を過ぎても、一生の一部分を、また生活の一部分を、やり直すことはできる」という。老境に入って、体も頭も若いが、仕事はない、社会も必要としてくれない、結局趣味に生きるしかないのか・・・・・・。「俺の人生、私の人生とは何だったのか」は「今度生まれたら」と同じ位相にある。

主人公は70歳になった佐川夏江。老境の夫婦、そして息子たちの家庭と人生、姉夫婦やかつて職場の同僚であった人の人生を描く。70代以降の人生をどうするか、長寿社会ゆえの大変な問題を、軽妙にテンポよく、ズバっと描く。さすが内館牧子さんとうなってしまうほどだ。


明治維新の意味.jpg明治維新とは何だったのか。「絶対主義の確立」とか「ブルジョワ革命」などと捉える論調もあったが、「マルクス主義のカテゴリーにあてはまらない民族革命であり、西洋の脅威に直面した日本が、近代化を遂げなければ独立を維持できないと考えて行った革命であった」(吉野作造の継承者・岡義武)を引きつつ、北岡さんは「要するに維新から内閣制度の創設、憲法の制定、議会の開設に至る変革は、既得権益を持つ特権層を打破し、様々な制約を取り除いた民主化革命。自由化革命であり、人材登用革命であった」という。さらに「明治維新のキーワードは公議輿論だった。江戸時代に発言できなかった者が発言し、‥‥‥私的な利益は度外視して国益だけを考えて、ベストの議論を取る。それが大久保の言う公議輿論だった」「明治維新以来の政治で最も驚くべきことは、日本が直面した最重要課題に政治が取り組み、ベストの人材を起用して、驚くべきスピードで決定と実行を進めていることである」という。政治が「制度化」され、リーダーが「セクショナル・インタレスト」に陥り、政治のダイナミズムを失っているとの現代政治への眼は鋭く、本質を剔る。そこに「明治維新の意味を問う」という"意味"があると思う。

ペリー来航、阿部正弘の開明官僚の抜擢、桜田門外の変と公武合体路線、大政奉還、公議政体と王政復古、五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県‥‥‥。「明治4年に断行された廃藩置県こそは、維新革命の性格を決定づけ、またその後の方向を決める最も重要な決定であった」「島津久光は激怒する。西郷の引き出しと久光の説得は難題だった。(大久保は)この問題のために、実に渾身の努力をしていたのである」と大久保の志をもった戦いを讃える。公議輿論、明治の精神だ。

大村益次郎の抜擢と徴兵制度、地租改正、電信・電話・鉄道や教育の整備、岩倉使節団、そして征韓論‥‥‥。「自分を慕う仲間を裏切ることなく、しかし同志である大久保の国家建設を妨害することもなく、戦士の同胞の思い出のなかに死んでいくことが、西郷の希望であったと私は考える。これは政治的人間である大久保と、非政治的・宗教的人間である西郷の決定的に違うところであった」という。征韓論から西南戦争に至る難局。大久保は「行詰りとなったならば、万難を排して踏破するなり、または迂回するなり、臨機に適当な手段を用いなければならぬ。其処で静定の工夫を回らしたならば、必ず何処にか活路が見出されるものである‥‥‥」と語ったという。そして大久保の死、自由民権運動と明治14年政変、朝鮮問題と条約改正、明治憲法の制定、官僚制度の整備、天皇大権の強大、超然演説と議会政治の定着、元老から政党へ、政治の制度化と合理化‥‥‥。

「明治維新を再検討してみて、もっとも印象的なのは‥‥‥日本が直面した最も重要な課題に、最も優れた才能が全力で取り組んでいたということである。‥‥‥その国が直面する最も重大な課題に、最も優れた才能が全力で取り組んでいるかどうかが、決定的に重要だと痛感している」と結び、現代政治への警告を発している。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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