大きな時代・社会の変革期。哲学的にこれをどう捉えるか。「問題の所在は」「いかなる意味をもち、最終的に何をもたらすか」――哲学的に考えるとは「根源的に」「トータルに」「広い視野と長期のスパンで」「人間の生老病死から」意味を問うことだ。
とくに2つの革命――IT革命(ポスト人文主義)とBT革命(バイオテクノロジー、ポスト人間主義)。それはルネサンス以降の近代社会のヒューマニズム(書物の時代と人間の時代)に根底的変革を迫ることになる。
「ポストモダン以降、哲学はどこへ向かうのか」「言語論的転回、メディア・技術論的転回、実在論的転回、自然主義的転回とは何か」「IT革命は人類に何をもたらすのか」「人工知能が人類にもたらすもの」「バイオテクノロジーは『人間』をどこに導くのか」「クローン人間・再生医療・神を殺した人間」「資本主義と格差・自由・グローバル化」「近代は"脱宗教化"の過程だったが、宗教は滅びるか、捨て去ることはあるか」「人類と地球環境、環境保護論の歴史的地位」・・・・・・。問題の所在、見取り図を、世界の知識人・哲学者の主張を整理・紹介しつつ示す。
副題は「ダボス会議が予測する未来」。IoT、AI、ロボット、シェアリング・エコノミー、インダストリー4.0、第四次産業革命・・・・・・。社会の激変のなか、ダボス会議の創設者として世界の政治・経済を観察してきた著者が、その衝撃と未来を解説する。
今、進行中の第四次産業革命が経済や企業、地政学、国際安全保障、地域、都市等、社会に多様な影響を及ぼすことは明らかだ。少数の"スター"に桁外れの報酬をもたらし中間層を脱落させることで、雇用環境を激変させる不平等拡大、労働コミュニティ・家族・アイデンティティ破壊への脅威、経済指標の変質(モノの移動や量的指数から低価格・効率向上の経済指標への変化)、国際安全保障を一変させるサイバー戦争・ロボット戦争等の脅威・・・・・・。大切なのは、それらの大激変を見すえての「人間を中心に据えた、人間が優先される未来をつくる意思」「イノベーションと技術の中心に人間性と公益追求を据えて持続可能な発展を実現させること」だという。そのためには、複雑化、細分化、高速化されるハイパーコネクティビティ社会におけるリーダーには「状況把握の知性(精神)」「感情的知性(心)」「啓示的知性(魂)」「物理的知性(肉体・胆力)」がますます重要だと指摘する。
最後に付け加えられている具体的な事象、「ウェアラブル・インターネット」「ユビキタスコンピューター」「IoT」「住宅・都市」「自動運転」「ビットコインとブロックチェーン」「3Dプリンターと製造業・健康・消費財」「デザイナーベビー」などについてティッピングポイントと2025年までの予想が付加されており、興味深い。流れは速い。
いまや"ガン"以上に"認知症"になったという衝撃は大きい。厚労省によれば、2012年の日本の65歳以上の認知症有病者は推計約462万人、2025年には約700万人で、高齢者の5人に1人が認知症の患者になるという。
認知症は"病名"ではなく"症状"。アルツハイマー病や脳血管障害、レビー小体型、前頭側頭葉変性症(ピック病ほか)といった原因となる疾患があり、それによって言語をはじめとする認知機能が低下・喪失し、生活力が失われた状態が続く"症状"だ。だから「治せるもの」と「治せないもの」があり、早期発見が大切となる。「ケアの最適化」と「薬の最適化」が重要であり、家族の「マネジメント力」によって改善の可能性のあることを指摘している。多量の薬を服用する「多剤併用」や「残薬」の問題点にも現場から厳しく迫る。「ケアと薬の『最適化』が症状を改善する」が本書の副題だ。
高瀬さんは、在宅医療を中心とした「たかせクリニック」を立ち上げ、現在は約350人の認知症の患者を診ている。認知症治療の最前線を、患者と家族に寄り添って具体的なあり方を提唱している。
妻から別れ話を切り出された36歳の肖像画家の「私」が、東北・北海道をさ迷った後、友人の父親である著名な画家のもつ小田原郊外のアトリエで一人で暮らすことになる。そしてその屋根裏に隠されていた絵画「騎士団長殺し」を発見する。また谷を隔てた向かい側の山の豪邸に住む免色という男や、尾根続きの山にある家に住む中学生(秋川まりえ)とその叔母(笙子)との交流が始まるが、不可思議な出来事が次々起き始め巻き込まれていく。
「眼前に広がる現実と人間の意識が、深層から湧出した一部の表層であること」「人であることの中核を成すものは何か」を、肖像画をモチーフにイデアと称する騎士団長等や、アトリエ裏の雑木林で発見される不思議な穴(石室)などによってきわめて精妙に語っていく。この世界と異界、有無を越え有無に偏する生命実相、主体と客体とその依正不二の相、夢と現実との境界と交流・交差、意識とその深層の未那識・阿頼耶識・九識からの湧出、イデアと心中の善悪、人間変革の機縁等々を、切れ目なく描く。サスペンスと人間存在の哲学性と芸術・文化の絶妙なコラボレーションと洗練された緻密かつ甘美な描写に引き込まれる。難題への挑戦と深さにおいてドストエフスキーの世界を想起したが、重苦しくないのは善人たちの登場と、穏やかな結び、柔らかな曲線的表現であるがゆえか。