「父と子」「美しいひと」「増殖」「春の雪」「放熱」「御札」など17の掌篇集。生老病死の経験を、思考し続け内面で格闘しながら積み重ねた人でないと描けない重厚かつ繊細な著作。私自身、同時代を生きてきたこともあるかもしれない。心に浸み込んでくる。「老いと死」――老いるにつれ自身の世界が大きくなり、一人で死んでいく人生。その死を前にして人生をそれぞれが生き、それぞれが表現しようとする。壮絶な修羅をくぐり、宿業ともいえる生き様の総決算の日々。短篇だがじっくり味あわせてくれる。とてもいい。
「思わぬ強欲の世界で出くわす父と子」「ただでは終わりはせぬ。歳老いても美しい老女の婉然とした微笑(美しいひと)」「死に何度も直面したあと、醜い汚い辛いこの世が、鮮やかに清々しく美しく反転し、許せるようになる(夕映え)」「昔の友人が突然現われてのイヤな思い(月影)」「汚辱や下賤が尊いものをけ散らし、強欲小欲が際限もなく連なって肥大を重ねる騒々しい世界に生きる。微笑を顔にはりつかせて(増殖)」「夫婦。雑踏の中の孤独は妻に許される密かな自由なひととき(薔薇)」「東京、京都、長野。昔の学生の恋と理屈(春の雪)」「どのように生きたかったのか、どうしてそのように生きられなかったのか、言うに言われぬ思いを残している無念を語り尽くしたいのだ(放熱)」「これがわたくしか。地球上に唯一の。宇宙に唯一の。どういうわけか永遠の時の中の一瞬に在る確かな存在の一つの。世の中の誰とも何とも違う唯一無二の。そして唯一度だけの。そして、そして、わたくしだけの。(御札)」「何処も彼処もが死者たちの影のそよそよと重なり合い擦れ合う気配で満ちているのだ。死者たちがひそひそと呟き呻き叫んでいる。乾いた哄笑がカンラカラと響き渡る(御札)」・・・・・・。
老いて死へと向かうなか、人と人との間としての人間の世界から、唯一人の世界に入り、「ただひたすら存在することを主張して呼吸を求めている」。そして存在証明・承認欲求が噴き出してくるのか。それもまた一人一人違いを持って。人生100年時代とは大変な世界に入ろうとしているということだ。
平成時代30年間の経済分析。それは「世界経済の大きな変化に日本経済が取り残された時代」「日本経済の国際的地位が継続的に低下された時代」であり、「大きな変化が生じていることに気が付かなかったために取り残された」という。「90年代初め、日本人はバブル崩壊に気づかなかった」し、「世界経済が90年代に大変化し、IT革命、製造業における水平分業という新しい生産方式が広がった」のに対応が全て遅れ、逆行すらした。「2000年代の回復は偽りの回復で改革が遠のいた」とも、「リーマン・ショックが実は日本の自動車等に大きな影響を与え、輸出立国終焉した」「輸出依存型成長は日本経済に対する本当の解決策ではなかった」「異次元金融緩和はマネーストックを増やさなかった。追加緩和・マイナス金利導入も効果なし」と指摘。「日本が抱えている問題は、金融緩和や円安では解決できない。産業構造・経済構造を変えるしかない。とくに新しい情報技術の活用だ」「新しい産業の登場が鍵」と結論づける。
バブルの崩壊、大企業や金融機関の不祥事、山一・長銀破綻、不良債権処理、IT革命、中国の台頭、リーマン・ショック、長引くデフレ、金融緩和・財政出動・成長戦略のアベノミクス、世界でのGAFAやBAT・・・・・・。10年区切りで日本の経済対策では格闘してきた思いだが、振り返れば失敗も、遅さ、にぶさも露わになっている。2004年、シャープの「世界の亀山」は垂直統合型の国内モノづくりの回帰であったが、2016年鴻海に呑み込まれたのは、指摘していることの代表例でもある。
そして日本の直面する課題を「人口高齢化への対処(労働力不足と社会保障支出の問題)」「大変貌する中国、この30~40年の世界経済の構造変化」「改革の遅れを取り戻しAIなどの新しい技術への対処(日本の情報技術の遅れ、情報分野中心の産業構造に、企業のビジネスモデルの転換・脱工業化、生産性の高い産業に、世界的水平分業)」と3項目提示している。
平成から令和の時代となった。今生きている時代がどのような時代なのか。「平成の時代にも新たな時代様相が始まっている」「新しい時代の価値観が平成以後に始まっており、また平成は大正・昭和の流れを宿命的に背負いこんでいる」・・・・・・。令和の時代を迎えるに当たり、平成という時代の深層に迫っている。
平成は冷戦終結という世界の激動のなかで始まった。「昭和とは3つのキーワードで語り尽くせる。天皇(人間天皇)、戦争(非軍事体制)、市民だ」「平成の終わりになって、この3つは少しずつ崩れ始めている」という。「平成の3つのキーワードは何か。天皇(人間天皇と戦争の清算の役)、政治(選挙制度改革と議員の劣化)、災害(天災と人災)だ」といい、その検証が行われる。
