戦後の占領・復興期の東京。暴力や死と向き合う混沌とした時代をもがきながら生きる人々の姿を、6つの短編で切り取る力作。食糧難、浮浪児、パンパン、街を仕切る暴力団、落ちぶれる華族、満州からの引揚げ、捕虜、GHQ、戦犯、街頭紙芝居・・・・・・。昭和20年生まれの私としては見聞きしてきた実感の伴うものばかり。全てを失った東京、想像を絶する苦難のなか生き抜いてきた人々の生命力を改めて突き付けられた。
「幽霊とダイヤモンド」――上海から空輸されたダイヤモンドの行方をめぐって、追われる飛行士。盧溝橋事件直後の1937年7月末、居留民の多くを殺した通州虐殺事件の幽霊が消えず怯える男。「自分が生きることに葛藤はない。しかし、ただ生きているだけでは、つまらなかった」・・・・・・。極限状況で生きる男の中で弾けるマグマ。
「少年の街」――東京・上野の浮浪児。同じ境遇の浮浪児を集めて、地方の農家に送る少年。それが彼らにとっての幸福に違いないと信じていたが----。狩り込み、浮浪児狩り、そして浮浪児を利用して子供を地方に売る業を大掛かりに展開する大物が介入して----。
「手紙」――GHQのもとで手紙を検閲する元士族。某伯爵家の夫人が売春。女衒と娼婦----「落ちていく女を見て楽しむ。落ちていく金持ちは見世物であり、玩具である。終戦後、貧しき者の思考法をあちこちで学んだ」・・・・・・。
「軍人の娘」――許婚とともに、ソ連に連行された義兄の帰りを待ち続ける紙芝居の出版社で働く女性編集者。「女性の時代が来た」というが、父のいなくなったこの国で自由とは何かを悩む。
「幸運な男」――GHQが接収した洋館で働く叩き上げの料理人。地下に幽閉され、人体実験までされている中国人の捕虜を助けようとする。
「何度でも」――1959年のミッチーブームの時。用賀にある右翼の大物が所有する邸宅で女中となったかつて上野の浮浪児であった若き女性。その主人は元伯爵家の令嬢で、「GHQ高官を虜にした魔性の女」「夫が殺人事件で逮捕された女」と言われた女。その館にはもうひとり"呆れるほど美人"の女性がいた。実はその女、ある国の王の愛人に仕立て上げられようとしていた・・・・・・。
貧困と暴力と死と隣接する不条理充満の時代だが、生き抜くたくましき生命力の輝きがあった。
「なぜか裁判沙汰になった人たちの告白」が副題。日本経済新聞電子版の連載「揺れた天秤〜法廷から〜」を書籍化したもの。実際の民事訴訟や刑事事件を題材に「誰もが陥りかねない社会の落とし穴」を浮き彫りにする。各社の「人生相談」は、その回答も含めて人気を博するが、不満が鬱積してつい起こしてしまうトラブル。挽回しようとして泥沼にはまる詐欺まがいの事件。取引を成功させたい社員たちの焦り。近隣・隣人等とのトラブル。学校や会社でのいじめやパワハラなどから起きる事件。昨今のネット、SNS時代から引き起こされる陥穽の数々・・・・・・。この日常には、どこでも取り返しのつかないことになる「落とし穴」「まさか私が」が潜んでいる。手元の身近に置いて、時々読んだ方が現代社会にはいいなと思いつつ、面白く読んだ。
「会社員たちの転落劇。小さな慢心が悲劇を呼ぶ」――。「洗剤『お持ち帰り』で失った銀行副店長のポスト」「入社歓迎会で泥酔からの暴言。失った商社内定の切符」「誠実、勤続30年の教員、たった1度の飲酒運転で退職金1720万円を失う」「会社支給のスマホで集団移籍のグループチャット、引き抜き工作が明るみに」・・・・・・。今更ながら、「酒は飲んでも飲まれるな」。デジタル社会の闇からの声が聞こえる。
「まさか、あの会社で。有名企業のスキャンダル」――。「ソニー生命保険に勤めていた男が、巨額の会社資金に手をつけ、独断で暗号資産(仮想通貨)に交換した。詐欺罪で懲役9年の実刑」「追い込まれたソフトバンク部長、起死回生を狙った副業の投資詐欺(典型的なポンジスキーム)」「近畿日本ツーリストで支店幹部が自治体に業務費過大請求」「営業秘密を持ち出した『かっぱ寿司』元社長」「積水ハウス地面師事件」・・・・・・。
「平穏な家庭が壊れていく。溶けていくお金に、ご近所トラブル」――。「『仕組み債』で1000万円を溶かした母」「マンションでの暴言・乱暴の困った住民」「イブに届かぬピザ。52分遅れで訴訟」・・・・・・。現場で困った事が多いが、それが訴訟にまで発展する。
