あの「ダ・ヴィンチ・コード」のダン・ブラウンのラングドン・シリーズ第5作。スケールが大きく、時空を深く掘り下げていく緊迫の書。一気に終章まで誘う。
「われわれはどこから来たのか」「われわれはどこに行くのか」――。人類の根源に迫る問いかけ。宗教象徴学者ロバート・ラングドンの教え子のエドモンド・カーシュが、それを解き明かす衝撃的な発表をするという。2億人を超える世界の人がインターネットで注目するなか、カーシュは凶弾に倒れる。しかし、カーシュはその前に、宗教各派の中心者3名にその中身を知らしていた。
宗教を根底から覆す恐怖に襲われたのではないか。人類の未来はAIと結びついた"新たな人間"に支配される恐るべき社会になるのではないか。きわめて根源的な問いかけは緊迫と恐怖をもたらす。カーシュの発表する内容の謎。暗殺者の謎。宗教界やスペイン王宮の深淵・・・・・・。欧米における神や教会と異端、そして王宮の存在が日本とは画然と差異があることをまざまざと見せつける。
ラングドンと美術館館長でフリアン・スペイン国王太子の婚約者アンブラ・ビダルは逃亡しながら謎の解明に走る。そこに登場する人工知能ウィンストン。AIの未来と人間、科学と宗教、進化論と神・・・・・・。対立か共存か。はたして"暗き宗教は息絶え、かぐわしき科学が治する"のか。AIの急進展のなかで根源的問題を突きつける。テンポのいい越前氏の訳も秀逸。
日本が「格差社会」から「新しい階級社会」になったことを、社会学者の研究グループが10年ごとに行う「社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)(最新は2015年)」と「2016年首都圏調査データ(橋本氏中心の研究グループ)」等で分析、解説する。日本社会は、資本家階級・新中間階級・労働者階級と旧中間階級の4階級構造から成り立っていたが、労働者階級の内部に巨大な分断線が入り、900万人を超える「アンダークラス」という「新しい階級」を含む5階級構造へと転換したという。正規労働者・非正規労働者の深刻な分断線だ。
「分解した"中流"」「現代日本の階級構造」「アンダークラスと新しい階級社会」「階級は固定化しているか」「女たちの階級社会」「格差をめぐる対立の構図」等を調査データに基づいて分析する。そして格差縮小のためには、「格差拡大の事実認識」「自己責任論の打破」「所得再分配の支持」の重要性を説く。5つの階級のなかで最も貧困等の窮状にあるアンダークラスを救い、格差社会の克服に注力せよという。
「感覚所与と意識の対立」「意識と感覚の衝突」「感覚所与を意味のあるものに限定し、いわば最小限にして、世界を意味で満たす。それがヒトの世界、文明世界、都市社会である。・・・・・・意味は与えられた感覚所与から、あらためて脳の中で作られる」「科学とは、我々の内部での感覚所与と意識との乖離を調整する行為である」「動物の意識には『同じ』というはたらきがほとんどない」「ヒトの意識の特徴が『同じだとするはたらき』であり、それで言葉が説明でき、お金が説明でき、民主主義社会の平等が説明できる」・・・・・・。社会と人間存在そのものを「意識(同じにする)と感覚(違う)」から、"意識"して問いかけたらどうか、と語る。「ここまで都市化、つまり意識化が進んできた社会では、もはや意識をタブーにしておくわけにはいかない。そのタブーを解放しよう」という。きわめて根源的で本質的な"遺言"で、随所に立ち止まって考えさせられた。
これからIoT、AIの急進展がある。「生命倫理」「遺伝子操作、ヒトの改造とシンギュラリティー」「人間とは何か」が問われる時代が来る。コンピュータにできるようなことしか人間がやらなければ、人間の社会ではなくなる。
「ヒトは、意識に『同じにする』という機能が生じたことで、感覚優位の動物の世界から離陸をした」が、意識と感覚の対立は、ともすると「意識が感覚より上位」だという近代化と呼ぶ社会的システムに傾斜する危険性をもつ。「都市は意識の世界」であり、「意識は自然を排除」する。
そして「実生活の中で感覚を復元する。これもむずかしい世の中になった。効率や経済、つまり便宜やお金で計れば、感覚は下位に置かれる」という。デジタル、ロボットには生老病死はない。人間と社会のその根源的仕組みを問いかける叡智の"遺言"。
日本の歴史を、時代ごとに切って分析したり、人物や事件を中心に考えることは多い。本書は古代から近世・近代までを7つのテーマを選んで歴史の大きな流れをつかもうとする。天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済の7テーマだ。実に興味深い。
「ヤマト王権の日本ブランドの創生と白村江ショック」「天皇家が経済力を保つ"職の体系"」「日本の危機と天皇」「神道と仏教の併存と明治の廃仏毀釈」「土地システムが武士を生んだ」「富士川の合戦"27万人"は多過ぎる」「川中島、応仁の乱の勝者」「鎌倉っ子・尊氏」「京都人・頼朝が関東武士に支援された訳」「"日本は昔から女性の地位が低かった"は本当か」「家督争いの決め手は母親の実家」「正室と生みの母の地位」「遣唐使廃止の意味」「中国からやってきた銅銭(清盛が輸入した宋の銅銭)」「銭本位制からコメ本位制に後退した徳川体制」・・・・・・。
それぞれが影響し合いながら時代が築かれていく、その底流が浮き彫りにされる。
オルテガやホイジンガに触れ、西部さんの「大衆への反逆」を読んだのが30年以上も前、「死生論」からも20年。今年1月に自裁した西部さんの絶筆の書だけに、言葉は精緻に選び抜かれ、諦観のなかにも激しく、率直に語り、静かに吐く。副題は「JAP.COM 衰滅の状況」――。「今さら歎いても詮無いが、僕が残念至極なのは大東亜戦争の敗北まではかろうじて残っていた日本民族の羞恥心・公平心・正中(的を射ていること)・勇強心がほとんど消滅してしまっている現状を、僕はJAP.COMの『衰滅』と形容したいのである」という。
「自尊・自立――他者や他国に従属することによって安全に生存したとしても、そんな人生や時代の生は、精神的動物としての人間にとって自尊と自立を喪失した果てで空無感や屈辱感をもたらして御仕舞となる」「安全と生存を最高の価値としてきたために戦後日本は(独立と自尊を枯死させ)哀れな民人となってしまった」「瀕死の世相における人間群像――スマホ人・選挙人(朽ちんばかりの病葉の群れ)、いのちの無条件礼賛の『いのち人』、虚言人(言論、世論、ライターのリアリティからの逃走)、法匪人、大量人と模流社会、タダ人、心を亡くす多忙人、エチケット知らずの無礼人、立憲人、根拠なき臆説のメディア人」「社会を衰滅に向かわせるマスの妄動」「近代の宿痾の自由・民主・進歩」「"平和日本とはパワーレス国家"とするのは、児戯にすら及ばない錯乱の国家論だ」「ピープル(一般庶民)の利益を守らんとするポピュリズム(人民主義)とメディアのムードに乗るポピュラリズム(人気主義)の区別すらできていないのが今の民主主義者どものオピニオン」「近代化と大衆化が列島人を劣等にした」「重要なのは国民社会を『公共性の規範』へと繋ぎ止めることであり、自由と秩序の間の平衡としての『活力』、平等と格差の間の平衡としての『公正』、博愛と競合の間の『節度』、合理と感情の間の『良識』だ」・・・・・・。貧しい憲法論議、民主主義の辿り着く先の衆愚、戦後の虚構を、前提から露わにする。