自らの責任で難問に断を下す裁判官の苦悩は、社会が複雑化してさらに深まる。「自らの夫婦関係にも悩む女性裁判官のもとに、信仰から輸血を拒む少年の審判が持ち込まれる」というテーマを、英国を代表する作家・マキューアンが描く。時間が切迫し、人命を急ぎ救えと主張する病院側。信仰で救われた家族はそれを拒む。少年は自らの判断をはたして持ち得るのか。裁判官は何に基づいて断を下せるのか。
生命、倫理、社会条理、幸福、法、成年・未成年とは、生きる意味とは・・・・・・。人類永遠の課題にも、一瞬の結論を下さねばならない裁判官。緊迫した状況を深く抉りながら精緻に描き出す。煩悶の結果として、裁判の結論も物語の終結も予想どおりだが、生きたときに「信仰をなくしたとき、世界はどんなひらかれた、美しい、恐ろしい場所に見えたことだろう」「アダムは彼女に期待して来たが、彼女は宗教に代わるなにひとつ、なんの保障もあたえなかった」という更なる深渕に引き込まれる。
我々の若い頃、難しいドストエフスキーの高い山に登攀することは誇りある挑戦だった。辻原登さんも同年代。しかも辻原さんは"ドストエフスキー嫌い"を公言し、あの「大審問官」にしても「いろいろな哲学者や批評家たちが、この大審問官の話というのを大袈裟に論じていますが、実はそんなに深い話ではないし、福音書を深く読んだ方がよほどいいと思う」という。ドストエフスキーの世界観、人物、作風、クセ、時代性等を含め、小説の中身を徹底的に読み込み、解き明かしているからこそ言える言葉だ。
難解であり、場面を心理も含めて立体的に建ち上げて詳細に語り、しかも未完であるがゆえに「カラマーゾフの兄弟」は重苦しいが、本書で暗雲を払うように解読してくれてきわめて面白い。「『カラマーゾフの兄弟』を『要約』する」「『カラマーゾフの兄弟』を深める」「亀山郁夫×辻原登 文学の『時代』と『時間』」「ドストエフスキーを貫く『斜めの光』」――。朝日カルチャーセンターでの「連続講義」。まさに「面白い(目の前がパッと開ける)」思いがした。
「共生社会」が叫ばれるが、背景には中間層の凋落、分断社会の進行、コミュニティの崩れ、支え合いが難しくなっているからだ。「支える側」と「支えられる側」に分かれるのではなく、地域住民が支え合いながら自分らしく活躍できるコミュニティ形成は重要だが、難題だ。
今、「現役世代の低所得化と未婚化」「困窮の連鎖と子どもの貧困」「高齢世代の"再困窮化"」等が進行して、しかもこれらが複合して貧困と孤立が顕在化している。深刻な、かなり本質的事態だ。宮本さんのいう「生活保障」は「雇用と社会保障」を合わせて考える提言だが、従来の「支える側」と「支えられる側」を峻別してきた2分法的な日本の社会保障を、複合的に解決への道をつけるということだ。「強い個人」でいる間に「弱い個人」に転ずるリスクに備えるという20世紀型、2分法的な社会保障制度を変える試みだ。雇用と社会保障・福祉の連携は必須であるが、雇用の劣化、非正規問題、未婚化、孤立化の連鎖と困窮の三世代化に具体的に対応しなければならない。支える側の「強い個人」が標準となりえない時代、身体的には高齢者イコール「弱い個人」ではないといえる時代を迎えたのだ。
そこで提起される共生保障とは、「支える側」を支え直す。職業訓練や子育て支援、就学前教育等だ。「支えられる側」も社会参加、就労支援を促し、より多くの人が「支え合いの場」に参入できるようにする。まさに共生保障は、多様な困難を抱える多数の人々を、社会につなぎ能力を発揮することを可能にする仕組みである。
社会保障の普遍主義的改革が重要だが、現実には「財政的困難」「自治体の制度構造」「中間層の解体」の構造的ジレンマに制約されており、これを突破する具体的対策を進める必要がある。「強い個人」が中間層の縮小とともに減少し、「弱い個人」が増大する今日、中間層の不安や怒りをポピュリズムで対処するのではなく、断層をふさぐ共生保障の政治が期待されている。
大学でヨット部だった6人。照明デザイナーの村雲佑をキャプテンとするクルーたちは、資金を工面してエオリアン・ハープ号を買い、翌年のゴールデンウィークに開催される外洋レースの参加を決める。小笠原諸島の近くの三日月島をスタートして江ノ島でフィニッシュするレースだ。ヨットに魅せられた6人とその家族や恋人等の日常生活はそれぞれ異なる。家や職場を離れることも多く特異でもある。
「幸せとは何だろう」――。風、波、太陽、星など大自然を呼吸するクルーたちの至福が伝わってくる。「本当に好きなことを見つけて夢中な人は幸せだからあんなに楽しそうだし、幸せだから他人に寛容なのだと思った」「命のある誰かを生きがいにしてはいけない・・・・・・」「これまで旅立てなかったのは、心に刻んだ情景を一緒に見たい人がいなかったからだと気づいた」・・・・・・。
しかし、レース直前、突然の破局が訪れる。核攻撃によって東京壊滅。自然のなかでの人間の日常生活の安寧の対極の事態。「我々がやってきたことの報いだな・・・・・・歴史にも学ばず、警告にも耳を貸さず、現実に起きていることに目を閉ざしてきた、その結末ということか」「結局、我々は『よりよいこと』を選択せずに、可能性を遮断し、ここまで来てしまったのだ」との警告が響く。