妻から別れ話を切り出された36歳の肖像画家の「私」が、東北・北海道をさ迷った後、友人の父親である著名な画家のもつ小田原郊外のアトリエで一人で暮らすことになる。そしてその屋根裏に隠されていた絵画「騎士団長殺し」を発見する。また谷を隔てた向かい側の山の豪邸に住む免色という男や、尾根続きの山にある家に住む中学生(秋川まりえ)とその叔母(笙子)との交流が始まるが、不可思議な出来事が次々起き始め巻き込まれていく。
「眼前に広がる現実と人間の意識が、深層から湧出した一部の表層であること」「人であることの中核を成すものは何か」を、肖像画をモチーフにイデアと称する騎士団長等や、アトリエ裏の雑木林で発見される不思議な穴(石室)などによってきわめて精妙に語っていく。この世界と異界、有無を越え有無に偏する生命実相、主体と客体とその依正不二の相、夢と現実との境界と交流・交差、意識とその深層の未那識・阿頼耶識・九識からの湧出、イデアと心中の善悪、人間変革の機縁等々を、切れ目なく描く。サスペンスと人間存在の哲学性と芸術・文化の絶妙なコラボレーションと洗練された緻密かつ甘美な描写に引き込まれる。難題への挑戦と深さにおいてドストエフスキーの世界を想起したが、重苦しくないのは善人たちの登場と、穏やかな結び、柔らかな曲線的表現であるがゆえか。
社会も技術も大変革の時代、変化激しき時代だ。IoT時代、AIの進展、パリ協定の発効。世界は再生可能エネルギーを急速度に導入しなければ、2050年を迎えられない。再生エネルギーが急増した場合、現在の電力系統は十分ではない。エネルギーの地産地消、住宅でも太陽光発電、外断熱などゼロエネ住宅、スマート住宅、ひいてはスマートウェルネスシティが目前の課題となる。スマートグリッドは重要だが、デジタルグリッドは電気系統の周波数や電圧をはじめとする電気的な制約を取り払って、しがらみなしに電気を自由に取引する仕組みで、東大技術経営戦略学専攻特任教授の阿部力也氏が研究、実証試験がスタートしている。
「従来の電力系統に加え、自営線による多重受電網をもつセルグリッドを無数に構築する。セルの中では多種多様な再エネ技術が開発され、太陽由来のエネルギーをふんだんに取り込み、さまざまな電力パケットとその派生物が取引される。既存の電力系統は、自立するセルと協調して、ベストエフォートなシステムとなり、総合的には高い信頼性をもたらす。メッシュ構造の電力ネットワークで膨大な電力取引を実現しつつ、最終的には日本の電力系統の再エネ比率を80%まで高めることを実現する」と数十年後の実現めざし、結んでいる。
第1話「夢を実現する」はイチローの話から始まる。「人の心に光を灯す。それは自分の心に光を灯すことでもあるのだ」「人は誰でも無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである」「自分を育てるのは自分。・・・・・・自分は自分の主人公。世界でただひとりの自分を創っていく責任者」「感動は人を変える。笑いは人を潤す。夢は人を豊かにする。感動し、笑い、夢を抱くことができるのは、人間だけである」「難病に次々襲われた作家・三浦綾子さんの幸福論」「新しい時代に適った夢と志を実現する。"歴史創新"とはこのことである。そして夢と志を実現しようとする者に、天は課題として困難を与え、試すのではないか。"歴史創新"の人に共通する条件を1つだけ挙げれば、それは困難から逃げなかった人たち、困難を潜り抜けてきた人たちだ」・・・・・・。
片岡鶴太郎さんの挿絵がまた素晴らしい。
新渡戸稲造の「武士道」は、武士道そのものを解説したものではない。明治維新以来、欧米の文明と文化が流入し、「日本人とは何か」が問われる。日本人のあらぬ誤解が世界に流出する。そうした時代、たぐいまれな語学力と人格と行動力をもった新渡戸稲造は、本書副題にある「愛国心と国際心」をもって「日本の道徳思想文化論」として、世界に「日本と日本人の考え方・行動を支配する倫理道徳思想」を発進した。「日本はキリスト教国ではないが、野蛮な国ではなく、欧米に劣らぬ倫理道徳観をもち、礼儀をわきまえた文明国である」ことを知らせようとした志をもっての「発進者」であった。
「道徳とは人間の完成」「教育の目的は人格の完成」「平等は人格の平等ではなく、物質的平等の意味にまで堕落した」「デモクラシーは国の形態ではなく、国の品性、もしくは色合いである」「ノブレス・オブリージュ」「和を以て貴しとなす」・・・・・・。
1862年(文久2年)に盛岡で生まれ、1884年(21歳)で海外に出て、アメリカやドイツで学び、アメリカ人女性(メリー・エルキントン)と結婚、母校の札幌農学校で教鞭をとり、37歳の時に「武士道」を書く。第1高等学校、東京帝国大学、植民政策の第一人者でもあり、ジュネーブの国際連盟では初代事務次長。「排日運動はアメリカの建国理念に反する」として激しい論陣を張る一方で、満州事変では軍部の暴走を批判するとともに中国の主張にも真っ向から反論――。1933年(昭和8年)カナダで亡くなるまで、日本の思想・文化の世界への発進者としての道を貫いた。
十年前、京都で学生時代を過ごした仲間6人が、鞍馬の火祭りを見に行く。そこで仲間の1人、長谷川さんが忽然と姿を消す。そして5人は10年ぶりに鞍馬の火祭りに集まり、1人ずつ旅先で出会った不思議な体験を語る。いずれも岸田道夫という画家の「夜行」という絵画に関係したものであった。舞台は「尾道」「奥飛騨」「津軽」「天竜峡」「京都・鞍馬」――。何が真実で、何が夢想なのか。不思議な異界が語られ、夜の闇の世界に引き込まれる。
私の学生時代の京都、とくに故郷の飯田線やその奥・天竜峡。きわめてよくわかる。人のほとんどいない暗い闇とポッと灯る光。たしかに人の一生、喧噪のなかの今の自分、人の幸せ等々を考えさせられる時空だった。長い夜、暗い静寂な世界、日常を脱した異次元の世界に引き込まれ、時空を超えた瞑想、夢、妄想の世界に入ることができる。無意識のなかに沈んだ末那識、阿羅耶識への旅を開示してくれている。