ソ連崩壊、イギリスのEU離脱など数々の予測を的中させてきたエマニュエル・トッド。学術界から反発されていると自ら告白し、激しくマクロンを批判しているエマニュエル・トッドだが、その思考法はいかなるものか。自らの思考法を語り、思考の見取り図を示す。「世界の名だたる哲学者たち、デカルト、カントなどは、私にとっては言葉選びをしているだけ。哲学が現実から完全に離脱しているからだ」「私が研究者人生で何をしてきたか。それは混沌とした歴史のなかに法則を見出すということ」「思考は手仕事だ。コンピュータで書いたことは、切り貼りが何度でも簡単にできてしまう」「考えるのではなく、学ぶのだ。そして読む。歴史学、人類学などをひたすら読み、・・・・・・知らないことを知ったときの感動こそが思考するということだ」「知性には三つの種類がある。処理能力のような頭の回転の速さ、記憶力、そして創造的知性だ」という。
考える際の軸となっているのは「データ」と「歴史」だ。データとはどこまでも「事実からの出発」、観念的哲学やリアリズムを欠いた言説、先入観やイデオロギーなどではない。データをひたすら取り入れ、知識を蓄積する。読んで読んで知識を蓄積していると、ある日突然アイデアが湧く。「歴史」こそが人間を定義する。歴史に語らせるのだ。「人間とは何か」などという抽象的な問いかけから出発すると、どこかで間違える。「人間とはこうである」「人間とは何か」など、ア・プリオリな基盤として歴史的出来事を解釈し、観念から出発すると歴史を見誤る。エマニュエル・トッドの思考法は、徹底したリアリズムを抱く経験主義者であり、イデオロギー・先入観・概念を固定化しない、観念から出発しない、合理主義ではない。経験主義に忠実、徹底して事実(ファクト)を重んじる。何のア・プリオリもなく出発する。
そして「インプット(入力)」「着想」「検証」「分析・洞察」「予測」に至る時間軸をもつ。「ブレーク」「モデル化」「法則」「芸術的行為」と連なっていく。「入力」でいえば、徹底した知識の蓄積、読書、データだ。「脳をデータバンク化せよ。(私の仕事は95%は読書、5%が執筆)(本に書き込み、コメントも書く、手書きはAIにはできない作業)(読んで読んでテーマから逸脱する、逸脱が大切だ)」。そしてデータ収集を積み重ねると「着想」が来る。仮説でもある。そして着想は事実から生まれる。しかも予想外のデータを歓迎する気付く能力の大切さだ。「視点」として、「出発点は常に事実から」「その社会の外側から見る、現実を直視する、アウトサイダーだからこそ見える、外の世界へと出る経験が大切」と語る。納得だ。少しずれている人の方が見えることがあり、「機能しすぎる知性はいけない」とも指摘する。そして「分析・洞察」――歴史学・統計学の思考、相関係数から読み解く(マクロン票は反ルペン票だった)。最後に「出力、アウトプット」――それは書くこと、話すこと。「書きながら考えない」という。「思想というバイアス」「同調圧力に抗う」「何様のつもりだ、などといわれたが、私の家族から受け継いだ"真実に対する倫理観"だ」「今の大学は知性がフォーマット化され、順応主義を生む所となっている」と手厳しい。データと歴史を蓄積し、とことんリアリズム、ファクト、真実に迫る経験主義者の思考の極意が示される。数々の予測の的中も、マクロンへの厳しい批判も、学術界からの反発も、そこから生まれる。
