最近までの産経新聞連載をまとめたもの。短いエッセイだが、納得するし何か身体がすっと楽になる。鍛えられた人間の基本、人生哲学。心に刺さるというより、抱えられる。
「求められる『才覚』と『優しさ』」「自立した生活こそ最高の健康法」「人生は何とかなるという魂の強さ」「日本人、ことにマスコミや進歩的文化人や学者は、最近すぐに他人に対して『謝れ』と言うようになった。しかし多くの日本人は、他人に強いて謝らせるという行為の虚しさと思い上がりの醜悪さとを知っていると思う」「悪い言葉だけを禁じても犯罪は防げない。・・・・・・表現力がない人に、人間相手の仕事はできない」「私が最近の日本人について感じるのは、『自分の身は自分で守る』という本能の欠如である」「緊急時に1番に頼れる存在は自分自身なのだ(1番遠い存在である国家に頼るようになった)」「しかし何より大切なのは、他者の不幸をわが身のことのように感じる『同情』の能力なのだ」「不運も不幸もまた一種の財産だ。人間は、涙の中から覚り、知ることがある」「成熟した大人は、分裂した現実に耐え、普通は対立した陰の心理を感じ生きている。しかし日本人には、ひたすらまっすぐ正論を掲げてその道を行けば、必ずゴールに達することができる、と信じている"善意の大人"群が実に多い」「人生で一人も殺さず、自分も自殺しなければ、それだけで大成功だ」「私は、人間は生きている限り、できるだけ働いて当然だ、と思っている」「(閣僚に任命するときに)いざという時の攻め方と耐え方、私生活上の清廉潔白さ、表現力の豊かさなどの上で、何より賢さや徳の有無を見抜け」「最近のマスコミは、自分が人権を守っている人道主義者だということを、幼稚に示すことに熱心である。自分が正しいことを示すために、人を糾弾することも好きだ(「善」だけしか認めない息苦しさ)」「その手の"人道的""弱者に優しい"番組さえ作ればマスコミの世界で非難されることはないのだ」「追及ばかりで議会空転ならお金のムダだ」「"おきれいごと"に愛想を尽かした人たち」「戦争には必ず敵がいるという現実だ・・・・・・その敵にどう対処するかを教えない心情的平和など、まず力を持たない」「安全優先と国際貢献との葛藤」「私は現実を正視する勇気のある人には希望を繋ぐ」「正義、平等、人道主義、反権力などを、はずかしげもなく前面に出して振りかざすのが言論人だと言っている人たちへの対処」・・・・・・。
日本の敗色が濃くなっていった1943年夏――北の最果て、アリューシャン列島西部にある鳴神島=キスカ島で、孤立状態にあった日本兵5200名が奇跡的に無血で救出された。しかもその直前、隣の島・熱田島=アッツ島では日本軍は全滅、玉砕していた。
人の命は一度失ったら取り返せない。命の尊さ、戦時下における指導者のゆるぎなき人道の魂の重要さ。その無血の大救出劇は、「一億玉砕、一億総特攻、人命を軽んじ野蛮で好戦的で、狂信的な危険きわまりない日本人」という米国の見方を大きく変えることにもなった。海軍少将・木村昌福、陸軍中将・樋口季一郎、気象専門士官・橋本恭一少尉、同盟通信社の菊池雄介、そして日本人観を覆した米軍諜報部員・ロナルド・リーン(ドナルド・キーン)・・・・・・。「この小説は史実に基づく 登場人物は全員実在する(一部仮名を含む)」と書かれている。重い感動作。
「自分の『強み』を見つけるには」が副題。ハイエクは「誰がいちばん優れているか、誰がいちばん私たちの要求に応えてくれるか、あらかじめわからない場合、それを見つけ出すための装置としての役割が競争にはある」ととらえた。激しい競争に身を置けば自分の強みを発見できる可能性が高まる。これからの日本を考えると、日本経済の構造問題として、生産性、高齢化、労働市場等の問題に突き当たる。大竹さんは、「難問から目をそむけるな。存在しない単純な解決策を求めてはならない」と言い、「経済制度や政策を工夫すれば、日本経済の効率性は上がり、生産性は上昇する効果はあるはずだ。・・・・・・低成長や高齢化を前提に、日本の経済社会制度をつくり直すという難問にすぐ向き合わないと、難問の解決には間に合わない」と警鐘をならす。
取り上げた実例は広範で身近な問題で、経済の視点でリアルに把えて面白い。「チケット転売問題について音楽関係者側と業者側の言い分を行動経済学で考える」「他店対抗広告の狙い」「くまモンの普及戦略と二部料金制」「落語の"千両みかん"から考える価格と価値」「納税は国民の義務か、課税が国の権利か」「感情とリスク、感情と謝罪」「プロゴルファーの損失回避」「行動経済学による現実的研究」「平等主義で反競争的な教育が、逆に、教育における競争を激化させた皮肉」「三多摩地域のコレラ騒動と外部性(外部性の内部化)」「お金持ちは所得再分配が嫌いか」・・・・・・。
