保活――。妊娠中から保育所に入れるかどうかに一喜一憂、「保育所に入れるか」「働き続けられるか」という不安を抱えて、書類を整え、見学をし、併願で労力は数倍となる。ゼロ歳から入らないと、育児休業後の見通しが立たない。認可保育所(213万人)、小規模保育や事業所内保育などの地域型保育、そして東京都の認証保育所など認可外保育事業(約20万人)。また幼稚園(134万人)、認定子ども園(32万人)・・・・・・。保育所はかなりふえているが、0~2歳児は待機児童も多く、とくに0歳児保育で保育士不足が深刻化する。副題に「待機児童、保育士不足、建設反対運動」とあるように、問題は複合し、入り組んでいる。
少子化が進展するなかで、保育所は親が働くのを支えるだけではなく、子どもの健やかな育ちを支える場所である。孤独な母親、子育ての不安感が増すなかで、保育所は子育て支援の大事な拠点でもある。保育所の充実・強化策は緊要だが、大人全体の働き方改革自体が重要となる。働きながら子どもを産み育てることが可能となる社会――本書は横浜市副市長としての経験も踏まえ、専門的見地から問題を解き明かしてくれる。そして「待機児童解消へ、8つの提言」をしている。
ここ3年の6つの短篇集だが、いずれもテーマ、中身、心象の変化ときわめて深く心に浸み入る。
「出会いなおし」――。自分自身への自信を損なって、プロになりきれない苛立ちを募らせていた若き女性イラストレーター・佐和田。向上心は強い。そこに出版のパートナーとなるナリキヨさんが、人生の節目に現われる。出会い、別れ、再会、別れ、――。
年をとること、それは「同じ相手に何回も出会い直すということだ。会うたびに知らない顔を見せ、人は立体的になる」――。それが人生の面白いところ。
一転して「カブとセロリの塩昆布サラダ」――。働く女性主婦・清美が、デパ地下で買ったサラダ。何とそのカブがダイコンであったことのクレームと店員の反応、主人の反応・・・・・・。姿が鮮やかに浮かぶ。
「ママ」――。夫の嘘に家を飛び出した妻。悲しみには二つのタイプがある。「重たいかなしみは、じきになれる。やっかいなのは、からっぽのほう。・・・・・・こじらすとよくないことになる」。きわめて印象的な作品。
「むすびめ」――。小学6年で30人31脚で失敗した女性が、15年もトラウマをかかえて同窓会に出る。そこで知った真実・・・・・・。ミステリーのドンデン返しのような結末だが、もっと心に余韻が響く。
「テールライト」――。切迫感ある4つの話。「どうか、どうか、どうか――」。願いで締めくくられる。
「青空」――。朝、目覚めてすぐに思うこと。亡くなった妻が、親子を守る。
6つの短篇、全く異なる自在なる作風に驚き、感動する。
ベンチャー企業とイノベーション――。アメリカを真似て金融制度や企業統治の構造改革を進めてきた日本は、だから停滞しているのではないかと、鋭角的にズバズバ語る。経営論であるとともに、背景として戦後日本の近代化思想論が横たわっていることを指摘する。
「アメリカの開業率は1970年代末と比べて半減している。この40年間、生産性の伸びは停滞している。そして企業の短期主義化が進み、画期的なイノベーションは起きにくくなっている」「日本はイノベーションを起きにくくし、開業率を下げたアメリカの1980年代以降の政策を次々と模倣してきた。いくら構造改革をしても日本で起業が増えず、経済が活性化しないのも当然」という。「アメリカはベンチャー企業の天国ではない。開業率はこの30年間で半減。1990年代は、IT革命にもかかわらず30歳以下の起業家の比率は低下ないし停滞している」「シリコンバレーは軍事産業の集積地。