「バス通り裏」「鉄腕アトム」「サザエさん」「サイボーグ009」「デビルマン」「Dr.スランプ アラレちゃん」「名探偵コナン」・・・・・・。ドラマ、アニメ、特撮の脚本等々を幅広く手掛けてきた辻真先さんが、88歳にして「このミステリーがすごい」「週刊文春ミステリーベスト10」「ミステリが読みたい!」の3冠を獲得した作品。副題の「昭和24年の推理小説」どおり、戦後の混乱期のなつかしさが満載。しかも私の郷里の愛知県の豊橋や北設楽郡、そして名古屋が舞台となっているからたまらない。しかもタッチが軽妙で若い。
昭和24年――。初めての男女共学、闇市、進駐軍と売春婦、東京・名古屋・豊橋をはじめとする空襲の惨劇、突如としての皇国教育から戦後民主主義や民主警察、アメリカ映画、学校での硬派と軟派、ガリ版、蚊帳、名古屋の100m道路・・・・・・。名古屋市内の新制高校・東名学園の3年生の風早勝利、咲原鏡子、大杉日出夫、薬師寺弥生、神北礼子は旧制中学卒業後のたった一年だけの男女共学の高校生活を送っていた。そんな夏、別宮操先生とこの推理小説研究会・映画研究会の5人で、北設楽の湯谷温泉へ修学旅行代わりの小旅行を計画する。そこでなんと密室殺人事件が起きる。さらに名古屋に帰った夏休みの最終日でキティ台風が襲来した夜、学園祭準備中の彼らは首切り解体殺人事件に巻き込まれる。
「いったい誰が、動機は、殺害方法は」――。戦争の惨劇が戦後の混乱期もずっと引きずられていることが抉り出される。「たかが殺人じゃないか」との表題も、何百万人という人が死んだ戦争を経て、「数字化された大量死と固有の人間の命の重さ」を問いかける。
上野駅は東北の玄関口だ。関東や信越への発着点でもあるが、何といっても東北地方が投影される「ああ上野駅」だ。先日、アメ横の商店主に聞くと「東北の客が中心だったが、コロナ禍でめっきり減った」と嘆いていた。東京の他の主要駅とは全く違って、上野駅周辺は人生を抱え込み、日本の歴史を刻み込んでいる。明治維新で戦った西郷隆盛の銅像と彰義隊士の墓が共存し、その西郷も陸軍大将の軍服ではなく、逆賊となったがゆえに着流し姿、当初予定の皇居外苑広場ではなく上野公園に変更された。関東大震災では焼けなかった上野公園に避難民が殺到、大正13年に今上陛下御慶事記念として東京府に下賜されて、「上野恩賜公園」という名前になった。象やパンダの歴史をもつ動物園があり、桜があり、文化・芸術の藝大や博物館があり、アメ横があり、そして本書のテーマでもある「ホームレス」がいる。集団就職や出稼ぎの人を待ち受ける人間臭さに溢れた上野駅、東北をはじめとする人間の哀楽、楽しさ、悲しさ、空しさ、宿業がエネルギー塊となって吹き出している上野駅と街だ。
柳美里さんは2006年、ホームレスの方々の間で、「山狩り」と呼ばれる、行幸啓直前に行われる「特別清掃」の取材をする。ホームレスは早朝から「コヤ」を畳む。柳美里さんの人生の凄絶さは先著「人生にはやらなくていいことがある」でも生々しいが、「山狩り」の際、「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と衝撃の一言に胸を抉られる。本書の主人公もホームレスの仲間シゲちゃんも、互いに過去は語らない。諦観とかすかな優しさだと思うが、柳美里さんも、「なぜホームレスになったか」については、この小説で問いを発しない。柳美里さんだからこそだろう。「おめえはつくづく運がねぇどなあ」「この空間に自分だけが取り残されるものなのか」と主人公につぶやかせている。
主人公の「自分」は「天皇」と同じ昭和8年、福島県相馬郡八沢村(現南相馬市)に生まれる。出稼ぎばかりしてきたが、東京オリンピックの前年、東京に出稼ぎに来て、働き続ける。長男は昭和35年2月23日、「浩宮」と同じ日に生まれた故に浩一と名付ける。しかし21歳になって浩一は社会に出る直前、板橋で急死する。妻・節子が65歳で急死する。そして再び上野に一人で出て初めて野宿をするのだ。「死が、自分が死ぬ事が怖いのではなく、いつ終わるかわからない人生をいきることが怖かった。全身にのしかかるその重みに抗うことも堪えることもできそうになかった」――。悲運に見舞われながらも、48年間出稼ぎ生活で家族を支え、帰郷後は妻の突然の死をきっかけに故郷を捨てて、ホームレスになった主人公・・・・・・。