「昭和の後半から現在まで、天皇が<平和勢力>と化していることに強い安堵と信頼をもつ」「政治は平成5年、6年に大きく変わった。自社さ連立政権のおかしな虚構政治(平成の愚行たる野合劇)。小選挙区制の無理。政治(家)の劣化」「災害史観(災害によって起きる社会現象や人心の変化)(形あるものは壊れるという絶望感、情報閉鎖集団の虐殺行為、死に一直線に向かう虚無感)が、関東大震災の時も、阪神・淡路大震災の時のオウム事件でも、東日本大震災の福島の原発事故でも時代を覆う」――。災害史観が時代の深層を覆う時こそ、謙虚に向き合い、克服しようとの生きる姿勢が大切となる。生の思想・哲学であるとともに具体的な実行の持続ということだ。「歴史には人知を越えた何かが存在する」ようだ。
政治・政治家の劣化は、国会論戦でも、白か黒かのワンフレーズ・ポリティックスにも、思想と志をもつ政治家ではなく、人気・知名度に傾く選挙にも顕われ今日に至っている。生命は尊いからこそ延命を図るという昭和後期の死生観も安楽死・尊厳死を扱うという変化をみせ、大企業・大銀行も破綻する変化を見せる。"ひきこもり"や"人を殺してみたかった"という平成少年犯罪が生まれ、戦後民主主義を支えてきた人命尊重・人権尊重といった価値観や倫理観が崩れつつある。戦後が死に、戦争の教訓が引き継がれなくなってきたのだ。津波への備えもズルズル、日常のなかで思考停止に陥る"ズルズル日本"にしてはいけないのだ。加えて平成の特徴であるインターネットの普及は、従来の社会常識を崩すことになる。「平成は深刻な時代の胎動期だったと将来語られるだろう」という。
昭和20年に生まれ、平成が全て政治活動だった私として、リアルに読み、考えた。
「幸せになる読書論」と副題にあるが、私自身、本が好きで良かったと思っている。哲学書などを原文で深く読み続けてきた岸見さんのように、どっしりと読んではいない。しかし、読書をしていると「思考する頭脳」「思考の粘着力」が生まれて、思考が時空を越え、本書にあるように「本を読む時に感じる喜びの感情、生命感の高揚が現実を超える力になる」のは間違いないと思う。また当然、通常では経験できない「人を識る、社会を識る、世界を識る」ことができる。「自分を知る、自身の位置を知る」ことにもなる。
「本書で私は、たくさんの本を読もうとしないこと、また何かのために本を読むのではなく、本を読むこと自体を楽しむことなど、本をどう読むかについて、これまでの人生で読んだ本を引き合いにして考えてみた」「読書は何にも代えがたい人生の喜び、楽しみである」という。
笑いととても深い関わりを持つユーモア。"ユーモア→うまい言葉→笑い"という構造。「ユーモアはほとんどの場合、知的な言葉によって表出されるのが本筋だ。だから――楽しい言葉を探そう――これがユーモア作法であり、若い人より年齢を重ねた立場のほうが扱いやすく、向いている」「ほとんどすべての人に対して、できれば明るく生きたい人に対して、『ユーモアは、いいですよ』と私は言いたい」「表情をともなう笑いに比べて人間の心の微妙さと関わるユーモアはもっと多様で、もっと広い。教養や人生経験を反映して、それゆえに若者より年配者にこそつきづきしい。行動的であるより、ためらいに臨みながら言葉で少しく参加しよう、という現れかたなのだ」――。
「日本人とユーモア(日本人にはユーモアがないと言われるが。狂言、川柳、狂歌、落語。ショートショートの「最期のメッセージ」。清少納言等の"をかし(趣きが深いこと)"。"しゃれ")」「西洋人とユーモア(イソップ物語はユーモア。イエスのユーモア。サービス満点のシェイクスピア。風刺のきいたスウィフトの真っ黒なユーモア。ユーモアと個人主義)」――。それぞれ選りすぐりで面白い。
「同級会は基本的に今の自分の生活にとりあえず満足している人が集まってくる」「"まあ、わるくはない"人生を、その人なりに生きて、その通りわるくない、のである。――人生こんなもの――どう生きたって、そこそこに幸福な最後を迎えられれば、もって銘すべし。あえて言えば、これがユーモア人生なのだ、と私は思う」「ユーモアはけっして過大な欲を抱かない。無理をせず、ほどほどのところに満足を見い出し、少し笑い、少し悲しみ、ときに逃避し、自嘲し、心理的に自分を守りながら大きな陥穽や絶望に陥ることなく、困難の少ない人生をほどよく生きるこつ、それを知っている心なのである」「偕老同穴。老後は夫婦仲よく暮らすのが一番、なによりすばらしいのである。人生の幸福、ここにあり、だろう」「このごろの世の中、人を批判し、文句をつけることにはとても熱心だが、褒めるほうはいたってけちである。もう少し褒めてもよいではないか」――。ユーモア、教養、諦観、楽しい言葉の探訪、ささやかな余裕、日常の幸福が素直に伝わってくる。