昨年亡くなった世界的なピアニスト・中村紘子さんの直前まで書かれたエッセイ。まさに世界を舞台にした交遊の広さ、文化芸術の深さ、文明や社会への確かな視座、鋭いうえにナチュラルな人間洞察・・・・・・。同世代だが、きわめてドメスティックな自分には異次元の世界に感嘆する。
「音楽の演奏にとって大切なことは、ブレスをとることです。声楽家は肺でとるけれど、ピアニストは手首で呼吸しなければなりません」「時代も、知性と教養を重んじていた世代から、経済優先の価値観に変わりつつあるようにも思えるが、クラシック音楽の世界ではどうだろうか」「名演に飽きた時代への嘆き(ラン・ランの演奏にはそもそも様式や伝統というものを越えた個性と超絶技巧があり・・・・・・音楽のかたちをゆがめてしかもそれが大衆に受けているのを見ると、なんだかピアノを弾くのが虚しくなってくる)」「音楽のちから」「どうも近年、クラシック音楽をはじめとする、いわゆる人間の『成熟度』を必要とする分野に携わる人々の存在感が希薄になってきたように思う。世の中は、政治・経済、そしてスポーツが中心に廻り、芸術文化、特にクラシックはほんのお義理にお飾りのように隅っこの方に参加させて頂いているといった印象だ・・・・・・もてはやされているのは軽チャーであり、未成熟な子供っぽい思考である」「願わくば、文化芸術の偉大さを知り、尊敬に価する優れた知性と豊かな心をもつ政治家こそが、日本の未来を作り上げる中心となって欲しい」「プライドと国家の品格」「大人になりたくない(未成熟を売物とする日本)」・・・・・・。
「ピアニストの冒険は手で始まる」――ピアノ以外で手を使うことのすべては危険な冒険につながり、小中学校で「体育の授業はほとんど見学だった」という中村紘子さん。世界を舞台に真っすぐに走り抜いた人生の境地が率直に語られる。
トランプの登場や英国のEU離脱、分裂の兆しを見せるEUの現状。「今は誰もが驚き、『ポピュリズムだ』『反知性主義だ』とレッテルを貼って安心しようとしている。しかし10年後はどうか・・・・・・グローバリゼーションを時代の必然と盲信して突き進んだ人々が、現実によって復讐される悲劇となる」――。世界経済の一体化がかつてない規模で進み、グローバリゼーションは必然、自明のものとされてきたかのように思うが、ポラニーが指摘しているようにそうではない。その流れのたびに世界秩序は大きく動揺し、そのなかで国家の主権が強化され、国内の社会基盤が整備され、軍事や福祉・社会保障の仕組みが強化されていく。その事実と歴史的文脈を見よ、という。
「ポピュリズムの定義は、条件が2つあって、1つは大衆迎合主義で、もう1つの条件は反グローバリズム」「愚かな民衆はグローバリズムが利益となることを知らないんだ、という文脈でポピュリズムという用語が使われるが、"ものがわかっているエリートvs.わかっていない民衆"という構図は大間違い」「戦後の平和と繁栄は、戦前のグローバル化を踏まえて、貿易や資本移動に制限を加えたおかげ。疎外される人がぐんと減って、平和で豊かになった」「今、起きているポピュリズムは戦前のファシズムと同じと考えるのではなくて、いったんは形成された中間層が崩れたことで生じた不満の爆発だ」「今のアメリカには労働者と富裕層の分断、金融業に関わる人々と製造業に携わる人との分断、ウォール街とラスト・ベルトの対立がある」「英国のEU離脱は主権の回復運動」「"自由貿易が戦後の教訓"は嘘」「近代合理主義は不確実性を克服できない。だからこそ政治が必要だ。政治学というのは不確実性のアートだ」「理論が示す確実性の世界と、現実の不確実性の世界を橋渡しするのが知性のあるべき姿。大衆も政治家も学者も、不確実性に対する忍耐力とかプラグマティズムを失っている」・・・・・・。今の時代に激しく切り込む。
「構図が変化し始めた国際情勢」が副題。とくに東アジア情勢は北朝鮮の核・ミサイル開発、トランプ政権の誕生などから米朝緊張のなかにある。米中露、そして日本、韓国はどう動くか。自国の位置と役割を冷静かつ立体的、戦略的に考え対応しなければならない。しかも英国のEU離脱、米国のトランプ現象、日本も含めてポピュリズムに巻き込まれ、政治指導層の劣化が顕在化している、と宮家さんは懸念する。
南シナ海、中東・・・・・・。危機感が本書から迫ってくる。だからこそだと思うが、きわめて丁寧に、人類の歴史と戦争を説き起こし「力の空白・真空」という概念を使って、危機とそのプレーヤーのあり方を分析する。
国際関係論の主流は「勢力均衡」理論だが、動体視力を駆使しなければならない今、「力の空白・真空」という概念を出す。そして「『大真空』とは、一般現象としての『空白・真空』ではなく、『権力が行使されない』状態が、『数か月から一年程度の比較的短い期間内に生じ、それが政治的、軍事的に大きな影響を周辺に及ぼすような状態』だ」と定義する。
「国際社会と日本がなすべきこと」「日米韓で朝鮮半島の『力の大真空』を埋める」「南シナ海で柔軟かつ積極的に果たす役割」・・・・・・。
構造的分析から重要な提起がされている。
大正デモクラシーから昭和の戦前・戦中に生き抜いた人々。とくに最も精神の抑圧された1930年~45年の「暗い時代」に「精神の自由」を掲げて戦った人々を描いたという。それは「良心的な文化運動なども圧迫されがちで、軍国主義的色彩は強くなるばかりの時代」「『人権の尊重』『言論の自由』などと説くと、危険思想と言われた暗い時代」「窮屈で、貧しく人が死んでいく時代」であった。
日本人9人の生涯が描かれる。「粛軍演説」「反軍演説」の斎藤隆夫、社会主義運動と女性運動に奔走した山川菊栄、生物学者をめざし、社会運動家として活躍した山本宣治(山宣)、アメリカで恐慌をベルリンでナチスの台頭を見た竹下夢二、日本で初めての婦人の社会主義団体・赤瀾会の創立メンバーで産児制限運動と労働運動に奔走した九津見房子、京都で反ファシズム雑誌を作り支えた斎藤雷太郎と立野正一、マルクス主義哲学者・古在由重、終生のわがまま者にしてリベルタン・西村伊作だ。
世界史の激流と思想の激突、社会の底で苦悶する民衆、女性と権力の弾圧・・・・・・。短編であるがゆえに血がにじみ鮮烈だ。