半藤一利さんが今年1月、亡くなった。絶筆となった「あとがき」で「自分で勝手に生涯のテーマと決めている昭和史や太平洋戦争ばかりではなくて、物書きとなったばかりに新聞のコラムや趣味的な雑誌の連載を頼まれたりすることも多くなった。これまで乱読のお陰もあってか、そこで仕込んだ知識を利用して書くのが楽しくなり、ホイホイと引受ける。・・・・・・ただただ昭和史と太平洋戦争の"事実"を探偵することに若いころから妙にのめりこんできて、一人でコツコツと続けて、いつの間にか90歳の老耄れとなってしまった」「井上ひさしさんが色紙だけに書いたという彼自身の『心得三条』――『むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに書くこと』の秘術を使って書いたエッセイをまとめたものが本書」といっている。「まえがきに代えて」では「生涯読書のすすめ」「悪ガキの少年時代から本好きであった」といい、とにかく人生そのものが、接するもの全てに"好奇心"と"探究心"をもって「時代とともに歩んだ」ことがよくわかる。凄い。
「昭和史おぼえ書き(勅語と詔書と勅諭、上野高女のストライキ、敗戦後一夜明ければ、魔物をつくった人類、神風いろいろ)」「悠々閑々たる文豪たち(隅田川カッパ合戦、ハンケテとハンカチ、欠伸という字、和製漢語のはなし、露伴『五重塔』のモデル、知らぬ顔の半兵衛)」「うるわしの春夏秋冬(『花より団子』のとき、土用の丑の日とは、秋の夕暮れ、師走とつごもり)」「愛すべき小動物諸君(蝉の一声、『狐の嫁入り』とは、本物のハチ号の話)」「下町の悪ガキの船出(悪ガキ時代の言葉、あぐらと正座、向島界隈)」「わが銀座おぼろげ史(無敵鉄牛大行進、アイスクリーム、みゆき通り、仮採用のころと坂口安吾、数寄屋橋、時計のある塔、長井代助と銀座、じじいの嘆き、文士劇、早朝の銀座風景、展覧会紳士、春風銀座乃道)」――。じつに味わい深く、面白い話が続く。謹んでご冥福をお祈りいたします。
高校時代は青春ドまん中。友情も恋も葛藤も本格化する。我々の時代は、受験勉強を中心とする普通高校と、高卒として社会に出る商業高校・工業高校・農業高校が生きており、社会に旅立つ前の貴重なエネルギー溢るる時、それが高校時代だった。「赤い夕陽が校舎を染めて・・・・・・」の舟木一夫の「高校三年生」は、私の高校三年生の時でドンピシャ。今も同級生が集まるとこのヒット曲を皆で歌う。
さて今の高校生の青春は――これをジャニーズの加藤シゲアキが書くというのだから興味が湧く。よくある富裕と貧困、暴力、セックス、屈折の青春群像ではない。「オルタネート」という高校生限定のマッチングアプリを軸として、調理・園芸・音楽等のクラブとアプリで繋がる青春物語。全国に配信される「料理コンテスト」と「文化祭」がクライマックスになる。
円明学園高校を舞台に、調理部部長の新見蓉(いるる)、オルタネートを心奉する伴凪津(なづ)、大阪の高校を中退してかつてのバンド仲間の豊と会いに上京するドラムが命の楤丘尚志の三人が主人公。三人三様の青春が、料理甲子園のような「ワンポーション」と「文化祭」に収斂されていく。恋とともに、確執のあった友や家族との関係も融けていく。SNSを介した現代的な「繋がり」と、イベントに協力して挑むなかで生まれる「繋がり」。この二つの「繋がり」を通して、成長していく高校生の姿はすがすがしい。
芥川賞受賞作。「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。・・・・・・それは一晩で急速に炎上した」――。主人公の高校生「あたし(あかり)」は、5歳の頃からアイドルグループ「まざま座」のメンバー上野真幸のファンで、いまや徹底した命にかかわるほどの推し。「理由なんてあるはずがない。存在が好きだから、顔、踊り、歌、口調、性格、身のこなし、推しにまつわる諸々が好きになってくる」「皆が推しに愛を叫び、それが生活に根付いている」「推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな」「推しから発されたもの、呼吸も、視線も、あますことなく受け取りたい。