副題は「歴史を決めた交渉と日本の失敗」。まさに戦争に至るまで、「かつて日本は、世界から『どちらを選ぶか』と三度、問われた」として、「リットン調査団と報告書」「日独伊三国同盟」「戦争前夜である日米交渉」の三つの交渉、「選択」を浮き彫りにし、詳説する。そしてこの歴史の転換点において、問題の本質が正しいかたちで選択肢に反映されていたかを問いかける。
リットン報告書は、当時の報道でいう「中国側の主張を全面的に支持していた」ものではなく、「世界への道」を提示し、日本にも配慮したものであったこと。「その時、為政者はなにを考えていたのか」を示す。三国軍事同盟は「なぜ、ドイツも日本も急いだのか」「"バスに乗り遅れる"から結んだのではない」「日本が牽制したかったのはアメリカではなく、アジアへ回帰してくるドイツ。戦勝国ドイツを封じ、敗戦国の植民地を獲得するため」等々、分析する。日米交渉では「日米交渉の裏にある厚み」「ハル・ノートで罠にはめられた?」「駐米日本大使館員の勤務怠慢による対米通告の遅れという神話」「日本はなぜアメリカの制裁を予測できなかったか」「アメリカの失敗」などが示される。
そして、「相手国の社会の基本を成り立たせている基本的秩序=憲法にまで手を突っ込んで、書き換えるのが戦争」「戦争に賭けた日本は、何に敗けたのか」「日本が望んでいた社会の基本秩序と、アメリカが望んでいた社会の基本秩序の差違」等が示され、「GHQ憲法草案、日本側草案段階にも『平和』は、入っていなかった」ことを明らかにする。
「選択」はきわめて難しい決断であることは私自身感じていることだが、そのためには問題が正しく提起されることが重要だ。改めてそのことを感じさせてくれた本だ。
1853年のペリー浦賀来航から幕末――。日本を取り巻く外交環境は激しかった。アヘン戦争(1840~42年)を起こしたイギリスは1857年のインド大反乱(セポイの乱)に苦闘しながらもインドでの覇権を確定、1860年にはアロー戦争(第二次アヘン戦争とも。1856~60年)で北京を占領、その勢いは日本を震撼させていた。ペリー来航以来、アメリカは開国への強い行動を起こしていたが、1861年には南北戦争に突入する。イギリス・フランスとロシアの戦いであったクリミア戦争(1853~56年)は、極東においてもロシア艦隊とイギリス艦隊がぶつかり合い、アロー戦争では清とイギリス・フランスの講和にロシアは介入、広大な領土を清国から得た。当然オランダの力もある。米、露、蘭、英――攘夷・開国高まる日本のなかで、どの国と結び外交を展開するか、幕府内でも主張は乱れ、親米一辺倒の井伊直弼など親英・親米・親露が激しく対立した。
そして1861年、ロシア艦隊・ポサドニック号の対馬占領事件が起きる。小栗忠順の日露同盟論に対し、老中安藤信正は親英路線を立て対立する。安藤信正、水野忠徳ラインが指名したのが勝海舟だと著者は見る。勝海舟、横井小楠は、道義を説き、かつ全島民を失うともどちらの国にも対馬は渡さないとの断固たる覚悟に立っての外交を行う。
列強のバランス・オブ・パワーを利用して、イギリスにもロシアにも対馬を取らせない――。「外交の極意は、誠心正意にある」と言う勝海舟のギリギリの攻防を、文献を精査して浮き彫りにする。
憲法論議は重厚な論議でなくてはならない。2000年、国会に憲法調査会ができた時、「憲法を論ずることは国の形を論ずること」という共通の思いがあった。
本書の帯には、「気鋭の法学者がわかりやすく解説した入門に最適の一冊」とある。「さまざまな法律がある中で、憲法は、国家の失敗を防ぐための法律だ。・・・・・・今こそ、憲法に記された先人たちの知恵に学ぶべきだろう」という。
「日本国憲法と立憲主義」「人権条項を活かす」「『地方自治』は誰のものか」の各章と対談がある。憲法も時代の進展・変化のなかで見ていかなければならないのは当然だが、地盤の動きやすい上層を削り、確固たる固い岩盤がどういうものか。それを常に考え続ける憲法論議でなくてはならないことを感ずる。
明治天皇は明治元年(1868)10月、東京に入り江戸城は皇城と改称された。その時17歳。そして明治45年(1912)7月、崩御される。渋沢栄一、阪谷芳郎市長ら東京の政財界の人々は「神宮を帝都に創建すべし」と動き始め、またたく間に巨大なうねりとなった。しかし、東京には針葉樹は育たない。
林学者として反対していた本郷高徳らは、造営が決まるや胆を決める。「かくなる上は、己が為すべきことを全うするだけだ。明治を生きた人間として」「天皇の徳を懐ひ 天皇の恩を憶ひ(漱石の奉悼の言葉)」・・・・・・。全国からの献木10万本、勤労奉仕のべ11万人、完成は150年後。大事業が始まった。
"明治を生きた人間"は何を考えたか。人々は何ゆえに天皇を尊崇し、神宮を造営しようとしたのか。東京の落胆、焦慮、そして万謝の念。武士の城と日本の求心力。絶対的支配とは異なる万民への「まなざし」と人々の受容と安堵。
「明治という時代は大正になって、ようやく完成したのかもしれない」とのつぶやきが、心奥に伝わる。自らを厳然と律しながら、常に心は民衆に開かれていた天皇――主人公の東都タイムスの瀬尾亮一の思いと行動が描かれる。
「子どもの貧困を放置してしまうと、社会の支え手が減ると同時に支えられる人が増える。そのコストは社会全体で負担しなければならない」「家庭の経済格差が子どもの教育格差を生み、将来の所得格差につながる貧困の連鎖が問題となっている。その貧困の連鎖が及ぼす経済的・社会的影響を具体的な金額として示す。子どもの貧困の社会的損失推計を示す」――。「子供の貧困」は他人事ではない。ジブンゴトとしてできることをやろうと、日本財団 子どもの貧困対策チームがやっていることを紹介しつつ訴える。
OECD諸国における日本の子どもの貧困率(相対的貧困)は、34か国のうち上から10番目と高く、ひとり親家庭の貧困率はワースト一位だ。ひとり親、とくに母子世帯の収入は低く、子どもとの接触も少ない。放置すると「大卒は半減し、中卒は4倍増」「非正規社員や無業者が一割増加」「1人当たりの生涯所得が1600万円減少」「1人当たりの財政収入が600万円減少」「全体で所得が40兆円超、財政収入が16兆円失われる」という社会的損失をもたらすと推計する。1年当たりで換算すると「所得の減少数は約1兆円、財政収入の減少数は約3500億円」という。
「進学率や中退率を改善することで所得が向上する」ということだが、より本質的な子どもの貧困問題は「社会的相続(自立する力の伝達行為)」が歪められることだ。その内容を「金」「学力」「非認知能力(学力等以外の自制心、やり抜く力など)」等を分析し、エリクソンの発達段階的なライフサイクル論を示す。とくに非認知能力の重視、重要性だ。
国の取り組み、足立区など各自治体の取り組みとともに、NPO等の取り組みを紹介している。待ったなし、今やるべき重大問題だ。