「パウエルズブックスが選ぶ今年最高の翻訳文学」として2020年、全米図書賞を受賞して大変な話題となる。難民や大格差で、「居場所を失くした人々」が世界的に大きな課題となっていることもあろうが、上野駅や東北、出稼ぎ、ホームレス、大震災の事態を、どう翻訳したのだろうか、興味のあるところだ。
台湾の閣僚でデジタル担当政務委員。39歳。部門を超えて行政や政治のデジタル化を主導する役割を担い、マスクをはじめ新型コロナの封じ込めにも大きな役割を担った。自著としては初めて、しかも台湾と日本をオンラインで結んでディスカッションしながら作ったのが本書。
「デジタルはあくまでも道具にすぎず、その成否を握るカギは活用する側にある」と言うだけなら同類の本と同様だが、「デジタルは国境や権威というものを超えて、様々な人々の意見を広く集めることに優れている」「私たちの世代はデジタルネイティブではなくて"デジタル移民""デジタル先住民"。未来は生まれた時からインターネットがあった若者たちからやってくる。だから私も、デジタルネイティブの皆さんから学び、未来の方向性を指し示してほしいと願っている」という。それも静かに、なんら力むことなく。そして「人間がAIに使われるという心配は杞憂。AIはあくまで人間を補助するツール」「高齢者が使いにくいのなら、使いやすいように改良すればいい」「5Gについては都市からではなく、地方から先に進める」「高齢者、障がい者、ブルーカラーを支援する誰も置き去りにしないインクルージョンの力を確保するデジタル。"デジタルを学ばないと時代に遅れる"という態度は絶対にとらない」というのだ。
「AI推論とウィトゲンシュタインの哲学」「柄谷行人の『交換モデルX』」から影響を受けたことを語り、「デジタル空間とは、『未来のあらゆる可能性を考えるための実験所』ではないか」と言うのだ。そしてデジタル民主主義として「国と国民が双方向で議論できる環境を整える」「自分が何をしたいかではなく、人々が何を望んでいるかを考える」「For the peopleからWith the peopleへの転換」「閣僚になって『Join』という参加プラットフォームを開設。人々が語り合うために私が設計したプラットフォームは世界中の多くの政府で使われている」「このプラットフォームを介して、台湾では2019年にプラスチック製ストローが全面的に禁止となった」「小さな声をすくい上げて社会を前進させるためPDI(パブリック・デジタル・イノベーション・スペース)やPOを創設した」「現在の代議制民主主義は、私にとって原始的なシステムに見える。インターネットは間接民主主義の弱点を克服できる重要なツールとなり得る」という。
さらに「ソーシャル・イノベーション――一人も置き去りにしない社会変革を実現する」「マイノリティに属しているからこそ提案できることがある」「AIを使った社会問題の解決を競う"総統杯ハッカソン"」「都市と地方との教育格差を是正する『デジタル学習パートナー』」「デジタルに関する"スキル"よりも"素養"を重視する」「問題解決にAIを役立てる場合、プログラミング思考・アート思考・デジタル思考が必要で、そのベースとなるのが自発性・相互理解・共好という3つの素養だ」・・・・・・。
「デジタル化」「デジタル庁」について、オードリー・タンは具体的展開をすでに始め、リードしている。
韓国で高い評価を受けている女性作家のチョン・イヒョンの短編集。繊細で生き生きとした描写力を、微妙な情感を包むかのように訳している。かつての"むき出しの暴力の時代"ではないが、「今は、親切な優しい表情で傷つけあう人々の時代であるらしい」「"優しい暴力"とは、洗練された暴力、行使する人も意識していない暴力だ。それはまた社会に広く行き渡った侮辱の構造の別名である」という。