・・・・・・朝、推しくんが耳許でおはようと言うんですよ。目が覚めて最初に聴くのが真幸くんの声なんですよ」「体からだるさが溶け出していって、芯から温もって、ああ、きょう、わたしなんとか生きていけるなって思います」「推しは命にかかわるからね」・・・・・・。日常も勉強もバイトも、みんなのようには全くできない「あたし」。そんな生き辛さ、他との拭い難き違和感、孤独感をなんとか凌いで進めるのは唯一、「推しを推すこと」だ。その推しが、ファンを殴り、グループは解散して芸能界から去っていく。「あたし」は推しがいなくなる衝撃を受け「生きていけない」と思いつつも、周りの大人の顔色をうかがい続けた彼が「自分で光を発し始め」、そして今、引退を自ら決断したことに思いを馳せる。なぜ推しが人を殴ったかはわからない。しかし推しの決断を思うなかで「今までの自分自身への怒りを、かなしみを、叩きつけるように振り下ろす」と思うのだ。著者もテーマも若いがリズム感ある熟練の文体。
「命の経済」への転換を訴える。昨年10月の出版だから、「コロナ」のデータは7月頃までが中心だと思う。2021年3月の現在、欧州では「変異株が急増」、日本では「首都圏の緊急事態宣言が21日まで延長、下げ止まらない」「コロナのダメージが長期となり、観光・飲食・航空等の交通機関、そして医療体制と、持ちこたえられない所(倒産等)が出ている」「年内の完全終息は見込めない、重傷者も時々は出る(尾身茂会長)」と厳しい状況にある。アタリ氏は、昨年夏頃までのデータを使ってだが、その本質と未来を観ようとしている。その背後にある分析は「現在のパンデミックが過ぎ去っても別のパンデミックが訪れるだろう」「今回のパンデミックを外出禁止措置等で乗り切ろうとしても、疲弊した企業や医療等は、元に戻らないことがある」ということだ。だからこそ「命の経済」への転換を図ろうというのだ。
パンデミックの歴史を語り、今回の未曾有のパンデミックに対して、中国には厳しく、ロックダウンの欧米のやり方を批判、"三密""マスク""手洗い"等の韓国・台湾等を褒める。そして、今後の世界は「米中両国が衰退し、覇権国なき世界に向かう変化が加速する」とし、EUの使命に言及する。そして、今回のことで「自己と向き合う貴重な機会を得た」「テレワークの増大」「非営利活動の発展」「情報リテラシー」「心地よい時間こそ大切」など、新しい動き、価値観が生まれていることを指摘する。
そして「命の経済」――。「我々は、組織構造、消費、生産の形態を抜本的に見直す必要がある。経済活動を新たな方向に誘導しなければならない」という。優先課題は「治療薬とワクチン開発」「医療、予防、健康増進のヘルスケアの強化」「新たな対話の形、食生活を改める(少肉多菜、少糖多果、地産地消)」「密集型都市からの脱却」「医療とともに教育に力を入れる(遠隔教育、再就職の職業訓練、生涯学習、遠隔授業、失う社会性やグループ活動、スポーツ、社会活動への支援)」「文化と娯楽の未来」・・・・・・。パンデミック後の成長分野、健康・食糧・住宅・文化・スポーツ・教育等々、そして環境も国土保全も視野に入れた市場では満たせない莫大な需要へのシフト。それが「命の経済」だという。そして「自動車、航空機、工作機械、ファッション、化学、プラスチック、化石燃料、ぜいたく品、観光などの企業が過去の市場を取り戻すことはない」と指摘する。別のサービスへの移行を模索する一方で、「観光業を救え」「持続可能な観光を模索せよ、一部の観光地への過剰観光ではなく、近場の観光も」と提唱する。さらに地球温暖化が人類に危機を及ぼす一方で、それがパンデミックを引き起こす、リンクしていることを指摘する。こうしたパンデミックが100年に1回でなく、たびたび起きるとすると、全くその通りだ。警告と提唱の本。