身近な問題から大きな問題まで、経済学的思考と行動経済学で、先入観から解き放ち、怜悧に整理してくれる。
まさに「知の巨人」。戦後日本の深層を自らの歩みから語る感動的、圧巻の書となっている。御厨貴さんら4人が、山崎正和さんへのロングインタビューを行ったものだ。これまで大事な時に山崎さんに話をうかがい、また著作にふれてきた私だが、そのインタビューの場に同席させてもらったような感動を覚えた。
まず感ずるのは、日本の時代と社会と人など直面する課題への関わり方の厚みだ。満州での少年期・終戦体験、戦後の左翼に傾斜する知識人への対処、共産党活動からの離脱、「世阿彌」の執筆、米国での自作の戯曲上演・・・・・・。20代、30代での仕事があまりにも濃密、あの碩学との対談「対談天皇日本史」刊行も40歳の時だ。「鷗外 戦う家長」「不機嫌の時代」「柔らかい個人主義の誕生」など、時代・社会の微妙な変化の"気分"を察知する洞察が、いかに哲学・思想の深みから発したものかを、本書は生々しく示している。サントリー文化財団設立、大阪大学への異動と演劇学講座創設、政治との関わりや内閣官房からの要請、中央教育審議会の会長就任・・・・・・。いずれも政権中枢や大阪など地方の難題に真正面から取り組んできたものだ。それは、時代の直面する課題を、より根底的にとらえる正視眼の姿勢、毅然たる山崎さんの姿勢を頼りにし求めているからだと思う。そして、組織の硬直的な権威主義や、いわゆる"左翼"と戦うなか自ら切り拓いてきた姿勢が凄い。「舞台をまわす」だ。
急激な大衆化のなかで、浅薄で煽動に乗りやすい体質がつくられ、ポピュリズムとナショナリズムに翻弄されがちな社会のなかで「常に問題解決の方途を示す中道の精神」「偏ることなく全体を如実知見する中道の精神」「道に中(あた)る中道の精神」を感じた。
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」――それがネガティブ・ケイパビリティ(負の能力、陰性能力)だという。19世紀の英国の詩人ジョン・キーツ、20世紀後半の精神科の権威W・R・ビオンを掘り起こし、「理解と不理解の微妙な暗闇」を描くシェイクスピアと紫式部の凄さをネガティブ・ケイパビリティの角度から浮き彫りにする。性急な結論、解答を求め、処理能力の早さを競う現代社会――。精神分析医も文学者も教育者も悩める現代人も、性急な確実性を求めずに答えの出ない事態に耐え続ける力が必要とされると指摘する。深く、本源的で考えさせられる。
「ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐えぬく力である」「人の病の最良の薬は人である」「治療ではなくトリートメントをする。傷んだ心を、ちょっとでもケアすればいい。ネガティブ・ケイパビリティとトリートメントは、私の臨床の両輪になっている」「希望する脳(脳は生来的に物事をポジティブに考えるようにできている)と伝統治療師」「人は誰でも、見守る眼や他人の理解のないところでは苦難に耐えられない(時間という日薬と眼を離さず見守る目薬の大切さ)」「小説家は宙吊りに耐える」「現代の教育はポジディブ・ケイパビリティの養成をめざす。問題解決のための教育だが、素養や教養、たしなみは早急に解答を出すのではなく、じっくり耐えて、熟慮することこそ教養である」「答えの出ない問題を探し続ける挑戦こそが教育の真髄でしょう」「この勧告決議案が採決されると踏んだ全権大使の松岡洋右は、憤然として会場から退出、国際連盟を脱退した・・・・・・こんなときこそ、指導者は踏みとどまって一考も再考も三考もすべきだった。ネガティブ・ケイパビリティは完全に失われていた」「(あの戦争で)針の穴に糸を通すようにして、何とか解決の道を探る、ネガティブ・ケイパビリティは軍人の頭にはなかった」「共感の成熟に寄り添っている伴走者こそがネガティブ・ケイパビリティ」「寛容は大きな力を持ち得ないが、寛容がないところでは必ずや物事を極端に走らせる。この寛容を支えているのがネガティブ・ケイパビリティ」・・・・・・。
長い人生、さまざまなことに遭遇する。「勝つことも大事だが、負けない自分をつくることだ。仏の異名は能忍という」「忍辱大力 智慧宝蔵」「自他不二の不軽の礼拝行」「哲学は辺境の防人である。辺境とは虚無と人間の境である」「諸法実相 如実知見」「能動の力と受動の力」・・・・・・。仏法、哲学で学んできたことを次々と想起して読み、味わった。