スキマワラシ.jpgこの世は、たくさんの不思議に溢れている。可視の世界、有限の世界の背後には、それを支える不可視の世界、無限の世界が広がっている。それがある瞬間、記憶の隙間に現われるのかも知れない。「今どきの座敷童子(ザシキワラシ)は、日本家屋じゃなくてビルに棲んでいるってわけだ」「古い建物に棲みついていて、壊される時に姿を現わして、今度は別の建物に移るんじゃないかな。幽霊というより、むしろ座敷童子、今はビル童子か」・・・・・・。白いワンピースに、麦わら帽子。廃ビルに現われる"少女"という"都市伝説"が全体を通じて奏でられる。

古道具屋を営んでいる兄の纐纈太郎。ある瞬間、ある場面で物(モノ)に触れると過去が見える不思議な能力をもつ弟の散多(サンタ)。建築事務所で幅広く仕事をしていた両親が事故死する。二人はその面影を追って、取り壊し予定の建物を訪ねたり、古い「タイル」を探し、"スキマワラシ""あの女の子"に遭遇する。そして「なぜ次男なのに散多(サンタ)なのか」「おまえ、女のきょうだいがいたよね」という生来の疑問を持ち続けていたが、「ハナちゃん」と呼ぶ声が聴こえたり、「醍醐覇南子(ダイゴハナコ)」という女性に出会いから親しみを感ずるのだった。太郎・散多の母の旧姓が"醍醐"であり、太郎とハナコ、そして散多との"縁"の世界をなぜか感ずるのだった。

本当なのか、幻なのか、思い違いなのか。しかし生命の奥底に刻まれた"縁"と"因"の世界が、突如として噴出することは現実にある。その生命の感得が世界を知り、人生を深めるとしみじみ思う。


511jW40ZEuL__SX347_BO1,204,203,200_.jpg「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」――。カルル・フォン・クラウゼヴィッツ(1780年~1831年)の「戦争論」は、どのようにして書かれたのか。「戦争にいかにして勝つか」という軍事学ではなく、クラウゼヴィッツは「戦争とは何か」を命題としてその本質、政治とのかかわりを著わした。しかも、近代国民国家の黎明期、ナポレオンの猛威が全欧州を覆うなか、劣勢続きのプロイセンの陸将として現場で苦闘し続けた実存感を執筆した。フランスに屈した母国に失望し、一時ロシア軍に身を置く(あの冬将軍のボロジノの戦いの頃)が、このことが国王に睨まれることにもなった。ナポレオンが敗れ去ったあとの1818年、クラウゼヴィッツは士官学校校長に任ぜられ、「戦争について」の執筆にかかる。社交とか愛とは程遠いクラウゼヴィッツと、貴族出身で社交的、芸術・文化に造詣が深く聡明な妻・マリーや義母とのやりとりは、シニカルでもあり、コミカル。あたかも"家庭内戦争"のようで、信頼があって面白い。1831年、クラウゼヴィッツは猛威をふるったコレラで突然に死亡する。己の未完成の膨大な原稿を妻・マリーがまとめ、「戦争論」全十巻として出版する。フラウ(妻)の戦争論だ。

イエナ・アウエルシュタットの戦い(1806年)、アイラウの戦い(1807年)、ロシア・ボロジノの戦い(1812年)、ザクセン地方・グロースゲルシェンの戦い(1813年)、ザクセン地方・ライプツィヒの戦い(1813年)、ラ・ベル=アリエンスの戦い(1815年)――。"前進また前進"のナポレオン軍と結束できず右往左往する反フランス同盟各国の生々しい様相が描かれる。「時代遅れの組織、戦術、装備もあるが、プロイセン敗退の原因は、君主制を敷く古びた国家が、(フランスの)共和制という新たな制度によって生み出された未知の力に対して、なんの備えもなくぶつかっていったところにある。軍隊の過失というより政治の失態に存するのだ」「戦いとは単に戦場を征服することを目的とするものではなく、相手の意志を征服する(戦いの放棄)ことを目的とする」「戦争と対になる言葉は『平和』ではなく『対話』。戦争は武器を用いた政治の手段なんだから外交、つまり『対話』だ」「お母様、カルルの論文のなかには人間がいる。・・・・・・たとえ国王陛下に評価されずとも、百年先に残るカルルの論文なの」「兵力は分散することなく集中して運用せよ。有形無形の力を決勝点に集中すること、これこそが勝利の方程式なのだ」「シャルンホルスト(陸軍参謀本部初代参謀総長、クラウゼヴィッツの恩師)は軍の戦術改善ではなく国家改造だった。自らの国を自らで守ろうとする国民の意欲を生み、大量動員を可能とすることだ。そして士官学校を創設した」「政軍関係はいかにあるべきか。政治が知性であって軍事は手段。その逆はあり得ない」「戦争は暴力と暴力のぶつかり合う単純な闘争行為に見えて、その実、矛盾と混沌に満ちている。ある側面の理解を基礎として全体を単純化してしまった理論は、いつの日か現実に報復される」・・・・・・。

「マリーには、難解なものを難解なまま、複雑なものを複雑なまま、相反する真理を同時に含んで提示する矛盾だらけのこの本には、愛する夫の苦悩がゆらぎとなってそちこちに立ち現われているようだった。子のない夫婦に残された共同作業の結実に、夫の了解もなく、勝手に手を入れることができなかったのである」と結んでいる。あえて矛盾も含まれた原稿に手を入れず、出版したのだ。


