世界は競争激しいIoT、AIの時代。昨年9月のG7交通大臣会合でも第1のテーマは「自動運転」。世界の自動車業界のみでなく、IT業界をも含めて熾烈な技術戦争、ビジネス戦争の真っ只中にある。ハイブリッドカーは既に現実の過去となり、電気自動車、水素自動車の激烈な競争も可視化された現実だ。
この20年、巨大自動車企業"トヨトミ"は、世界の中で"戦う"トヨトミであり、日本経済の推進力だが、そこには現場で汗と涙で結束して正面突破してきた強靭さがあった。剛腕の武田剛平、プリンス豊臣統一を軸に、危機感と突進力が描かれる。「血が勝つか、汗が勝つか」などではない。創業の精神は組織の底力だ。日本経済の柱・巨大企業は10年後、20年後を凝視し、世界で勝たねばならない。
副題は「戦後世代の覚悟と責任」。我ら団塊の世代のことだ。1966年、日本の人口は1億人を超えた。その時、65歳以上の高齢者は約700万人。これから30年後の2040年代後半には人口減少によって1億人になるが、高齢者はなんと4000万人。選挙の投票率を考えると、高齢者の投票数の方が多くなり、「老人の老人による老人のための政治」となりかねない。その1966年には1人当たりのGDPが1000ドルを突破、1981年には1万ドルを超え、今は為替変動もあって4万ドル弱となっている。世界を見ても、トランプもヒラリーも団塊の世代。戦後70年、貧しきなかで自由と民主主義を確立し、「坂の上の雲」を見てきた団塊の世代が行き着いたのが、「英国のEU離脱」「トランプ現象」「新自由主義とリフレ経済学の複雑骨折」「マネーゲームと株高礼賛」「国際関係の緊張と脅威」「民主主義の軽さと国家主義への誘惑」「反知性主義的ポピュリズムの跋扈」という、荒涼たる光景だと指摘する。私生活主義と経済主義を身につけ、戦後日本の真ん中を生きてきた団塊の世代は今、後世に何を引き継ぐかが問われている。
「アジアの安定軸としての敬愛される成熟した民主国家」「日本・米国・アジア関係の再設計」「マネーゲームではなく、実体経済を直視し、産業を育てることによって国民経済を豊かに、かつ分配の公正を実現すること」「多世代共生、参画、多元的価値をもって幸福な高齢社会を実現」「孤立し暴走する高齢・単身の都市郊外中間層を再生する試み(食と農の都市再生シルバー事業)」などを提起し、シルバーが貢献する新たなデモクラシーへの旗を掲げる。
「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」「資本主義の終焉と歴史の危機」等々の著作に続いて、「株式会社の終焉」を示す。こうした歴史を俯瞰し今日を見た時、バブルの多発、英国のEU離脱、米国でのトランプ誕生、そして日本のマイナス金利も企業の内部留保金の積み上がりも、その潮流のあがきなのか。「現在の21世紀は、成長の積み重ねの上にあるわけではない。成長を目指せば目指すほど、21世紀の潮流とずれてしまう」「成長がすべての怪我を治すのではない」という。
「近代資本主義の"より速く、より遠く、より合理的に"を見直し、株式会社の終焉をしっかり見つめながら"よりゆっくり、より近く、より寛容に"という中世の原理に今一度立ち返ってみることが必要だ」という。GDPの三要素「技術進歩、資本量、労働量は、すでに成長に貢献していない。技術進歩が成長に寄与しなくなったのは、売上増以上に研究開発費などのコストがかかるようになってきたからだ。労働量、すなわち人口が減少するのは、家計の収入増以上に教育費がかかるようになったからだ」と指摘。労働分配率の是正と内部留保金の是正などのステップを示す。国も企業も「消費者があれもほしい、しかも早くほしい」という時代ではなくなっていることを見て、近代システムのベースとなっている思考自体を変えよ、近代はみずから反近代を生むようになったという。