そこそこの豊かさの時代は、他者への無関心の進行と並走しているようにも思う。社会や他者との間にわかり合えない"違和感"と"孤独感"をイライラのなかで募らせているのが現代かもしれない。「ミス・チョと亀と僕」は都市でひっそりと暮らす主人公と老婦人。亡くなった老婦人から「ちゃんと育ててくれそうだから」と亀を遺産として受けとる。「何でもないこと」は、フライパンのガラスのふたが爆発、製造元に問い合わせるが、淡々と機械的な対応で苛立つ。一方、十代半ばの娘が妊娠・出産する深刻な"事件"も、周りは平然と"何でもないこと"のように進んでいく様子が描かれるが、まさにそれ自体が"優しい暴力の時代"ということだ。「私たちの中の天使」「ずうっと、夏」も、後悔のなかで長く子どもたちを育てていくことや、日本人と韓国人の夫母をもった女性の海外生活の"生きづらさ"などが繊細に表現される。「アンナ」では英語幼稚園になじめない子どもと、温かく接してくれた母親の同窓生アンナの起こした"ヨーグルト騒動"が描かれるが、韓国の英語志向やチョンセという住宅事情の背景が浮き彫りにされる。「夜の大観覧車」「引き出しのなかの家」「三豊百貨店(1995年に起きた百貨店の崩落事故)」も、社会の変化するなかで人々が何らかの苦難に遭遇している様を、じわっと静かに描き出している。
「うちでは、子供たちがデジタル機器を使う時間を制限している」とは、スティーブ・ジョブズの言葉だ。彼だけでなく、IT業界のトップは、わが子にデジタル・デバイスを与えないという。うつ、睡眠障害、記憶力・集中力の減退、学力低下、依存・・・・・・。最新の研究成果は、スマホの便利さに溺れているうちに脳が蝕まれていく恐るべき実態をあぶり出す。著者はスウェーデンの精神科医、世界的ベストセラーとなっているという。
デジタル化は脳には諸刃の剣。毎日何百、何千回もスマホをスワイプして脳を攻撃していたら、注意力は散漫、慢性化すると、その刺激に欲求を感ずるようになる。小さな情報のかけらや「いいね」を取り込もうとして、大きな情報の塊をうまく取り込めなくなる。デジタルの道具を賢く使うこと、デメリットもあることをよく理解してほしい。そして、睡眠、運動、他者との関わりの3つ。これが精神的な不調から身を守る3つの重要な要素だという。さらに人間がテクノロジーに順応するのではなくテクノロジーが私たちに順応するように開発せよ、偽情報を拡散しないようにしよう、と呼びかける。
「スマホは私たちの最新のドラッグである」――。周囲の環境を理解し、脳は新しい情報を探そうとするが、その脳内物質がドーパミン。ドーパミンの最重要課題は、人間に行動する動機を与えることだが、SNSは報酬中枢を煽る。日に何百回とドーパミンを散出させるスマホ、人は気になって仕方がない。集中力が落ちる。メモをとると情報を処理する必要があるので内容を吸収できるが、覚えなくてもパソコンに任せるとなると覚えるエネルギーが不要だから吸収できない。長期記憶を作るには「集中」という「固定化」と「睡眠」が必要だが、スマホによって「睡眠」が削られ、「集中と熟考」が疎外される。「周辺への無関心」も進む。「SNSが私たちの共感力を殺す徴候がいくつもある」「SNSが女子に自信を失わせる」「フェイクニュースの方が拡散する」という。
「バカになっていく子供たち」――「幼児には向かないタブレット学習(文字を書いて覚える。紙とペンで書くという運動能力を鍛え、感覚を身につけることが大切)」「若者はどんどん眠れなくなっている」「若者の精神不調が急増している」・・・・・・。「運動というスマートな対抗策」――「子供でも大人でも、運動がストレスを予防する」「少しの運動でも効果的」・・・・・・。
「デジタル社会が人間を注意散漫にしている」――「集中力」「記憶力」「共感力」が低下し、睡眠時間も減っている。「インターネットは深い思索を拡散してくれない。表面をかすめて次から次へと進んでいくだけだ。目新しい情報とドーパミン放出を永遠に求めて」「睡眠を優先し、身体を動かし、社会的な関係を作り、適度なストレスに自分をさらし、スマホの使用を制限すること。もっと多くの人が心の不調を予防することが解決策だと思っている」という。