賢い人だが大政奉還をし、味方を捨てて逃げ出した臆病者、徳川を滅ぼした逆賊・張本人などと酷評され、失意のなかで長い隠居生活を送った徳川慶喜の後半生とは・・・・・・。たしかに、一切の政治勢力とも無縁の関係を通し、ひたすら狩猟、投網、絵画、能、囲碁、将棋、ビリヤード、そして写真や自転車から自動車まで趣味の世界に生きたようにも見える慶喜だが、沈黙の中に潜んだ真実と心の中はどうであったのか。丁寧に探った興味深い著作。
慶喜が生まれたのは1837年(天保8年)。1867年(慶応3年)10月に政権返上を朝廷に提出、1868年(明治元年)4月に落魄の身となって江戸を去り水戸をへて、静岡で約30年暮らすことになる。そして1913年(大正2年)東京で77年の長い生涯を終える。「天皇政府に反感を抱いていた」「謹慎の意志が強かった」・・・・・・。沈黙していたがゆえに諸説が唱えられるが、「朝敵の縛束に苦しめられ続けた」「朝敵の烙印を押されたことを深刻に受け止めた」と家近さんはいう。そして勝海舟・大久保一翁・山岡鉄太郎の三人、なかでも勝海舟の慶喜に自重を求める規制と監視が、慶喜の心を縛ってきたとする。勿論、勝や大久保等にも「主家を売る国賊奸物」との非難がつきまとったことも事実であり、それが慶喜への自戒を促し、静岡に「押し込めた」ことに連なったようだ。慶喜の「鬱屈した思い」は、あまりにも類例なく巨大で思量できない。だからこそ日本社会と政治状況の激変するなか、慶喜自身の心境にも明治20年代には変化が生じ、30年代の東京移住、皇室との関係修復、公爵授与、自分史への協力などへゆったりと変化していく。清朝の哲人政治家の曾国藩の「四耐四不(冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、噪がず、競わず、随わず、もって大事を成すべし)」――。しかも大事ばかりか小事も成さないとした人生はいかばかりかと慮う。
東京で保険金連続殺人事件が発生、内縁の男女が共犯で逮捕される。主犯は内縁の夫・安西俊貴、共犯は飲食店経営の若い女・北條和美で、被害者はいずれも高齢者で、北條と夫婦となって事故を装い殺されていた。
稀代の犯罪者、詐欺師「安西」は何故にこうなったか。共犯者・被害者は何故に巻き込まれ、逃げられなかったか。勝利者と思われる者(安西の兄)は何故に人生を失う破目になったのか。その過程を丁寧に語りつつ、緊迫した最終章に至る。
「何で生きてるの?」の問いが繰り返され、しだいに人生哲学の次元へと引き込まれる。「生きる意味」「生きる価値」「人生の勝者、敗者とは?」「強者と弱者」「支配と被支配の連鎖」・・・・・・。1999年とは「ノストラダムスの大予言」の年。
ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの名作(2006年刊行)。主人公はキャシー・H、そして生まれ育ったヘールシャムの施設で共に暮らした親友のルースやトミー。キャシーの回想で語られるが、静かに冷静に、自分と回りの人々の心の動き、感情と抑制が丁寧にキメ細かに描かれる。そこから伝わってくる切実さや切迫感は、外部の社会と遮断されたヘールシャムの特殊性を背景にしているからこそだ。
「ヘールシャムとは何か」「わたしを離さないで、とは何か」が常に基調音としてある。クローン人間、遺伝子工学のとめどもない進展、臓器提供・・・・・・。それをクローン人間の側から苦しみ、アイデンティティー欠如の底深い不安、人間に使われるというひどい"使命"、生命倫理。それらに現実の残酷さから迫るがゆえに、思考回路はどんどん「科学と宗教と哲学」に突き進み、運命のやりきれなさへと誘う。
キャシーらは、過剰なほど相手を思いやるがゆえに、提起される問題は、深く、悲しい。
昨年亡くなった世界的なピアニスト・中村紘子さんの直前まで書かれたエッセイ。まさに世界を舞台にした交遊の広さ、文化芸術の深さ、文明や社会への確かな視座、鋭いうえにナチュラルな人間洞察・・・・・・。同世代だが、きわめてドメスティックな自分には異次元の世界に感嘆する。
「音楽の演奏にとって大切なことは、ブレスをとることです。声楽家は肺でとるけれど、ピアニストは手首で呼吸しなければなりません」「時代も、知性と教養を重んじていた世代から、経済優先の価値観に変わりつつあるようにも思えるが、クラシック音楽の世界ではどうだろうか」「名演に飽きた時代への嘆き(ラン・ランの演奏にはそもそも様式や伝統というものを越えた個性と超絶技巧があり・・・・・・音楽のかたちをゆがめてしかもそれが大衆に受けているのを見ると、なんだかピアノを弾くのが虚しくなってくる)」「音楽のちから」「どうも近年、クラシック音楽をはじめとする、いわゆる人間の『成熟度』を必要とする分野に携わる人々の存在感が希薄になってきたように思う。世の中は、政治・経済、そしてスポーツが中心に廻り、芸術文化、特にクラシックはほんのお義理にお飾りのように隅っこの方に参加させて頂いているといった印象だ・・・・・・もてはやされているのは軽チャーであり、未成熟な子供っぽい思考である」「願わくば、文化芸術の偉大さを知り、尊敬に価する優れた知性と豊かな心をもつ政治家こそが、日本の未来を作り上げる中心となって欲しい」「プライドと国家の品格」「大人になりたくない(未成熟を売物とする日本)」・・・・・・。
「ピアニストの冒険は手で始まる」――ピアノ以外で手を使うことのすべては危険な冒険につながり、小中学校で「体育の授業はほとんど見学だった」という中村紘子さん。世界を舞台に真っすぐに走り抜いた人生の境地が率直に語られる。