灯台からの響き.jpg板橋の仲宿商店街で、父親から受け継いだ人気の中華そば屋「まきの」を妻と営んでいた牧野康平。2年前に妻・蘭子が急死し、店はできなくなりふさぎ込む。ある日、読書家の康平が、「神の歴史」という本を読んでいると、1枚の蘭子宛の古い葉書がページのあいだから落ちる。差出人は小坂真砂雄という大学生で「灯台巡りをした」という文章と、どこかの岬らしい図が描かれていた。蘭子は「全く覚えがない」といい、「このような葉書が届いたが、私はあなたをまったく知らない・・・・・・」という返事を出したのだった。「本当に妻は、彼を知らないのか」「62歳のひきこもりのおっさんになってしまうと立ち直るのは難しい」「よし、灯台を見る旅を始めるぞ」と、鴎外の「渋江抽斎」を読んでいるうちに康平は決意する。

妻の過去をたずねる康平の"灯台巡り"の旅。それを温かく支える康平の子どもや商店街の仲間・・・・・・。康平は「まきの」を再開しようとの思いが募っていく。「『渋江抽斎』は夥しい死の羅列だ。・・・・・・わずか生後3日で死んだ子さえも、目には見えないなにかを残していく。その子にとってはたったの3日間だが、それは永遠のなかの一瞬ではなく一瞬のなかの永遠なのだ」・・・・・・。次第に妻が守り抜いた秘密、葉書の意味が明らかになっていく。それはそのまま毎日毎日、商店街の中華そば屋で康平とともに身を粉にして働き続けた「蘭子」という女性の"生き方の芯"に迫ることになっていく。感動がせり上がって来る。そして、市井に生きる人々の「美しさ」や「幸福感」が波が打ち寄せるように迫る。人知れず風雨にも屹立する"灯台"は、人生の"生きる芯"を表現するように思えてくる。素晴らしい作品。


日没.jpg「良い小説と悪い小説を見分けるには」「良い小説の定義は? 自分に正直な小説です。・・・・・・まず自分が書くことに心を打たれないと」・・・・・・。当然、国家が評価するようなものではない。

小説家・マッツ夢井のもとに一通の手紙が届く。「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」とある。無視していると「召喚状」が届き、召喚されてC駅まで赴くと、海崖にある「七福神療養所」に連れてこられる。療養所というが、自由を完全に奪われた強制収容所だ。反社会的な作家たちを"更生"させる施設だという。「社会に適応した小説を書け」と命ぜられ、反抗できない者はあの手この手で、狂うのを待たれ、弱い人間は何人も崖から飛び降り死んでいた。社会と隔絶された収容所での悪夢がこれでもかこれでもかとマッツに迫り、精根尽き果てる。

「『表現の不自由』の近未来を描く、戦慄の警世小説」と帯にある。近未来でも、あってはならないことだし、人権感覚の摩耗を防ぎ磨くことだ。


令和の「論語と算盤」.jpg渋沢栄一の「論語と算盤」は、講演記録を整理して原稿化したものだが、「論語」を踏みながら経済(算盤)等について論じている本ではない。「論語」以外の中国文献を多く引用しており、「中国古典と算盤」が実態に近い、という。本書は、中国哲学史・中国古典学の権威・加地伸行氏による「古典と現代社会」だ。「コロナ禍に」「日本文化の深層」「国民国家とは」「<不平不満老人>社会」「権威とは」「建前の浅はかさ」「まっすぐに見よ」「日本人が語り継ぐもの」「日本の教育は」「日本人の死生観」――。これらについて、本質的な軸をもって現代社会の浅薄さ半可通を剔抉し一刀両断する。いかに現代社会が浅薄で浮遊しているか。いかに思考の粘着力と軸を失っているか。有識者、コメンテーター等がいかに無知でふわふわしているか。批判は痛烈だ。

「日本国憲法は個人主義一色であり、法律や制度から家族主義を叩き出した。個人主義を唱える欧米人も自律的な個人主義を身につけるのは困難で、勝手な利己主義になりやすいが、キリスト教における唯一最高絶対神の存在が抑止力となった。信仰なき者には抑止力がなく、利己主義者になる。日本には絶対神の存在はなく、信仰も抑止力もなく、勝手な利己主義者となってしまうだけだった」「家族をつなぐ絆とは血である。血でつながり、家族共同体にこそ日本人の生きる基盤がある。個人が基盤といっても、自律し自立できる個人主義者なら可能だが、利己主義者の大群では、老後は貧しい孤独な死となる。家族主義は、家制度を超えて、日本人の死生感(祖先から子孫・一族へという生命の連続と子孫の慰霊により人々の記憶に残る)に基づいている」「民主主義は自立した個人を前提にした『民が主』ということだ。しかし、東北アジアでは、自立した個人という思想・実践はなかなか根付かない。だから選挙では投票数の多さを競うだけとなり、選挙が終われば民はお払い箱になり、単なる愚昧な存在としか見なされない。東北アジアの民主とは『民の主』すなわち君主のことである」「公務員の汚職発生が中国では多く日本で少ないのには、律令制の実質化(中国=科挙官僚は皇帝に忠誠心があったが、圧倒的な一般官僚にはそれがない)と形式化(日本=藩主は将軍家から実の土地を受け、朝廷から名の位階を受けた)との差が背景にある。日本では藩主に対する忠誠心があり、この忠誠心が明治となって元武士官僚が天皇へのそれに平行移動した(日本は権力が替わっても天皇の権威は奪われなかった)」「皇室無謬派も皇室マイホーム派も誤りである。皇室は無謬ではなく諫言を受容してこそ安泰である(孝経の諫諍章=天子に争臣(諫言者)七人有れば・・・・・・天下を失わず)」・・・・・・。「儒教とは何か」「沈黙の宗教――儒教」「家族の思想」などを読んできたが、「社会と宗教」「政治と宗教」「国家と宗教」等を考えた。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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