アメリカのハイテク・ベンチャー企業を育てたのは、もっぱら政府の強力な軍事産業育成政策だ」「イノベーションは、そのための資源動員を正当化する理由が必要であり、共同体的な組織や長期的に持続する人間関係から生まれる」「アメリカの1980年代以降の新自由主義的な金融化やグローバル化は、企業の短期主義を助長し、長期的な研究開発投資を忌避し、画期的なイノベーションを生み出さなくなった」「オープン・イノベーションは、企業の短期主義の結果であり、イノベーションを阻害する」「アメリカを模範としたコーポレート・ガバナンス改革を続けた日本は、アメリカ同様、長期の停滞に陥っている」「一般に流布しているベンチャー企業論は、戦後復興期に丸山真男、大塚久雄、川島武宜、桑原武夫などの知識人が広めた"近代化論"の焼き直し」――。
「日本思想史新論」「官僚の反逆」「TPP亡国論」「世界を戦争に導くグローバリズム」などの著書と同様、本質的で鋭角的で激しい。
勝者も敗者も必然の生死一如、何人も宿命から逃れられず世に翻弄されつつ生きる戦国の世。僧でありながら還俗して武人に戻ることを願い、かつ絵師として人の生きる道、正義を考え続けた絵師・海北友松。武人の気魄が込められた絵を描いた友松は、天文2年(1533年)浅井氏家臣として近江に生まれ、慶長20年(1615年)6月2日に没した。享年83歳。戦国時代に生き、その終焉を見届けたような生涯であったが、天才・狩野永徳の死後、晩年は絵師に没頭した。
とくに親しい友が2人いる。1人は明智光秀の家臣であった斎藤内蔵助利三、そしてもう1人は安国寺恵瓊。それだけで波乱万丈が察知されるが、焦点は何といっても本能寺の変。その原因は諸説あるが、本書はそこに美濃衆の信長への怨念・恐怖・反逆が一本線として貫かれている。明智光秀と斎藤内蔵助、友松、縁者・長曽我部元親、信長の妻・帰蝶、そして安国寺恵瓊と毛利・・・・・・。「美濃譲り状の有無」や法華宗と他宗の抗争、それが深層から噴き上げる。勿論、浅井氏の下にあった一族を滅ぼされた友松等の憤りもある。
美しきものを見て描く絵師ではあるが、武士も絵師も修羅の道を透徹して生き抜く覚悟がその心得だ。狩野永徳、長谷川等伯と並び称される海北友松だが、言語絶する歴史の興亡、戦乱を見てきた後の晩年にはじめて絵に専念した。美しきものを超えた武人の魂に迫ったのだ。
建仁寺の「雲龍図」をはじめ大作が多く、息子の海北友雪は、斎藤内蔵助の娘である春日局に引き上げられた。美濃衆と信長との内に秘めた激情を自由に、とてつもない戦国時代をきわめてクリアーに、スピード感をもって描き切っている。
昭和30年、新聞社の文化部記者・司馬遼太郎(32歳)が、本名・福田定一で書いた「名言随筆サラリーマン」という作品。"サラリーマン"がどんどん増えていった時代。中村武志の「目白三平」、源氏鶏太の「立春大吉」、映画でいえば森繁久彌等の「駅前シリーズ」、そしてクレイジー・キャッツの「サラリーマンは気楽な家業と来たもんだ」へと続いていく。野武士が消えて、全ての分野でサラリーマン化していった時、「サラリーマンとは一体何であろうか」と、"野武士記者"司馬遼太郎は"サラリーマン記者"を要請されてアタマを痛める。叛骨心がもたげてくるわけだ。「その苦しみのアブラ汗が本書である」という。
勝負の世界でもある企業人も政治家も記者もいまは"サラリーマン"。古今東西の"名言""箴言"を引用しつつ、"サラリーマン"と"人生"と"人間の幸福"を考えるが、60年たって今読んでも新鮮。合理主義的な管理社会が形成される今だが、やはり人は、生活の安定は確保しつつもロマンティシズムや叛骨、勝負に魅かれるもののようだ。
第2部の「2人の老サラリーマン」「あるサラリーマン記者」は、司馬遼太郎の心が率直に出てとくに面白い。20年ぶりの新刊、32歳司馬遼太郎の人間洞察と筆致に感心する。