「会社員はつらいよ。今どき職場の悲喜こもごも」――。「会社で殴った殴られた」「チャットでこぼした愚痴が会社に知られた女性」「上司が強要した偽装請負」「育休から復帰したら部下ゼロ」・・・・・・。ちょっとしたはずみでトラブル・訴訟へ。気をつけなければ・・・・・・。
「パパ活なのか、恋なのか。男女のすれ違いが事件になるとき」――。SNSで知り合った女子高生には本当の彼氏がいた-。当たり前だと思うが・・・・・・。「『隠し子』の認知請求」「遺族年金を争った『2人の妻』・・・・・・。
「秘密資金に粉飾、脱税・・・・・・闇落ちする経営者たち」――。「秘密資金2800億円に騙された外食チェーン会長」。今どきM資金みたいなものが。驚く。脱税事件や粉飾決算、インサイダー取引は相変わらず。
「職場であった本当に怖い話。日常に流れる狂気」――。社内の暴力事件、問題社員の解雇問題、パワハラ、チャットなどによるアクセス権限悪用の恐怖、道の駅でのカスハラ・・・・・・。自分の名前で上司を罵る身に覚えのないチャットが送信されていたというから困った時代になっている。
「SNSの闇。バズリから生まれる誹謗中傷、毀誉褒貶」――。「編み物系ユーチューバーが削除申請を乱用、ライバル動画を次々と封殺」「『バズる』動画で"男気"が売りの社長が暴走」「食べログ訴訟、アルゴリズムの変更の適否」。こういう時代になっている。
「若者たちの心に、司法はどこまで迫れるだろうか」――。「歌舞伎町リンチ死、『トー横』に集まる若者たちの希薄な関係と暴力性」「京大院生が就活WEBテストを替え玉受検」・・・・・・。
イライラ、不満、ネット社会の闇など、世相が浮き彫りにされる。
赤坂喰違の変(明治7年)岩倉具視暗殺未遂事件、紀尾井坂の変(明治11年)大久保利通暗殺事件、板垣退助岐阜遭難事件(明治15年)、森有礼暗殺事件(明治22年)、大隈重信爆弾遭難事件(明治22年)、星亨暗殺事件(明治34年)等の明治の暗殺事件。大久保利通の暗殺は、不平士族の巨大な怨恨の噴出によるものだが、犯人の島田一郎は小説が刊行されるなど大衆に親しまれ、「憲政功労者」にまでなる。板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず」はこれに近いことが言われたことは事実。爆弾を投げられた大隈重信は犯人・来島恒喜の勇気を称賛し、そのことで大隈の人気も上がった。
大正に入っての朝日平吾事件(安田善次郎暗殺事件)(大正10年)、同じ大正10年の原敬首相暗殺事件。この2つの事件が構造的に詳しく解説される。
安田善次郎暗殺事件は、朝日平吾が短刀で善次郎を刺殺し、その場で自分も剃刀で咽喉部を切り自殺。「斬奸状」には「奸富安田善次郎 巨富を作すといえども富豪の責任はたさず、国家社会を無視し 貪欲卑吝にして民衆の怨府たるや久し。・・・・・・よって天誅を加え世の警めとなす 朝日平吾」とある。「大久保利通の死、森有礼の死、星亨の死、それぞれの時代色を帯びた死であるが、安田翁の死の如く思想的の深みは無い」「安田翁の死は、明治大正にわたっての深刻な意義ある死である」(読売新聞 1921年9月29日)とあり、吉野作造は「朝日の行動には徹頭徹尾反対だ」とその短見を批判しながらも、「けれどもあの時代に朝日平吾が生まれたと云うその社会的背景に至ては深く我々を考えさせずには置かぬものがある」と言う。明治の暗殺の多くは政治的理由による暗殺であったが、「大正の朝日による暗殺は、対象を貧困な社会的弱者のための救済事業の意義を解しない大富豪としており、暗殺者の動因としては、家庭的不幸ということがあった」と指摘、貧富の差と生い立ちからくる不遇が前面化していると分析している。北一輝、昭和初期の暗殺事件につながるものだ。合わせて「マスメディアをしきりに気にしていて」と言い、マスメディア時代の暗殺の起点となっていると分析している。
一方、原敬暗殺の真因は、犯人中岡艮一の抱えていた個人的行き詰まり、挫折感、゛恋の艮一゛にあり、現代の暗殺にそのままつながるものだと言っている。大正時代の2つの暗殺事件が異なりを見せつつも現在に流れてくることの指摘は納得するものだ。
さらに、暗殺に同情的な日本の庶民文化、意識の背景を分析。「判官びいき」「御霊信仰に由来する非業の死を遂げた若者への鎮魂文化」「仇討ち・報復・復仇的文化」「暗殺による革命・変革・世直し」の4つを挙げている。
安倍元首相襲撃事件から3年が経とうとしている。到底許すことはできない。
