ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの名作(2006年刊行)。主人公はキャシー・H、そして生まれ育ったヘールシャムの施設で共に暮らした親友のルースやトミー。キャシーの回想で語られるが、静かに冷静に、自分と回りの人々の心の動き、感情と抑制が丁寧にキメ細かに描かれる。そこから伝わってくる切実さや切迫感は、外部の社会と遮断されたヘールシャムの特殊性を背景にしているからこそだ。
「ヘールシャムとは何か」「わたしを離さないで、とは何か」が常に基調音としてある。クローン人間、遺伝子工学のとめどもない進展、臓器提供・・・・・・。それをクローン人間の側から苦しみ、アイデンティティー欠如の底深い不安、人間に使われるというひどい"使命"、生命倫理。それらに現実の残酷さから迫るがゆえに、思考回路はどんどん「科学と宗教と哲学」に突き進み、運命のやりきれなさへと誘う。
キャシーらは、過剰なほど相手を思いやるがゆえに、提起される問題は、深く、悲しい。
昨年亡くなった世界的なピアニスト・中村紘子さんの直前まで書かれたエッセイ。まさに世界を舞台にした交遊の広さ、文化芸術の深さ、文明や社会への確かな視座、鋭いうえにナチュラルな人間洞察・・・・・・。同世代だが、きわめてドメスティックな自分には異次元の世界に感嘆する。
「音楽の演奏にとって大切なことは、ブレスをとることです。声楽家は肺でとるけれど、ピアニストは手首で呼吸しなければなりません」「時代も、知性と教養を重んじていた世代から、経済優先の価値観に変わりつつあるようにも思えるが、クラシック音楽の世界ではどうだろうか」「名演に飽きた時代への嘆き(ラン・ランの演奏にはそもそも様式や伝統というものを越えた個性と超絶技巧があり・・・・・・音楽のかたちをゆがめてしかもそれが大衆に受けているのを見ると、なんだかピアノを弾くのが虚しくなってくる)」「音楽のちから」「どうも近年、クラシック音楽をはじめとする、いわゆる人間の『成熟度』を必要とする分野に携わる人々の存在感が希薄になってきたように思う。世の中は、政治・経済、そしてスポーツが中心に廻り、芸術文化、特にクラシックはほんのお義理にお飾りのように隅っこの方に参加させて頂いているといった印象だ・・・・・・もてはやされているのは軽チャーであり、未成熟な子供っぽい思考である」「願わくば、文化芸術の偉大さを知り、尊敬に価する優れた知性と豊かな心をもつ政治家こそが、日本の未来を作り上げる中心となって欲しい」「プライドと国家の品格」「大人になりたくない(未成熟を売物とする日本)」・・・・・・。
「ピアニストの冒険は手で始まる」――ピアノ以外で手を使うことのすべては危険な冒険につながり、小中学校で「体育の授業はほとんど見学だった」という中村紘子さん。世界を舞台に真っすぐに走り抜いた人生の境地が率直に語られる。
トランプの登場や英国のEU離脱、分裂の兆しを見せるEUの現状。「今は誰もが驚き、『ポピュリズムだ』『反知性主義だ』とレッテルを貼って安心しようとしている。しかし10年後はどうか・・・・・・グローバリゼーションを時代の必然と盲信して突き進んだ人々が、現実によって復讐される悲劇となる」――。世界経済の一体化がかつてない規模で進み、グローバリゼーションは必然、自明のものとされてきたかのように思うが、ポラニーが指摘しているようにそうではない。その流れのたびに世界秩序は大きく動揺し、そのなかで国家の主権が強化され、国内の社会基盤が整備され、軍事や福祉・社会保障の仕組みが強化されていく。その事実と歴史的文脈を見よ、という。
「ポピュリズムの定義は、条件が2つあって、1つは大衆迎合主義で、もう1つの条件は反グローバリズム」「愚かな民衆はグローバリズムが利益となることを知らないんだ、という文脈でポピュリズムという用語が使われるが、"ものがわかっているエリートvs.わかっていない民衆"という構図は大間違い」「戦後の平和と繁栄は、戦前のグローバル化を踏まえて、貿易や資本移動に制限を加えたおかげ。疎外される人がぐんと減って、平和で豊かになった」「今、起きているポピュリズムは戦前のファシズムと同じと考えるのではなくて、いったんは形成された中間層が崩れたことで生じた不満の爆発だ」「今のアメリカには労働者と富裕層の分断、金融業に関わる人々と製造業に携わる人との分断、ウォール街とラスト・ベルトの対立がある」「英国のEU離脱は主権の回復運動」「"自由貿易が戦後の教訓"は嘘」「近代合理主義は不確実性を克服できない。だからこそ政治が必要だ。政治学というのは不確実性のアートだ」「理論が示す確実性の世界と、現実の不確実性の世界を橋渡しするのが知性のあるべき姿。大衆も政治家も学者も、不確実性に対する忍耐力とかプラグマティズムを失っている」・・・・・・。今の時代に激しく切り込む。
「構図が変化し始めた国際情勢」が副題。とくに東アジア情勢は北朝鮮の核・ミサイル開発、トランプ政権の誕生などから米朝緊張のなかにある。米中露、そして日本、韓国はどう動くか。自国の位置と役割を冷静かつ立体的、戦略的に考え対応しなければならない。しかも英国のEU離脱、米国のトランプ現象、日本も含めてポピュリズムに巻き込まれ、政治指導層の劣化が顕在化している、と宮家さんは懸念する。
南シナ海、中東・・・・・・。危機感が本書から迫ってくる。だからこそだと思うが、きわめて丁寧に、人類の歴史と戦争を説き起こし「力の空白・真空」という概念を使って、危機とそのプレーヤーのあり方を分析する。
国際関係論の主流は「勢力均衡」理論だが、動体視力を駆使しなければならない今、「力の空白・真空」という概念を出す。そして「『大真空』とは、一般現象としての『空白・真空』ではなく、『権力が行使されない』状態が、『数か月から一年程度の比較的短い期間内に生じ、それが政治的、軍事的に大きな影響を周辺に及ぼすような状態』だ」と定義する。
「国際社会と日本がなすべきこと」「日米韓で朝鮮半島の『力の大真空』を埋める」「南シナ海で柔軟かつ積極的に果たす役割」・・・・・・。
構造的分析から重要な提起がされている。
